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4月13日と14日に香椎宮の神幸祭があった。神事ももちろんだが、今回はこの旗を直に見たかった。武内宿禰さまと四氏族が並ぶ。★目次☆1神幸祭☆2大三輪氏と宗像神☆3高良神と神功皇后神幸祭13日に行ったので、前日に頓宮へ向かったお神輿が戻ってくる日。香椎宮*楼門15時に頓宮出発。神功皇后と仲哀天皇が、頓宮で夫婦水入らずで過ごすという。まもなく、行列が見えた。来た!五つの旗!後に。神輿は三台。住吉神、神功
以前のgooブログの過去記事が何年分もいっぱいたまっているので、どんどんまとめて書きます。けっこう深い話になるのですが、祝詞、です。詳しいことは割愛。ここでは、『秋田物部文書』という本から参考に、興味深い点だけを拾って紹介します。※『物部文書』とは、1938年に一子相伝として代々受け継いできたのが唐松神社の宮司家である物部氏であり、出羽の地に移った物部氏の来歴ついて記録されているもの。----------------------------------------数年前
昨日、劇団「短距離男道ミサイル」の「TSUNEKIYO」をみてきて、笑いあり涙ありで、素晴らしかったです。一緒にいったNさんも、感激してました。昨年末、いろいろあり、悲しみの中にいたのですが、蝦夷から笑いをもらって、元気がでました!Nさんが元気でるから!ってカレーのお店に連れて行ってくれて。ありがとー※紅茶とクラフト酒の店タイフーンほんとに、まほろばブログをやっていて、良かったと思いました。みなさまの支えがあって、書けるのです。で、劇団のは、高橋克彦先生の
【5月の神社リトリート参加者募集開始‼️長野の善光寺に行こう‼️①】5月の神社リトリートは、長野の善光寺だぁ〜‼️一緒に行こう💓いま、日本中で龍が大活躍しています❗️今回のリトリートにも、龍が絡んでることが分かり音色はドキドキしてしまいました💓まずは日程を‼️5/12(日)7:00に西焼津駅出発帰りは21:00前後になりそう参加費は14000円ですさて、冒頭の写真ですが善光寺で有名な牛さんです何てったって、ことわざがあるんですものね『牛に引かれて善光寺参り』《信心のない
上の図は、福岡県うきは市にある珍敷塚古墳(めずらしづかこふん)の壁画。1500年前のもの。下の図は、エジプトのセンネジェムの墓にある壁画。3000年前のもの。共通点…船、船の櫂、頭上の太陽、舳先にとまる鳥。ほぼ同じ構図のこの壁画。古代エジプトと九州北部の繋がりって何だろう?ちなみに全国には600基以上の装飾古墳が存在するが、そのうちの6割が九州北部にある。装飾古墳の三大集中地域は、チブサン古墳のある熊本県の菊池川流域、王塚古墳や竹原古墳のあ
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その5「偽書」「偽史」とされてきた古史古伝だが、その一つ一つを見ていくと、なんでアカデミズムが「偽書」「偽史」としてしまうのか、徐々にその謎が分かってくる。なにせ「古事記」と「日本書紀」が正史であって、それ以外はありえない歴史だという研究家すらいる。冷静に考えてみれば分かることだが、古事記の冒頭などは完全に「神話」であり、「史実」ではない。しかしながら、頭の固い人たちは断固としてそれが「歴史」だと考えてしまうのだ。ここにこそ「落とし穴」があるのにも関
引き続き、前回の記事の続きである。天津甕星(あまつみかぼし)は、日本神話に登場する星の神である。別名、天香香背男(あめのかがせお)。『日本書紀』に唯一の悪神として登場する星神で、「金星」と「蛇」で象徴されている。まさに「日本のルシファー」だが、初めに言っておくと、私は天津甕星の子孫である。天津甕星(天香香背男)は知名度の低い神だったが、『君の名は。』に登場したことで近年は少し知られるようになった。『日本書紀』に記されている天
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その18「物部文書」の謎から愛知県「玉鉾神社」へと飛んだら全然戻れなくなってしまった。昨年から謎解きブログを書いていると、たびたび起きる現象だ。どうも謎に呼ばれてしまうらしい(笑)。「こっちの謎も解きなさい」と半ば強引に引っ張り込まれてしまうのだが、これら全て「導き」なのだろうと思っている。要は「オマエはまだまだだ」と言われているようなものだ。さて、再び秋田の「唐松神社」へと戻ろう。「唐松神社」のご神体は「神功皇后」(じんぐうこうごう)の腹帯
