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本当に大変でした。どこの証券会社に預けているのか?もう、父もどこに預けているのか?その証券がどこにあるのか?お手紙が送られてくるものは、調べればわかるのですが、どこの証券会社に預けているかわからないものも沢山。以前は、家に株券などがおいてあったものですが、その原本も私も昔、見たことがあったのですが。現在は、それもなし。何をどこに預けているのか?多分、最後には、全部、処分できたとは思っていますが、もしかしたら・・・・。ということもあるかもしれません。父も母もギャンブラーというこ
みなさん、認知症のパニックってどんなものかわかりますか?言葉の暴力が主なものですが、これによってどんどんと興奮していって多分、本人でさえ何を言っているのかわからなくなるとなってくるんです。相手が、怒り出したり、これを止めると余計にエスカレートしていくということが付き合っていくうちにわかってきました。ですので一番は、話しをそらしてほかのことへ興味を持っていくということです。しかし、父も認知症でしたが、母も認知症。母の認知症は、怒るということはあってもパニックを起こすということはありませ
父は、病院は、大好きでした。でもね。救急車で運ばれた時は、家族も一緒。それもあったのだと思います。父の周りに沢山の人というのか、家族。自分の話は、自分で聞いてというのを繰り返してきたので私たちに自分の話を聞かれるのも嫌だったのかもしれません。でもね。本当に困りました。先生に暴言をはき、家族にも暴言をはき、何を言っても聞く耳もたず。だから、私たちは、耳が聞こえていないのではと思ったほどです。高齢になると補聴器をつける人が増えているので父もそうかもしれない、と病院の先生とも話しました
昨日、言葉の暴力の話を書きましたが、これが、ひどくなっていくと手が出てくるんです。始めのうちは、物に当たっているのですが、母がなだめようとすると余計ひどくなると書きましたが、その上を行くときがあり、余計に興奮して手が出てくるんです。すると母も手が出てきて、二人のケンカは、本当に大変でした。そして、母は、最後には泣き出して、私の家に電話。大抵、家にいる私。だから、この電話で父に電話を変わってもらい、興奮している父の話を別な話へ。それが、夜中に起こると大変。泣きながらの母の電話が夜・夜中
父がぎっくり腰になり、救急車で運ばれた時のことです。救急隊員の方は、本当に見事に父を簡単に救急車まで運んでくれ、本当にありがたかったです。救急車の中でも父は、なぜ、こんな車に乗らなければならないんだと騒いでいた父でした。まあ、いつものこととこちらもかまえていたのですが、この後の先生の診察これが、大変だったんです。診察室に入り、先生とお話。でもね。父は、話が聞こえない。「僕にわかるように話せ!」「こそこそ話すな!」「聞こえないから大きな声で話せ!」とでもね。診察室ですから、そんなに広
生きている間に見つからなかったものとありましたが、これらのものは、亡くなってからも見つかりませんでした。まあ、通帳は、わんさか出てきたのですが(笑い)。通帳が無くなったと言っては作りを繰り返していたんだと思いますが。しかし、置いた場所、しまった場所を忘れてしまうというのは、よくあることですが、年をとるともっと忘れるのです。でも、父にとっては、他人にはわからない所にしまうということが頭にあったんだと思います。考えたら、父が生きていた時、布団の間から、母が通帳を出してきたことがあります
父と母のところに、コロナのワクチン申し込みの手紙が来た。もう何一か前に届いたんだけどね😅やり方が分からない、と世間一般のご老人のようなことを言っている。「ゆこたん、やってくれ」とこれまた世間一般のご老人のようなことを・・・😅私も見ては見たけど、こう言う文書って苦手で、読む前から拒否反応母はすっかり微熱で心が萎えているのか、「キャンセルって出来るの」とか「やめようかな」とか「申し込み時に熱がある人はダメなの?」とか言っている。じゃあ、両親
