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2018年10月妊娠32週で退院の話が出て退院予定日の2日前の診察で子宮頸管0.9センチ・・・ごめん、退院出来ません・・・まさかの展開。ふふふ笑うしかないですな。結局、34週で退院。家に着いたら夫が発熱。38度!まじかよ!退院の翌日、違う病院でMRI撮る予定でしたが熱が下がってなかったのでタクシーで病院へ。片道7千円でした。まじかよ!笑私がMRI検査受けてる時間に夫も内科へ。胃腸炎でした。そらしんどいわ。結果はその日聞けるとのことでドキドキ。あかぴーの病名は片側巨
夫はここ数年高砂部屋のお餅つきに参加させてもらっている。前日からお手伝いをして、当日も朝早くからお手伝いに向かう。今回は、お相撲さんに娘を抱っこしてもらいたくて、私と娘もお昼から参加する予定だった。でも迷子になったよね、私・・・。目印にしてたコンビニが高砂部屋の近くに2ヶ所もあるなんて知らなかった
9ヶ月に入って、保育園でも給食が始まった。どう見ても、家で私が作る離乳食よりも保育園の給食の方が豪華なメニューだ。ちょっと凹む。それでも、娘は給食も私の作った離乳食もちゃんと食べてくれる。ありがとうね。離乳食は良く食べるのに、風邪は常に引いている。風邪を引いていると、娘の薬は・フェノバール・デパケン・オノンドライシロップ
娘が7ヶ月になりました。もっちゃんは7ヶ月になる前日に手術でした。小さな娘を見てこんなに小さい体で大きな手術をしたんだなと思い出します。手術から2年7ヶ月後に発作が再発しました。2022年1月です。あれから早2年が経ちました。中々安定しない2年でしたがようやく落ち着いてきた気がしています。現在もっちゃんが服用中のお薬について。イーケプラ850mg/日朝夜ビムパッド200mg/日朝夜マイスタン6mg/日夜フィコンパ2mg/日夜多分、すごく量が多い。薬の調整を
3歳誕生日記念です。前もたれで立っています(直前まで支えています)前もたれで立っていますお座りは上手です。4歳誕生日記念です。草履で立つのは難し過ぎたので手を繋いで両側から引っ張り上げています。この構図はおすすめです!壁もたれで立っています。(直前まで支えています。)5歳の誕生日は撮りに行かないことにしました。妹ちゃんのお宮参り、ハーフバースデー、1歳誕生日たくさんありますので・・・
ある日、初めて娘が夢に出てきた。娘が死んだ夢だった。私は悲しくて泣いていた。目が覚めて、「あぁ、私は娘が死んだら悲しむ事が出来るんだ」と思った。娘の安楽死を望んでいた頃には、想像が出来ない事だ。あの頃は、それが最善だと思い込んでいた。
わーーーーー(;ω;)前回から更新がかなり空いてしまった!10月から仕事復帰(8.9月と妊娠悪阻で休職してました)したとたん、ブログを書く時間が一切なくなってしまった!そして連休に入った途端、息子の発熱です…(T_T)チーン。。先月コロナに罹患したばかりなのに、早速1ヶ月も経たないうちにまた40度を超える高熱。。。今日も39度後半まで上がりましたが、元気はすごくあったので良かったけれど。。平気で40度出ちゃう子どものお熱事情は大人からすると考えられないので、すぐ不安になりま
2018年12月病院に着いて小児科の受付へ声をかけると「もっちゃんさんですね。伺っていますので少々お待ちください。」って。ただでさえ不安なのでその言葉に少しホッ(´-`).。oO呼ばれて診察室へ動画を見てないらしく見せてほしいと。担当医になるA先生。A医「スパズムですね。おそらく大田原症候群だと思います。」どっちも初めて聞く言葉。なんじゃそりゃ。片側巨脳症は?それから検査のオンパレード採血MRI脳波検査脳波検査は短時間のをしてから終夜も。こんなん付けたまま夜中
面会時間の許す限り、夫と話し合った。この先どうなるかわからないけれど、今、出来ることをしよう。我が子が笑って過ごせる家庭にしよう。そう話して夫は自宅に帰っていった。翌日、MRIの結果と合わせて小児科の若い先生から話があった。最終的な診断としては「巨脳症」の診断と考えられる、とのこと。症状としては、てんかん発作、不全片麻痺、精神発達遅滞、はほぼ必発。また涙がこぼれた。
