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花盛祭神事の後、渡御の儀まで2時間ありますので、天野の里に鎮まります、天野三沢明神をお詣りさせていただきます。桜の季節に、桜真っ盛り(ちょっと過ぎたけど)の天野の里を歩かせていただける幸せを感じながら、歩みます。随筆家の白洲正子さんが、著書の「かくれ里」にて天野をこう評しています。「こんな山の天辺に、田圃があろうとは想像もしなかったが、それはまことに「天野」の名にふさわしい天の一角に開けた広大な野原であった。もしかすると高天原も、こういう地形のところをいったのかも知れない」
[紀伊国名草郡]玉津島神社■表記紀…衣通郎姫(ソトオシノイラツヒメ)、弟姫(オトヒメ)記…衣通郎女、衣通王軽大郎女、軽大娘皇女(カルノオオイラツメ)の別名■概要絶世の美女とされ、その艶色が衣を通して光り輝くということから付けられた神名。「本朝三美人」の一。また「和歌三神」の一柱ともされています。*「本朝三美人」衣通姫・藤原道綱の母・光明皇后*「和歌三神」住吉明神・衣通姫(玉津島明神)・柿本人麻呂◎「和歌三神」と称されますが、実際に詠んだ和歌は二首のみ。取り立てて素
紀三井寺から約2キロ!玉津島神社へ玉津島神社【たまつしまじんじゃ】玉津島社の創立は上古(じょうこ)ときわめて古く、社伝には「玉津島の神は『上つ世(かみつよ)』から鎮まり坐(ませ)る」とあります。玉津島一帯は玉出島(たまでしま)ともいわれ、いにしえ、満潮時には6つの島山(玉津島山)があたかも玉のように海中に点在していたとされます。そして山部赤人の玉津島讃歌に「神代より然ぞ貴き玉津島山」と詠まれた如く、風光明媚な神のおわすところとして崇められてきました。社号標玉津島が初めて文献に