皆様ご機嫌いかがでしようワインと洋食Gubの井上美智代です3月2日は母の命日でした私の母も大腸がんで、20年前に57才で亡くなりました夫も57才で亡くなってしまいましたので…あちらでは同じ年齢なのかな…母が大腸がんになった26年前、当時は本人に告知はせず家族だけに「がん」を知らされましたそれも突然に…母は「盲腸の手術をしてくるから」と病院に行き、私も仕事が終わってすぐ病院に行きました盲腸の手術にしては長すぎますやっと手術が終わって先生からお話があるとの事…父は北見に単身赴
特養に入り、いろいろなことがあり、入ってからも問題行動も起こしていた父。しかし、上に書いてあるように態度が違う父がいました。私に対しての父の行動。これには、本当に参りました。まあ、実家にいるときは、これほどではなかった父。でも、やはり、同じようなこともあったんです。男の人は、力があるというのは、本当ですが、パニックになるともう、手が付けられなくなって。まあ、話しをそらしてということを繰り返してきたのですが。家族とほかの人との区別は、ついていた父。入ったころは、態度がまったく違
人気ブログランキング両頭愛染明王両頭愛染明王は、明王尊の中でも特に強力な明王です。それは、不動明王と愛染明王の合体仏という特殊なお姿にあります。向かって左が愛染明王、右が不動明王、二尊の力が一つになり凄まじい効験が表されます。慈悲の力は観世音菩薩以上と思われます。後醍醐天皇が最後まで信仰心を崩さずに祈り続けたのが、両頭愛染明王です。密教には、金剛界と胎蔵界の二つの世界があります。金剛界が智慧。胎蔵界が慈悲。金剛界が理論で父親、胎蔵界が愛情で母親です。金剛界を代表する明王が不
滋賀には、コストコがなく、行けなかったのですが、(私たちが山形にきたら、どうやら、噂で、滋賀にもコストコできたようですが…)山形には、コストコがあるので、カードを持っている父と母に連れて行ってもらって、何度か行きます。が、今年になってから、なんだかんだと、母たちとも、妹とも予定が合わず、行っていません。早く行きたいのだけれど、まだ、予定が合わないと言っている間に、田んぼの仕事が入ってきました。こりゃ、しばらく行けないなぁ〜そういう時に限って、コストコのおすすめという動画出ち
こんにちは母の面会時待合室で口を開いた父母がようやく退院して家を歩き回れるようにちょうど水曜日頃から外をゆっくり歩こうかと話していた矢先再入院ようやく家に帰ってきてうれしくて話してはケンカして、、また離れるのか、、ボソっと言ったあと病室で揉め揉めしてた(笑)放っておきました幸せじゃない(笑)おふたりさん今年は桜を見れないなぁそんな母に通院の帰り車の窓ごしに桜を見せた父揉め揉めも幸せの1つだと知りましたかぁさんは心臓の弁がこうであーで血液が逆流しち
父も母も亡くなる最後まで話は、できていました。母の場合、老衰で亡くなったのですが、亡くなる1時間前まで私と会話を楽しみ、明日、来るねと別れたんです。そして、私が家について少し経つともう、あぶないです。とお電話がありました。これには、びっくりしました。面会した時は、寝てはいましたが、会話をしてお水を口に含んでトイレも先ほど行きました。と話していたので。老衰は、物が食べられなくなると聞いていましたがその通りでした。徐々に食事の量が減っていき、食べることを忘れてしまうというのか、食べなくても
高野山奥の院へ、九重御守りを返納して、新たな御守りを入手したいと思い出かけました。九重御守りは昨年母の闘病生活で大変お世話になった御守りです。いつか高野山へ出向いて御礼を兼ねてお返しに行きたいと思っていました。今年はコロナがあって旅行などが出来る状況ではありませんでしたが、先月頃からずっと御守りのことが気になり出して、ようやく深夜バスの予約をして行く事を決めました大阪難波から南海鉄道、バスを乗り継ぎ「奥の院入口」で下車。一の橋から弘法大師様が迎えてくださっているそうです。⬆️大師
