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保元の乱からわずか3年後の平治元年(1159年)。再び武力によって政治が動く事件が起こります。「平治の乱」です。後白河天皇方が保元の乱で勝利した結果、天皇家ではもはや政治に干渉できる上皇や法皇がいなくなったため、久しぶりの親政となりました。親政というのは、国王・皇帝・天皇などの君主が自ら政治を行うことを言います。そうした中、権力を急速に高めていったのが、鳥羽法皇に才覚を見出され、後白河天皇のブレーントラストとして頭角を現していた信西(しんぜい、俗名:藤原通憲)です。信西は国家
保元元年(1156年)7月。頼政のみならず都の武士を二分し、数百年の間戦火にさらされることのなかった平安京がついに戦火にさらされる事件が起こります。「保元の乱」です。話は保元の乱より30年ほど前の保安4年(1123年)2月にさかのぼります。鳥羽上皇は、当時“治天の君(※1)”として権勢を振るっていた祖父の白河法皇の意向により、不本意ながら自分の第1皇子である顕仁親王に皇位を譲位、第75代・崇徳天皇(すとく-てんのう)が即位しました(顕仁親王はこの時5歳〔現代の数え方だと4歳〕)。
空海さんの話です。魔物がターゲットに選んだのは、著者と読者であった。わしも著者とは面識があった。あいにくだがこの著者は、謝り訂正する態度をもっておらんようじゃぞ。(面識のある空海さんが説得をしてもだめなら、誰が説得しても桜井さんを救えません。自力で気づきを得るしかありません。)陰陽師様は、五芒星巡りとなるとれっきとした呪いだとおっしゃいました。源義朝様は、絶頂期に人は有頂天になる。なんでもうまくいくのだとと思いこみ油断した為だ。魔物は速攻でいとも簡単に著
人形劇「平家物語」は平治の乱の場面でした。どうも源義朝は権力がほしい藤原信頼に平清盛を攻撃させて厄介払いをさせようと騙されてようです。恩賞が不公平だったのは、ここから計画がはじまっていたようです。平清盛たちが熊野詣に行くと聞き藤原信頼は源義朝に決起を促します。平清盛たちが旅立つと藤原惟方に命じ帝を閉じ込め、源義朝は三条殿に火を放します。信西(藤原通憲)は追っ手に見つかり切られます。平清盛たちは追って知らせに来た者の情報で都の異変を知ります。熊野詣の途中から戻った平清盛は藤原惟方を寝返