「穢れ」と「言霊」の謎:その38◆「歩き巫女」と「遊女」左道の呪術、「蠱毒」も「厭魅」も、その起源は悪魔崇拝のカナン人が始めた呪術だった。言い換えるなら「悪魔と契約」することで成し遂げられる呪術だといえる。物部氏系の「歩き巫女」であった「口寄せ」の巫女たちは、必ずしも全てがカナン人の血脈だということではない。中には生活苦ゆえに、禁断の呪術をお金に変えたり、体を売って稼いだ者もいた。さらに、表向きは遊女だが、実は女スパイ(間諜)として活動していた者もいた。なぜなら、古代から現
「神剣」を祀る物部氏の石上神宮金澤成保奈良盆地の東に連なる山裾を「山辺の道」が巡っている。一部は弥生時代にさかのぼるともいわれ、日本でもっとも古い古道といわれている。2mほどの幅の小径であるが、桜井市の三輪山から奈良市の春日山に至り、その沿道や近隣には、ここで紹介する石上神宮と、さらに大神神社をはじめとする古社や古墳が祀られている。近鉄天理駅からバスで天理大学まで行き、その後を桜並木を歩きながら石上神宮に至った。今回は、大和神社もお参りしたが、『記紀』に登場する「上古」の歴
いやはや、入門者を謝絶することにして、しかも現存会員に、覚悟なくば去れと言い放ち、3名の方が去っていった。まあ、一人は転居によると知らされたが、それにしてもさみしいものだところが、である。西条で、古式劍體術武衛會を立ち上げることになり、そうこうすると、今度は電話が鳴る「もしもし、基道館武衛會のセンセイですか?」「はい、大城戸です」「ブログを拝見しました、ぜひ一度だけでも武衛會の稽古を拝見したいのですが」「入門はお断りしているのですが、どうなさいました?」「実は江戸期の
東北は、あまりにも逃れた人々が多すぎていろんな氏族と婚姻を結びすぎているうえに、語らない、言わない、声をあげるのは、藤原家。「密かに」暮らしすぎ。山深くて迷う、目的をすぐ見失う。して、落馬する運命にされる。蘇我や物部といったあの時代の氏族も、東北へくると皆、一緒。それどこじゃなかった。北方の蝦夷が強かったから。東北に混在する物部氏と蘇我氏の歴史を。そうそう、三神合神社にいた聖徳太子みたいな像は、こんな雰囲気(これをもっとゆる~くした感じ)-----------
『高天原は日高見国にあり序章』今回の常陸国神社巡りで自分の考察がある程度まとまりました。先に書きますが古事記などの古典を否定するのではなく実際はこんな古代史だったんじゃない??と考察してる…ameblo.jp『高天原は日高見国にあり徐福渡来編』前回は縄文時代の古代史を少し考察しました。『高天原は日高見国にあり序章』今回の常陸国神社巡りで自分の考察がある程度まとまりました。先に書きますが古事記などの…ameblo.jp『高天原は日高見国にありスサノオって誰??福井もポテンシャル高いよ
ここまでの話①『「諏訪大社」の謎』こんにちは冒険部タケバヤシです!先日とある先生に誘われて長野県「諏訪大社(すわたいしゃ)」に行ってきましたー!もともとは一緒に山登りに行こうという話だったけど…ameblo.jpここまでの話②『「守屋山」の凄さ』前回『「諏訪大社」の謎』こんにちは冒険部タケバヤシです!先日とある先生に誘われて長野県「諏訪大社(すわたいしゃ)」に行ってきましたー!もともとは一緒に山登り…ameblo.jpここまでの話③『そして「風神山」へ』こんにちは冒険部タケバヤ
先日、妻の許可を頂いたので一泊で、近畿方面…奈良・大阪に行ってきました。初日は、奈良県を中心に回り桜井駅前にある、ホテルルートインに宿泊しました。二日目の予定としてはまずは早朝にチェックアウトしてホテルから歩いて、朝もやの「箸墓古墳(はしはかこふん)」「三輪山」の写真を撮ろうと、はりきっていたのですが…ものすごい雨だったのでやめました。レンタカーは、昨日返却していたので二日目は、電車と徒歩がメインなのですが(この雨の中、歩くのか…)海石榴市(つばいち)の守護神
