ブログ記事352件
織田信長の妹で、絶世の美女と謳われ悲劇の生涯を生きたお市の方(1547-83)はご存じですね。お市の肖像画は高野山持明院に残っていますが、残念ながら彼女のリアルな美しさを伝えてはいません。これは娘の茶々(豊臣秀吉夫人・淀殿)が1589年頃、父・浅井長政(1545-73)の肖像画とセットで描かせたものですが、死後6年経っており、絵師もお市と面識がなかったためか、典型的な追慕像で、人となりを彷彿とさせるものはありません。しかし、信長のもう一人の妹・お犬の方の肖像画は、当時としては文句の付
26-1桃山文化の特徴織豊政権(しょくほうせいけん)から江戸時代初頭にかけての文化を、豊臣秀吉(とよとみひでよし)晩年の居城(きょじょう)である伏見城(ふしみじょう)の地名にちなんで桃山文化(ももやまぶんか)という。この桃山文化の特徴として、(a)新興の大名と大きな経済力をもつ豪商(ごうしょう)たちの生活を反映して豪華で自由な傾向が強いこと、(b)仏教色が後退する一方で現実的な生活文化の色彩が強まったこと、(c)南蛮文化(なんばんぶんか)の影響が浸透したこと、
狩野派(かのうは)は、日本絵画史上最大の画派であり、室町時代中期(15世紀)から江戸時代末期(19世紀)まで、約400年にわたって活動し、常に画壇の中心にあった専門画家集団である。狩野派Wikipediaよりと言うことで、狩野英孝もファビュラスな姉妹(こっちは叶ですね。)も無関係です。その狩野派ですが、昨今は奇想の系譜の絵師や、明治の超絶技巧の工芸家たちのブームにより、これまであまり注目されてこなかった絵師や工芸家に注目が集まってきています。しかし、元々日本画壇のメ
織田信長が明智光秀に攻められ自刃したのは天正10年(1582年)6月2日、当時は太陰暦でしたので、現在の太陽暦なら5月初旬に当たります。今回は、「時空を超えて~歴代肖像画1千年」というメールマガジンの創刊号を載せてみました。2006年から年に1~2回の不定期で配信しています。文字数は4,000ぐらいですので、原稿用紙にすると10ページ分になります。メルマガサンプルとして作った記事で内容は軽めです。時空を超えて~歴代肖像画1千年創刊号No.00002019年08
最近読んだ本。風神雷神Juppiter、Aeolus(ユピテルアイオロス)上(PHP文芸文庫)[原田マハ]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}原田マハさんの、「風神雷神上巻」です。建仁寺所蔵の、風神雷神図屏風を描いたとされる俵屋宗達。はっきりとした生没年が不詳で、確認されている真筆も少なく、謎の多い人物です。まさに、原田マハさんの作品にうってつけの人物。謎が多ければ多いほど、原田マハワールドは面白くなるのです今回も、そこが絡むのか、、!と唸るほ