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前回のCT検査から4か月経過しましたので、大腿部から頸部までのCT検査を行ってきました。結果は、転移なし前回に引き続き無事クリアできましたそれよりも大寒波の影響で、いつもは40分くらいで着く道が2時間以上かかって着いてしまいました。私の住む地域は雪が積もることなど滅多になく、大体4~5年に一回のペースでしか積もりません。その影響かどうかわかりませんが、徐行スピードくらいでしか進まなかったので少しストレスでした。普段は冬もノーマルタイヤですが、保険として車に積ん
イベント1日目の夜折角の機会なので、夜はおいしい料理を食べて、上機嫌でホテルに帰りました。ちょっと夜食を買いに近くのコンビニへ部屋への帰路、なんか足がおかしい気がする部屋について靴を脱いでベッドに横になってしばらくすると足に激痛が前回と比にならないくらい痛い。だんだんと呼吸も乱れはじめ、気づけば過呼吸気味に妻に助けを求め、止む無く救急車を呼びました。近くの病院まで搬送されましたが、整形外科系の症状は特にできることはないらしく、痛み止めの座
いきなりなタイトルですみません。今日、息子の診察日で大学病院へ行きCT検査を受けてきました。朝一検査で忙しい中でも、今気になる場所である術後の範囲と怪しいであろう場所をしっかり見て頂いた結果は、一つは炎症であろう多分腫瘍では無い。あと一つは2か月前の状態と変りない?微増大?で様子見で大丈夫と思うから、と言われたんですがまた少し空気の漏れがあると言われました。本人は全く自覚症状無いみたいなんですが…取り敢えず次回の診察日を決めて帰路につき、息子を学校に送り届けて私も会社に向かいました
12日、訪問の先生と看護師さんが来てくださった。訪問は2回目。なんだかんだと行き違いがあって間が空いてしまっていた。以前の訪問の時に大学病院の主治医のことは話してあった。外来受診の予約をすっぽかしたことを打ち明けると、「いいの、いいの。大丈夫、行かなくていいから」と言ってくれてホッとした。緩和外来の予約も別の日に入っていることを相談すると、「もう行きたくない所へは行かなくていいからね。お家でゆっくりしましょう」と言ってくれた。息子の顔色
今現在の息子の状況です。2021年9月に科学、外科、放射線と全ての治療を終えてから今日まで抗がん剤系は無治療です😅でもって原発巣は再発も無く安定してますが今年2月のCTで影が確認され2ヶ月見落とされての4月受診で肺転移確定。GW中に手術で摘出も1ヶ月後のCTで新たに3つの転移が見つかりました。しかも両方の肺に転移なため、一度に摘出出来ず。8月に血管に近い方とも一つある方の摘出をしてもらい、現在は一つ残ったまま経過観察。この間も無治療です。理由は息子の場合、化学療法があまり効
今朝はなんとなく3時頃に目が覚め、寝ようとしてもなかなか寝付けず。。。特に何かあるわけでも無く、ヒナヒナさんたちもぐっすり就寝中。朝8時頃、バタバタとしながらふとコザたちのケージに目をやると、最年長のまりもが定位置にいない。まりもの定位置は、鳩時計のように巣箱の穴から顔だけ出しているか、巣箱の上に乗っている。「どこだろ?」と思って覗き込むと、扉の向こう側で冷たくなっていた。まりもは12年前に山梨から我が家に来た。生後4か月くらいだったかな。同じ時期に大阪から来た菜々ちゃんと
