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●念願の「完母」免許皆伝相変わらず昼夜問わずの頻回授乳で体はバキバキの生活を送っていたが、料理や洗濯は実母がやってくれる環境で過ごしていた。たまに何をしても寝ない時に、疲労困憊していた私に代わり、母が赤ちゃんの抱っこを代わってくれることもあった。私の母は、小さいころから、この自主性を尊重して何かを強要するといったことがあまりない。「母乳が一番」とか「母親は寝不足は当たり前」「私の時はひとりで○○した」とか、たまにいるマッチョ祖母(私が命名)タイプではなくてだいぶ救われていた。
赤ちゃんと受けるはずの産後一ヶ月健診は、1人で受診しましたあのクリニックの産婦人科医と会わなければいけません。色々聞かれるんだろうな自分の診断、判断が正しかったか確認してくるでしょうこちらどうぞ『NICUにいる赤ちゃんの面会にいくまでの事』数年前の振り返りです出産後すぐ、赤ちゃんは酸素化があまり良くないとの事で、違う病院に救急車で行ってしまいました。毎日、転院先の医師から電話がありました。哺乳…ameblo.jpやはり、子供について聞かれました。入院中だけど病名は伝えませんでした。
少しのスイッチですぐに涙が溢れてしまう。そんな日々もあっという間に過ぎました。長かったような早かったような。記憶の中から、あの出来事がスッポリと抜けているようです。あれは、夢だったんじゃないか?そんな気持ちさえします。5月のカレンダーには「38週」とか「妊娠検診」とか「赤ちゃんのお誕生日(予定帝王切開だっため)」とか「退院予定日」が記載されていました。これを書いていたころの私は、とても幸せだった。会える日が指折りとなり、ワクワクしていた。あれはどうしよう、これはどうしようと考え
今日は産後4週間健診でしたまだ4週間しか経っていないのに生まれてきた娘がいないことに朝から寂しさと悲しさでいっぱいでしたでも、先生や助産師さんに話を聞いてもらって少しだけど気持ちが整理できました娘の写真も見てもらって入院中の娘との思い出を話せましたすごく心温まる時間でしたちなみに私は緊急帝王切開での出産だったため次の妊娠まで最低でも1年はあけないといけません前回、稽留流産をしたときは生理を3回見送ってから妊活再開と言われその約3ヶ月がとても長かったですそれが、今回は1
よんちゃんが亡くなってから、約1か月が経過しました。母子手帳を持って、よんちゃんが生まれた総合病院に向かいます。検尿と採血をして先生の診察へ。お腹の中や傷、腹部の血腫の検査をしました。どれも問題はなく、血腫はなくなるまで1か月はかかるが心配ないとのことでした。私は今回の出産に関するお礼を述べて退室します。その後は助産師さんとの面談。エジンバラ産後うつ質問票のチェックでは前回より改善されていました。助産師さんからも、少しずつ落ち着いてきていますね。でも、無理せず、ぼちぼちしてくだ