ふと、ある事に気づいた。勝手な考察ですけど。何度も登場している大伴金村の子、大伴佐手彦。(537年~550年頃)大伴佐手彦の「て」は主に「手」を当て字としている。※指・手のひら・手首・腕などにいう。古くは枕草子の歌に「手」がある。佐弖彦とあっても「手」が正しい。しかし、アテルイなど多くは貴族、豪族ではない先住の人には「弖」をあてるようだ。記録をする人が異なる民族(先住民)に対して使うからだろう。これ重要。弓月というツクヨミの存在を知っている者が主に歴史編纂をしていたとし
「日本」を封印した「聖徳太子」その13聖徳太子と蘇我馬子は、推古天皇のもと共同で政治を行ったとされている。二人は親戚関係にあったが、その仲については政敵でライバルだったという説と協力者だったという正反対の説が存在する。だが、これまで見てきたように、聖徳太子は滅ぼした相手の物部守屋を祀るなど、常に太子の影には物部氏の存在が登場する。それはまるで太子を守護しているかのようにである。◆「聖徳太子」の母方の出自「厩戸皇子」(うまやどのみこ)と呼ばれた太子は、蘇我氏と強い血縁関係にあった
《上巻》より【欲が深すぎるぞ。こんな都を持ちながら】都にやって来ていた蝦夷のリーダーたちの会話「市は物で溢れかえっておる。食い物から絹や刀まで、ないものを思いつく方がむずかしい。かほどに満たされていながら、なにゆえ陸奥に固執する?攻め取りたいのは我らの方だ。そこがどうにもわからんな」「黄金だ」「そりゃ承知だが------」伊佐西古は母礼と向き合って、「仏像を造る以外にさして役立たぬ物。我ら蝦夷には無縁のものではないか。礼を尽くして、くれと言うたら考えぬでもない。そ
はるか古代も現在のように太陽☀️は東から上り西に沈みます。そして、闇夜に輝く月🌙と星⭐️現代人よりも古代人は太陽と月と星の位置で方角を理解していました。星🌟の代表は北極星、金星、オリオン座、シリウスなどがあります。自然崇拝の古代人は太陽神と星を宇宙神ととらえていたと思います。それは古代日本だけではなく全世界共通なのです。古代日本では創造神は国常立神、天之御中主となります。個人的には天之御中主は宇宙神ではなかったのかと思います。そこから神代七代となりイザナギ、イザナミとなります。
数年前に謎解きの旅が始まり、日本全国の神社仏閣を巡るようになりました。五重塔を目にする機会が増え、見れば見るほど、違和感を感じ「美しくないな」と感じるようになりました。違和感を感じる理由は何なのか。自分の中に答えを探りました。「調和がとれていない」という言葉が浮かびます。そして、更にこんなふうに感じるようになりました。「五重塔のてっぺんに付いてるやつ・・・邪魔くさいな」ここまで気づいた頃、私を導く者たちが「五重塔について調べてみんしゃい」と、言っているよう
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その8前回の「宮下文書」を含め、いわゆる「古史古伝」という神武天皇以前の古代の歴史が書かれた文書の成立には、必ず「物部氏」が関わっている。「富士宮下文書」の場合は、その物部氏の本当の祖である「徐福」(じょふく)とその子孫が書き残したものの集合体であった。但し、物部氏と一概に言っても、原始ユダヤ教徒としての物部氏、原始キリスト教に改宗した物部氏、そして「絶対三神」の奥義を最初から知っていた物部氏が存在する。古史古伝に「偽書」の烙印を押してふんぞり返って
この高天原は日高見国にありシリーズがいよいよ最終章となります。縄文から弥生時代までは北九州、近畿がメインではなく関東から東北にあった日高見国でした。しかし、寒冷化に伴い食糧不足になり縄文人は西に移動し、また海洋技術も帆船となり北部九州から出雲周辺の日本海側で交易が可能となりました。日高見国は青森三内丸山から太平洋側の岩手北上を中心に南下し房総半島までだと考察しています。話は逸れますが古代祭祀一族の忌部氏は出雲、阿波、そして離れた房総半島の安房国を治めていました。忌部氏の親神は天太玉命
こんばんは天神系賀茂氏…始祖である賀茂建角身命は、神武天皇の東征を手助けした八咫烏とも言われている。そして下鴨神社の御祭神であり、上賀茂神社の御祭神である賀茂別雷神の祖父でもある。地祇系賀茂氏…始祖である大鴨積命は、大物主の子の大田田根子の孫とのこと。大物主と繋がっている古事記で国津神である大国主を助けた大物主。ここからの由縁で、地祇系賀茂氏となっているのだろうか。。大物主神は、三輪山に祀られていて、大神神社(おおみわじんじゃ)の御祭神。*画像お借りしています。そしてここにもう1