入院する場合、救急搬送された場合、在宅医療に移った場合、聞かれたことがある人も多いはず。「延命治療はどうしますか?」息子は、在宅になって最初の往診で書類をもらった。どの措置を希望して、どの措置を希望しないか、事細かく書かれていた。私が「延命措置なんてしないよね」と呟くように言うと、息子が驚いたように私の顔を見て「えっ?」って言った。私も驚いて「えっ?」って聞き返した。だってがん患者の延命措置は、それによって蘇生したところでガ
滑膜肉腫と診断された日妊孕性温存治療の次に先生にはセカンドピニオンをすすめられました。はじめに先生に提示された治療方針としてはAI療法(A:アドリアマイシン、I:イホマイド)と手術を組み合わせた治療で①術前化学療法3コース+手術+術後化学療法2コース②手術+術後化学療法3コースの2種類を提示されました。基本的には標準治療である①をすすめられましたが、直近で臨床試験がスタートしており、①と②のランダム試験があったので話題として提示されました。
救急で大学病院Dに行った翌日担当医の診察を受けたのち、MRIの予約が取れた地域連携の総合病院Eに直行しました。造影剤の点滴待ちの間、通りゆく看護師にパンパンの足を心配され1時間待ってやっと撮影することができました。造影剤入るまでの撮影時間がすごく長く感じて、薬が入る瞬間も何とも言えない血管に重い感じがありました。無事撮影を終えて2日後に説明を聞くことに。症状が重いこともあり大学病院Dの読影医と担当医に診断を急いでもらいました。結果は、「ただの
2014年3月20日に広範切除手術を受け2週間ほど入院してリハビリに取り組みましたはじめは歩行器を使って歩き始め、次に廊下を歩き、リハビリルームに通って階段の上り下りができるようになったころ一旦退院しました数日自宅に帰ることができましたがまたすぐに入院して4月10日頃から化学療法が始まりましたこれは2014年の記録になるので、現在(2024)は治療方法が変化しているかもしれません軟部腫瘍は今でも忘れられたガンとよばれています患者数が少ないので研究があまり進まず私が
今日で、術後丸5年になりましたブログを始めてからは丸4年いろいろありました術後に抗がん剤治療を受けていなかったらどうなっていたか?抗がん剤の効果はあったか?今があるのは、治療を受けたからだと思うようにしています地元の主治医からは猶予が与えられている期間ですと肉腫科のT先生からは肺と肝臓への転移に注意するようにと言われています術後の病理の結果はひどかった💦核分裂像は10視野あたり15以上活発な腫瘍でしたほぼほぼ転移覚悟5年生存率を調べてびっくり先日の
総合病院Fの初診日パンパンに腫れ上がった足の針生検をしました。ただ触るだけでも痛いこの足にぶっとい針を刺すのかと思うと怖くなりゴネてしまいました。膝裏から神経ブロック注射をしてみるというので渋々受けることに、5〜6回ほど針を刺しては、バチンッ!!痛みと音にもビクビクし、途中何回か局所麻酔を追加してなんとか終えましたが、終わった頃には涙目でした。その日の検査でバイ菌が入って足が腫れてるのではなさそうと診断され、取った組織は病理検査に出しました。そして、2週間後に結果を聞きに行きました
昨日小児科の先生から胸膜播種の疑いあり?と告げた息子ですが、今日再度チームで話し合ってから結論出しますと言われ昼に電話するもまだ確定せず…再度15時に連絡下さいと言われたので電話するも意見が分かれている模様。呼吸器外科の先生達は、多分違うでしょ〜と一方で放射線科のチームは疑い有りと…んで疑い有りで放射線の検討も視野に入れてと言われましたが、思わず「違ったらどうするんですか?」とついついツッコんでしまいました。それよりも一つ残ってますよね?それを取りつつもついでに診る事は無理なんですか?