父と母の実家を片づけている日が続いてきましたが、家を売ろうということに決まりました。相続の手続きが終わり、そして、片付け、まだまだ、物は、いっぱいあるのですが、欲しいものだけを自宅へ。ごみの処分も大変でした。何しろ、なんでも取っておいた父と母。ものが沢山あるんです。後は、使えそうなもの欲しいものを持って帰ってと思っています。そして、結局、鍵が見つからなかったんです。それで、不動産業者の人に聞いたら、鍵は、新しいものに換えなくても大丈夫ということになり、ほっとしたところです。色々と
我が家の枝垂れ桜は8〜9分くらい咲いた。この日は多摩市までお墓参り熱海の家からは車で2時間ちょっと見事な枝垂れ桜芝桜が咲いていてきれい父と母に会えたようで嬉しくて涙出た。緑の桜もあった。花が大好きだった父。花に囲まれたお墓で喜んでるだろう。こんな素敵な場所を見つけてくれた兄夫婦に感謝です。懐かしい乞田川甥っ子を誘い昼ごはんへ牛肉が大好きだというのですき焼き定食😊14時に甥っ子と別れ熱海の家に帰る。小田原過ぎて海が見えるとホッとする父と母に会うこと出来て嬉しかった
2年前のこの時期人生のどん底にいました。実家に帰るのも妻の実家に挨拶に行くのも嫌でした。とりあえず実家に帰りましたが、また父と母に弱音を吐いてしまいました。申し訳なく思います。妻の実家にも挨拶しに行きました。今年はやっと普通の?対応をしてもらえました。昨年は職場の人間関係で悩みました。今も悩んでいますが…。父も母もいつまでもいません。今年は何とか自分で折り合いをつけられるよう試行錯誤しながら生きていこうと思います。悩みは尽きませんが、頑張って生きようと思います。
父の一周忌法要そして母の三回忌法要を一緒に執り行いました母がなくなりわずか5ヶ月で後を追うように逝った父正直に言えば…なんて羨ましいんだろう59年の結婚生活そして半年とあけずにまた空の上で一緒にいる娘のワタシは叶わなかったこと
元旦那さんの存在ってどんな感じですか?二度と連絡を取り合いたくない子供のことがあるから連絡を取り合うそれぞれに家庭を持って距離がある色んな離婚理由があって、別れた元旦那との関係性って微妙に違いますよね最初は連絡を取り合うこともしたくない相手でした。今は、息子のことを話し合う相手です。同じように元旦那さんが思っているかと言ったらそうでもないうちは、元旦那は内縁の妻がいながら…復縁を狙ってるガンガンアピール全開全くそんな気ないですよ〜それはハッキリ伝えてます。もう元には戻れ
もうあまり会えないだろうと久しぶりに母と手をつないで一緒に寝た宿のことを今日、想い出していた温泉のお湯が異常に熱くて逆に印象に残っていたんだ覚悟を決めて旅立った地で色々…本当にいろいろあったけれどまた故郷(ここ)に戻って来られて「良かった!」ってしみじみ想った帰り際に見た父と母はふたりならんで昔よりすこし小さくみえてちょっぴり淋しそうに手を振った今度は父の大好きなピーナツパンを買ってまた会いに来るからね😊
父の変化に気が付いたのですが、それからが大変。母を説得するのが大変だったんです。病院へ行こうとしても、母は、頑として父は普通通りと。この説得に半年ほどの日が経ちました。お寿司の食べ方に始まり、そのほかにもいろいろなことがおかしいことに気が付いたのですが。それで、いつも行く内科に行くときに一緒に行こうとなりました。そして、行ってみてびっくりしたのは、そこの内科の先生からは、認知症の進みを減らしていく薬が出ていたんです。でも、その時には、病院の予約をしても、その日に来てくれないと先生の方
コロナ禍の中では、特別養護老人ホームでの普通の面会はできず、それがずっと続きました。その中で母が亡くなり、父も亡くなりました。母が亡くなった時は、老衰ということもあり、特別面会という形で面会ができました。病室で一人10分。人数制限はなく、一人ずつ10分交代で面会ができました。一人ずつ入る特養の部屋へ。そして、入る前には、外で石けんで手をきれいに洗って。そんな面会でした。今でも面会が制限されている施設があるとの話を聞いています。本当にコロナは、どこにウィルスが飛んでいるのかわか
