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日本映画の黄金期を支え、演劇界の重鎮として最後まで現役を貫き、俳優養成の私塾『無名塾』を設立して役者の後進育成にも力を注ぎ、昭和、平成、令和と3つの時代で第一線に立ち続けたまさに『巨星』と呼ぶにふさわしい名優・仲代達矢さんが11月8日、肺炎のため92歳で亡くなられました。仲代達矢さんが残された功績は日本のみならず世界の映画史に深く刻まれています。日本映画の歴史を語る時、仲代達矢という俳優の名は、艶やかなスター俳優という輝かしい光に包まれた人というより、いつも静な重さを背負い、鋼の
約束を果たすために
11月8日に仲代達矢さんが92歳で亡くなられました。今年の5月~6月にも「無名塾」公演で主役として2時間半出ずっぱりの芝居をこなしていたといいますから、本当に最後まで役者として生きた人生でした。心よりご冥福をお祈りいたします。演劇、映画、テレビと活躍された仲代達矢さんですが、僕が子どものとき、はじめて仲代さんを認識したのはCMでした。シオノギ製薬のCMや新聞広告に出ていて、子ども心にお薬の宣伝にちょっと合わないんじゃないかと思っていました。(失礼)何しろ、仲代さんはギョロッとした目をしているし
昭和の名優の一人である仲代達矢と圭吾兄弟が「徹子の部屋」に出演するシーンを見た。「七人の侍」の存在感溢れる演技はじめ、ブレヒト作品を積極的にとり上げた功績は大。(ちなみにブレヒト&クルトワイルの曲を日本に紹介したのは銀巴里の女王である瀬間千恵)さらに俳優養成所「無名塾」を創設し、役所広司、益岡徹、若村麻由美など多くの名優を育てたことでも知られる。弟である仲代圭吾は、シャンソン歌手として日本のシャンソン全盛期に活躍した一人。特筆すべきは「俺はコメディアン」のヒットで知