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その6物理学者であり電気技術者であった楢崎皐月が六甲山系の「金鳥山」(きんちょうざん)で出会ったヒラトウジ(平十字)と名乗った人物から見せられた「カタカムナ神社」のご神体だという謎の古代文字で書かれた巻物を書き写したのが、「カタカムナ」である。古代日本の科学技術や哲学を記したものとされるこの巻物には、円と十と小さな丸(点)を組み合わせたような不思議な渦巻きのような図形が螺旋状に書かれていて、これがカタカムナ文献であるという。楢崎は戦前の満州で
石上神宮は私にとって、自身のルーツにつながる、特別なお社です。石上神宮のご祭神は、布都御霊大神、布留御霊大神、布都斯魂大神。主祭神・布都御霊大神は、神代にタケミカヅチ神が帯びていた霊剣・フツミタマ。後に、天孫である神武天皇に引き継がれて、東征した際に、力をふるい国土平定を成し、そのご霊威を称えられた神です。神武天皇は、物部氏の遠祖である宇摩志麻治命に命じて、宮中に祀らせました。さらに、時代が下り、崇神天皇の御代に、物部氏の祖・伊香色雄命が現在地に祀ったのが、石上神宮の始まりとされます。布留
磐船神社(いわふねじんじゃ)の創建年代は不詳であるが、御祭神の饒速日命は天照大御神の詔により高天原より天の磐船に乗り河内国河上哮ヶ峯に天孫降臨した地であると伝えられている。饒速日命の子孫は、物部氏で古代大和朝廷の最大の氏族で、大連として代々の天皇に仕えており、ここ交野の地には肩野(かたの)物部という一族がおり、祖先の降臨の地として祭祀を行っていたとされている。当神社には、饒速日命が乗ってきた磐船を御神体として祀っており、古来より天孫降臨の聖地として崇敬されている。御祭神:天照国
39の県で「緊急事態宣言」が解除になりましたね。羨ましいような、怖いような…残り8の都道府県でも、早ければ21日(木)に解除されるかも知れないみたいですが、欧米の第2波のニュースを見ると恐ろしいです解除されたところで、日本人は100%気を抜いたりはしないと思いますが2019年11月12日、日帰りで行ける一之宮へ参拝しました一之宮貫前神社です【電車】上信電鉄・上州一ノ宮駅より徒歩15分。【車】上信越自動車道・富岡インター、下仁田インターより約20分。うちからは電車を乗り継ぎ、2
過去記事「天火明命とニギハヤヒ」https://ameblo.jp/happylife3749/entry-12358482201.html前回記事「ニギハヤヒ諸説」https://s.ameblo.jp/happylife3749/entry-12358858659.htmlの続きです。ニギハヤヒは、・邇芸速日命(ニギハヤヒ):『古事記』・饒速日命(ニギハヤヒ):『日本書紀』『先代旧事本紀』など・櫛玉饒速日命(クシタマニギヤハヒ):『日本書紀』・饒速日尊(ニギハヤヒ):『先代
祝詞と呼ばれるものには色んな種類があります。『大祓詞(おおはらへのことば)』とか『ひふみ祝詞』とかね。その多くは、【高天原(たかまがはら)にいらっしゃる皇祖の神々のお言葉によって、八百万の神が一同にお集まりになって、豊葦原の瑞穂の国を穏やかで平和に統治せよと・・・】というような意味の文言から始まります。古事記の最初の場面を彷彿とさせる感じです。中盤になると、瀬織津比売(せおりつひめ)速開都比売(はやあきつひめ)気吹戸主(いぶきどぬし)速佐須良比売(はやさすらひめ)という
「閑話休題」(六四)一,昨年から「乙巳の変」の検討を進めてきたが,大きな壁にぶつかり,筆が止まってしまった。「変」の標的となった「蘇我氏」に対し,その立ち位置を示すための明確な論拠となるべき史・資料を見出すことが困難となっているためである。既に拙論:「物部・蘇我の抗争」論で,物部守屋が討伐された舞台は北部九州であり,その本来の目的は「九州王朝」による物部氏支配の「竹斯国」の奪還にある,との見解を述べてきた。この点から論を進めるならば,「変」のもう一方の主役である「