豆餅を作ったと届けてくれた自分は母の豆餅を食べることはできないがいつまでも元気で届けてほしいそんなことを願うと涙が出る父と母と将来の話を少ししたあとをどうついでいくかという避けては通れない話自分がこんな体だから随分と思い悩んでいるだろう心中察する不安であろう母は言うどっちか一人になれば施設に入るという本意ではないであろう受け入れがたい母の言葉胸が苦しくなる残酷な病気を呪う
老健は、入れる期間が決まっている施設。3か月と決まっているのですが、その人人の病状によって違ってきます。母は、5か月ほどいました。次に行く施設が特養と決まった時が3か月ぐらいの時だったんです。それで、特養が空くまでの期間、老健の方にいさせていただけました。老健というのは、病気を治し、リハビリをする施設。お医者さんも常駐している施設です。ですので普通では、入れない施設。特養に入ることになり、父との生活も始まる母でした。でも、母は、自分がなぜ、ここにいるのかがわからずに老健に入っ
登場人物紹介アメンバーについて昨日は、大雨に風に、さんざんな天気でした・・・そんな中、どうしても買いたい物があって、でもでも、ヤダなぁ・・・と思いつつ・・・でもでも、私が行かないと、誰が行くっと、意を決して、桃ちゃんに乗って、出かけました。(大げさですみません結構めんどくさがりなのです・笑)買ったものは・・・・・・私とじくさんの、ではありません(残念)父と母の40周年の結婚記念日でしたこういう時期なので、せめて、ケーキでも食べて元気になってもらいたい夕ご飯
今日は、昨晩のメソメソから一転して明るく過ごせました。故に、皆様からの温かいメッセージのお陰です。ありがとうございました。アメ友の皆様、感謝いたします。また嬉しい出来事がありました。まず職場の仲間が、休日にも関わらず御見舞いに来てくれました。仲間と言っても、大先輩のお2人で、C先輩とI先輩(失礼な言い方ですいません)同僚のK君が遠路はるばる来てくれました。両先輩には、メカニックとしての、基本の基を教えて頂き今の僕の礎
『仏壇の移動・・・しました。』お久しぶりです。母が旅立ってから、もうすぐ半年になります。葬儀の様子やその後のこと、かけずにいます。できれば年内に完結させたいwさて、この度、我が家に…ameblo.jp仏壇の引き出しは、全部確認したはずだったのだけど、一番下にも引出しがある事に気がつかなかった。で、撤去する時に、作業の人が開けたんだ。何が出てきたか?現金?預金通帳?遺言書?ではなく、父が書いた般若心経を写経したもの。十数枚あった。日付けをみたら
おとといと昨日、父と母の月命日でした。今月もちゃんとお供えしています。16日ご飯、お味噌汁、たくあん、きゅうりの和物、大根の煮物。17日ご飯、お味噌汁、たくあん、ひじきの煮物、ほうれん草の胡麻和え。7月末に父の3回忌の法要をする予定で、お寺に予約しました。あっという間に月日は経ちますね。たぶん来年は母の7回忌ではないかなぁと思います。ちょっと前に調べた時、そうだったと思う。父と母の法事が同じ年になることはなかったし。2人は空から見ててどう思っているのかな。実家処分まで、私
あれこれ、Kさんに聞いた後しばらく、近所の公園で1人になりました。なんというか、情けないの一言。自分の行いで、傷つく人がいる事を想像できない。理性が働かない。自制心が壊れている。…とりあえず、父親とか、男とか関係なく、人としてアウト。道徳の授業、一からやり直せ。→もう手遅れか。元々夫は、出会い系が好きだ。SNSも好きだ。過去にその事で何度か喧嘩もした。それこそ、浮気した事もあり、一番最初にされた時は本当に辛くて、悲しくて泣いた事もあった。でも、夫はずっとやめなかった。
よくある話と思うけど父と母がケンカをすると口を効かなくなるで、風が伝書鳩に使われる。お父さんがこう言ってたよお母さんがこう言ってたよってあっちこっちに行かされてイライラした言葉の伝言を託されるほんっとに嫌だった。しだいに母からは「お母さんは家を出るから風はお父さんと暮らすんやで。」「あんたが学校から帰る頃にはお母さんはもういないからしっかりやっていきなさい。」などなど離婚や