私は難病持ち。難病が故に患者も少なく、病名がわかるまで1年以上かかった。都内の大学病院はほとんど回った。気のせいと言われたり、「心療内科を紹介しましょうか?」とまで。後に、当時地方の大学病院にいた教授が確定診断をつけてくれた。その教授は温厚な方で、その後東大の一番偉い地位にも就いたらしい。1年以上入院しているといろんな人と同室になった。それはそれで楽しかったのだけど。私には軽い潔癖症がある。部屋にあるトイレの音(大の方)でもウッ!となる時があ
すっかり御無沙汰してしまっています午前、午後と人の出入りがある事(とっても助かっているのは事実)、息子が立ち上がったり座ったり歩くのが不自由なので、一々用事を頼んでくること(決して嫌では無いけど)、痛み止めのお薬のせいで眠気が常にあること、半端ない疲労感があること等がサボっていた言い訳息子は、体を自由に動かすことは難しいにしても、良く食べ、よくゲームを楽しみ、1カ月足らずで体重が3kgも増える程元気です先日は、スタパの新作が食べたいと、リハさんとふたりでスタバまでお出かけリハ
タイトルの通り、滑膜肉腫と診断されて1年経ちました。まずは、治療中に増悪することなくここまでこれたことに感謝です。診断された当初は絶望以外何もなかったです。まさか自分が、なんで自分が、、、、なんてことをずっと考えていました。その時は腫瘍は8cmもあり、下腿切断もちらついたので、自分の足で歩いたのはあれで最後だったのかなぁ。。。とかいらぬ想像ばかりしていました。幸いにも患肢を温存することができて、また自分の足で歩くことができます。想定外だったのは、切除断端陽性だっ
術後、1年5ヶ月の診察に行ってきました子供のことがまだ落ち着かず寝不足な上に肋骨や腹部の痛みもあり心配した妹が付き添ってくれました前回1月に胃腸炎だと思っていた炎症がCT画像で見ると膵臓の周りにモヤモヤとした影があり、膵炎だったのではないかと要経過観察になっていました今回はどうかなと心配してましたがやはりうっすらとモヤモヤが残っていました肋骨や腹部の痛みに関しても聞いてみましたがあまり無いケースだと腸が活動して動く時に痛みが出るのではないかと先生もいろんな可能性を考え
針生検の結果によって滑膜肉腫と診断されましたが、どうやら針生検では採取できる組織の量が不十分のため確定診断には至らないとのこと滑膜肉腫の中にも3つの組織型?なるものがあって、それを確定させるために、メスで腫瘍の一部を切り取って十分な大きさの組織を採取する切開生検を診断日翌日に行いました。やり方はほとんど針生検と同じですが、メスを入れるので、より強いブロック注射を使うために手術室で行い、涙目になりながら終了しました。私の腫瘍はパンパンに筋膜の中に入っていたらしく、がん細胞が増殖しては自壊を繰
ヴァンフォーレの試合へ行って、大学時代を過ごした、都留市へ行って、横浜のアンパンマンミュージアムへ行って、ついでにベイスターズグッズを買いました。今日は自宅でのんびり中心。授業で必要なキャベツの苗を、妻の祖父母宅にいただきに行き、ついでに学校の畑に植えてきました。明日からまた頑張ります👊
処方された薬が切れそうになったため整形外科Cを再診。この日は代理の先生だったので、初診と同じように説明し、診察を受けました。どうやらこの代理の先生も違和感を感じたようで、より専門的に診れる大学病院Dを紹介されました。後日、大学病院Dを受診し、最後にMRIを撮ってから1年近く経っていたためまずはそこからということでMRIの予約をしてその日は帰宅。予約は3週間後。当時は激痛に襲われて少し時間も経っており、足の調子は落ち着いていて、少し歩くくらいならなんとも
腰痛になりました子供の引越しと主人の引越しで荷物の搬出、搬入を繰り返すこと5回グキッとなったわけではありませんが立った瞬間に「あ、このままだとグキッとくる」感覚に襲われ誤魔化しながら作業をしていましたその感覚を繰り返すうちに、常に痛み始めついに本当の腰痛になってしまいました1度良くなりかけたのに、油断して掃除機をかけたところ、また痛み始めました塗り薬で我慢していましたが一向に良くならず滑膜肉腫の時にお世話になった近くの整形外科へ行ってきました久しぶりだったので滑