育児本より(6~7ヶ月)・腰を使って寝返りをする→寝返りは出来ない・人見知りを始める子もいる→親と他人の区別もつかない・夜泣きが始まる子もいる→昼夜逆転して、夜中突然泣く・離乳食は1日2回→どろどろのおかゆ小さじ3と野菜か果物小さじ1の1日1回・ママを呼ぶようになる→親がわからないだから呼ばない・お座りの姿勢ができる→高い背もたれがあれば、5秒位
現在、年中さん。地域の小学校か支援学校かとても悩む。年長さんの11月までに決めたらいいらしい。理想は、地域の小学校に行ってみて合わなかったら支援学校に転校、が出来ればいいのだけれど。現実的には難しいみたいです。小学校と支援学校の管轄が県と市で違うから。同じならば不可能ではないらしいという噂。知らんけど。さて、色んな人に話を聞いた結果私が感じたこと。①地域の小学校は、受け入れ拒否は出来ないから、行くことは出来る。でも、肢体不自由児を受け入れる環境が整っている学校はほとんど
5ヶ月の時に、娘がRSウイルスをやってから、咳が止まらない。オノンという薬が、気管を広げる作用に加え、てんかんにも効く事があるというので、毎日飲むようになった。これで娘の薬はフェノバールデパケンオノンドライシロップ熱もたくさん出たし、痙攣も1日に20回以上見ていると、もう頭がおかしくなりそうだった。ダイアップという、痙攣止めの座薬を1ヶ月の間に何度も使
フェノバールを減薬することにした。この薬の副作用と思われる症状で日中ほとんど寝ている事が多い。せっかく保育園に通園しているのだから、なるべく起きていて沢山の刺激を受けてきてほしい。でも2日後から、発作が増え始めた。1日に40回を超える。発作の形も増えてしまった。いつもはあまり動かない右手を上にピーンと伸
最後の更新が2020年8月。新居探しで忙しかった時期でしょうか。更新していないのにフォローしてくださる方も新たに居て有難うございます。もっちゃんですが、5歳になりました。2022年1月に2年7ヶ月振りに発作が再発し、薬の調整でなんとか頑張ってきましたが発作がなくなることはなく、2023年2月にACTHをしました。退院翌日から発作が出て愕然としましたが4月に入るとパタっとなくなり発作がない時期と多発する時期に分かれるようになりました。発作が多発すると1ヶ月ほど続き、そ
再び聞かれる「何ヶ月ですか?」この時は、夫の知り合いにバッタリ会い、その奥さんに聞かれたのだ。「7ヶ月です」5ヶ月の時よりも、更に怖い。「ハイハイしますか?」「いいえ、まだ・・・」ハイハイどころか、追視も寝返りもできない。「あぁ・・」(プニプニと
私の長男は、《片側巨脳症》という難病と共に生きています。現在元気な3歳児!!よく食べ、よく喋り、よく動く(基本インドアだけど)、とにかく毎日楽しく過ごしています!病気についてはこちら↓『ブログを始めます!』こはるです。息子を産んで、早3年…息子について、息子の病気について真剣にブログを書きたい。ずっとそう思いつつも、病名を出して我が子を曝け出す勇気が持てず、結局…ameblo.jp息子が生まれてから、病名がわかるまでの約2ヶ月間。私にとってその期間は生まれたばかりの我が子
育児本より(1歳0ヶ月~1歳3ヶ月)・ひとりで歩ける子が増える→歩けない寝返りは仰向けから90°横向き(左)ができるようになった少しの間だけお座りができた!うつ伏せは嫌いズリバイはできない・言葉を話し始める→意味のある言葉は話さない奇声や声は発する調子が良ければ笑う・離乳食は完了期
正直、私はお食い初めもお宮参りも、する気にはなれなかった。お食い初めは、大学病院の保育士さんや看護師さんが「どうしますか?いつやりますか?希望はありますか?」と、ある意味しつこく(笑)聞いてきてくださったので、小児科病棟のベッドの上でささやかにお祝いしてあげる事ができた(みなさん有難う)。でももういい加減、お宮参りの写真くらい残してあげないといけないな。