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*悲しいことしかないので読みたくない方は飛ばしてください。グロテスクな表現はしていません。悲しい気持ち中心に、リアルに体験したことを書いています。申し訳ございませんが、誹謗中傷はご遠慮ください。私はこの出産を忘れたくありません。なぜなら、赤ちゃんが1番がんばって産まれてくれた出産だからです。人それぞれかもしれませんが私の人生の中で1番痛くて1番悲しくつらい経験です。以下本文↓↓↓同じような経験された方がもし読んでくださいましたら、また悲しい記憶を呼び起こしてし
カモフラージュで画像を先頭に置いてみましたRGって…そうです芸人さんで、あるあるネタをするレイザーラモンRGさんですわたしはお笑い好きで、好意的に見る方なんですが芸風にクスリともできずごめんなさいハート強い人だなぁと感心するようなその程度の感想しかありませんでした。今は人として尊敬しています娘が18トリソミーと疑惑が出てすぐに思い出したのがRGさんの名前でした
2018年4月14日土曜日午前11時5分身長7.5cm体重10g妊娠期間12週2日(86日間)破水してから、時間をかけずに静かに産まれてきました。待望の我が子は無脳症(無頭蓋症)でした。男の子か女の子かわからないくらい小さな子でした。看護師さんの話によるとおしりの方から見るとちょこんと突起のようなものがあるのでもしかしたら男の子かもしれないだけどはっきりわからないということでした。そうか。男の子かもしれなかったのか。お産が終わり1番に夫が来てくれました。人
可愛い娘が誕生してからもちろん産声はなかった2019年9月9日21時34分❁︎娘誕生❁︎首を上げて必死に赤ちゃんを見た「可愛い…♡」まず第一声本当に可愛い赤ちゃん!そして可愛いと言った後にすかさず「おっきい…笑」とボソリ夫も姉も“頑張ったね”とか何とか声をかけてくれてたけどあまり記憶なし…笑出産の達成感と娘の姿を見るのに必死だったすぐに娘が別室へ連れて行かれ同時に、後処置があるので…と、夫と姉も部屋から出された連れて行かれる娘…廊下から夫の大きな泣き声が聞こえ、遠くな
※死産に関する内容です。約2ヶ月前のことをメモを見て振り返りながら書いています。リアルタイム日記を挟みましたが、出産の記録に戻ります。アメトピ掲載されたようで、たくさんのアクセス、いいね、フォローありがとうございます!!お空の娘の存在をたくさんの方に知っていただけて嬉しく思います。時系列が前後して、読みにくくて申し訳ないです。こちらの続きです。↓↓『入院10日目①陣痛誘発開始』※死産に関する内容です。約2ヶ月前のことをメモを見て振り返りながら書いています。入院10日目ついにこの日が
海琉が産まれ瞬間の記憶…羊水ってこんなに出るの?なんか顔色悪い?え…泣かないよ?助産師さんがおめでとーって言ってる中私の頭の中ではボーっとこんなことを考えていた。旦那は私の手を握りしめて泣いていた。そしてさっきまで笑っていた助産師さん達が焦りだし気がついたら別の部屋に海琉を連れて行った。旦那も外で待つように言われ部屋には私1人…何が起きたのか分からないままただ産声が聞こえるのを待っていた。旦那は異変に気付かないまま無事に生まれた事を親に報告していた。でも周りがバタ
18w3d朝6時の心音チェック。まだ赤ちゃんは元気な心音を聞かせてくれた。朝7時、陣痛促進剤の膣剤を入れられる。そこからしばらくは張りもなし。9時ごろ夫が到着してから、生理痛みたいな痛みになった。しっかり産んであげないとと思うけど、1人目の時、陣痛促進剤の出産ですごく痛かった。またあの痛みがくるのかと思うと怖い。看護師さんには、陣痛の痛みとしては同じだと思うけど、赤ちゃんが小さい分、そんなにいきまなくてもするっと出てくると思うと言われた。時間もそんなにかからないだろうと。
死産に関する内容が含まれていますので、読まれて不安や不快に感じる方は以下は読まないようにお願いします。18w3d出産後、赤ちゃんを病室に連れてきてもらった。ガーゼで作った簡単な洋服と帽子を着せてもらってた。「ちっちゃい…」身長20cm、体重180gの男の子だった。抱っこすると涙がこぼれる。手を重ねられてて、真っ白な帽子にお洋服を着て眠ってて、天使みたいに見えた。まだ脂肪がついてないからか、細くてシュッとしたお顔。手足の指もちゃんと五本ずつで、ちっちゃな爪もあって感動した。
私の初めての出産は死産(後期流産)となってしまいました。不妊治療を始めてから妊娠できるまでスムーズだったわけではないので天国から地獄に落ちる様な気持ちになりました。お腹の中で亡くなってしまった我が子を出産するというのは、人生で1番辛い経験だったなと思います。赤ちゃんには何も問題がなく私が赤ちゃんを死なせてしまったという気持ちが消えずとても苦しみました。あれから2年半と少し経ちました。乗り越えたのかと言われれば乗り越えていないと思います。知っているのは家族のみで友人に
死産の翌日。退院前に赤ちゃんを少し抱っこさせてもらった。産んだ時よりも、少し紫だったところが減ったかな?口周りはキレイな白い色をしていて、人間らしさを感じた。ちっちゃくてかわいお口。簡単な診察の後、退院になった。中絶を決めた時よりも、やっぱり産んでからの方が断然辛かった。顔を見てしまうと、無事に産んであげたかったという気持ちが強くなって、ほんとに助ける事はできなかったのかな?とか後悔もでてきた。助からなかったとしても、赤ちゃんのもっと生きたかったっていう意思を尊重してあげ
私が手縫いした服を着せてもらって連れてきてもらったあかちゃん。心拍停止が分かってから分娩の日まで旦那と話し合って考えて決めた名前。「流依」るい。男の子でも女の子でも大丈夫なように名前を考えました。姓名判断もしたよ。旦那が「流」っていう漢字が好きで昔から子供ができたらこの漢字を子供につけたいって思っていたらしく1人目の時の子は「光流ひかる」という名前にしました。男の子でも女の子でも大丈夫なように。ちょっと男の子よりな気もするけど。もちろん姓名判断も。あなた
あの日から2週間以上経っても未だに夢かと思う。でも、娘を失ったのが夢なのか…妊娠していた事が夢なのか…わけがわからなくなる。理解しているようで脳が辛い現実を拒否しているのかな…お腹でガスが動いたのを一瞬…ほんの一瞬…胎動かと勘違いする。あり得ないのに期待してるのかな心臓が止まっていると言われた時、やけに落ち着いている自分がいた…これから産声のないお産をしなきゃいけない、そんな時でも変に冷静な自分がいた…お見舞いに来てくれてた家族の心配をする私がいたその後、大泣きした時もあっ