3年生担任になって約1ヶ月が経過しました。毎日頑張っています。教員になって,ほとんどが高学年の担任だったのでとても新鮮な気分です。(3年生を担任したのは過去1回。しかも,期間採用の時。)初めての理科・社会・習字・リコーダーに立ち会うのはとても楽しいです。そして,特別支援学級担任をしていた2年間で,自分なりに学習して,蓄積しておいた実践を少しずつ試しています。特に,ICT端末を活用した実践は,あまり特別支援学級の時には,児童にそぐわない部分が大きかったので,たくさんしてみ
主治医のT先生はとても気さくで良くお話をしてくれます化学療法中でも時々顔を出しては窓際にもたれかかって、いろいろお喋りします多分、普通の先生方はあまりしないと思いますが、御自分が担当した患者さんたちのお話しもしてくれました同じ滑膜肉腫の男性ステージⅢで広範切除手術して化学療法それからもう5年経って元気に仕事もして半年に一度関西から診察に来るんだよ20代前半で滑膜肉腫になった女性広範切除手術は受けたけど、髪の毛が抜けるのは嫌だからと、化学療法は拒否それでも再発も転移もな
久しぶりの投稿になってしまいました受験が終わった子供にずっと振り回されていました国立大学医学部の合格をいただいたものの本人的には無難な学校を選んだことが最後の最後まで引っかかっているようで浪人したらさらに上位校へ行けるのではないかと考えてしまうようですおまけに私立の補欠合格が3月の終わりギリギリまで来るので、親も子どもも落ち着きません我が家はサラリーマン家庭子どもも三人もいるので私立はそもそも無理ですがもしも国立がダメな時にはローンを組んで私立に行きたいと一応受験を
2022年10月後半最後のfolfirinoxの投薬が終わりました約4ヶ月の間に、ステントの交換は3回最後の方はゆるゆるになっていたようですCTでも腫瘍は確認できないほど小さくなっていました腫瘍マーカーも値はなんと17.7先生を信じて、悲観的にならず、毎日母と散歩して笑っていたことが良かったのかな滑膜肉腫の時のT大学病院の担当医だったT先生にも報告私はこのT先生にどんなに励まされたことか分かりません面白くていろんな話をしてくれる先生ですが、滑膜肉腫の手術、化学療法が終了した時
2日前の夜、息子をトイレに連れて行った。昨日の朝、「夜中にトイレひとりで行ったの?」と聞くと、「行っていない」と。えあわててトイレに連れて行く。「一度にたくさん出るから大丈夫だよ」とのんびりと言う息子。そういう問題じゃない手も脚も体も確認。浮腫みは無い。尿が出ないということは終わりを意味する。昨年亡くなった父母も、最後は尿も出なくなり、体はガリガリなのに手足はパンパンに弾けそうだった。多分、トイレに行くのが体力使って呼
最後のFORFILINOX投与が10月半ば膵頭十二指腸切除手術が11月10日その頃には髪の毛が5割から6割くらいになっていました滑膜肉腫の時は全ての髪の毛が抜けたので帽子をたくさん買いましたそんなに要らないだろうと思うくらいウィッグも使って、その上に帽子をかぶっていましたウィッグがないと襟足の部分までツルツルなのでバレそうでドキドキするのですでも5年ほど経ってから、もう絶対に要らないだろうと、半分祈るような気持ちで帽子は全部捨ててしまったのですFORFILINOX投与中は夏
さて約2年程続いた大学病院等での滑膜肉腫に対する完治を目指す怒涛の治療を終えた。ゲノム検査の結果も踏まえ現時点で既に「保険適応治療法はなし」という最終結論が言い渡されている。定期検査すら不必要今後転移性肺腫瘍の進行が止まることはあり得ない進行していく腫瘍を検査する意味すら見い出せないということらしい治療に消極的だった自分が主治医に説得され続けながら治療を選択してきたこの2年間を振り返るとここにきてまさかの肩透かし、互いの対応に逆転現象が起きたことに
今日は半年ぶりにT大学病院で滑膜肉腫のMRIと診察でしたおかげさまで画像に問題はなく、先生からも「もう10年経つから大丈夫だよ」と言われましたでも膵臓のことや諸々、先生に会うことで元気をもらえるので、と半年後にまた診察だけ入れてもらいました病院までの遊歩道もすっかり春仕様になってました
高校に入学したばかりで、受験からも解放されて生き生きと毎日を送っていた春。まるで交通事故にでも会ったように病魔が息子に降りてきた。「これ、筋肉かなぁ?」息子が私に右の二の腕捲ってを見せた。息子は中学で3年間陸上短距離を走っていた。体中の筋肉が逞しい。「どれどれ?」肘よりちょっと手首側の盛り上がってる部分。確かに左より大きい。「痛い?」「なんともない」「痛くないの?堅いね。病院行こう」「ヤダ!なんで痛くないのに病院行くんだよ!」「痛くないのにこんなに固い大きなものがあったら