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友だちから会おうと連絡をもらった。嬉しかった!元気かと聞かれたから、ご飯も食べてるし眠れてるし仕事もしていると話したら「強いね」と言われたすごく違和感を感じた私は強いのだろうかじゃあ、我が子の後を追ったりとか不眠症になって薬なしでは生活できないとか食事が取れなくてげっそり痩せたとか働けなくなって引きこもってるとかそうなったら弱い人なのだろうか?何気ない言葉だけど強いとか弱いで表現されることに違和感を感じる友達は悪気ないのは重々承知。これでいう強い人というのが
こんばんはKelly0121です。2月21日に、STAP細胞の研究を小保方さんと共にされていた笹井芳樹教授と繋がり、お言葉を頂きました。お言葉を書かせて頂く前に、STAP細胞について説明したいと思います🐰STAP細胞の正式名称は(刺激惹起性多能性獲得細胞)人為的な操作によって様々な細胞になれる能力を持つようになった多能性細胞のこと。ES細胞とIPS細胞の大きな課題とも言えるガン化の心配もない、夢のような万能細胞。2月21日の朝、小保方さんとSTAP細胞について考えていると
美輪明宏さんの言葉『人生、いくら扉をたたいても開かないことがある。その時は、神様が自分の内容を肥やすために与えてくれた時間だと思って、知識を育てたりして中身を膨らませることにあててみることね』ある日突然、嫌なことが重なり、今まで上手く行っていた事が上手くいかなくなった経験はありませんか?混乱しながら、どうにか前に進もうと目の前の扉を開けようとするけれど、どの扉も鍵がかかっているように固く閉ざされたままですなすすべもなく座り込み、途方に暮れる。誰も助けてはくれず涙を
昼間は義弟、義妹家族が来ていたので子供たちも見ててもらえてなんとなく過ごしていた。でも義弟家族を見ていいなぁ、と思ってしまう。義妹家族を見ても羨ましいと思ってしまう。義理両親を見ても私にはこの未来はないのだと思い知らされる。ここにいるみんながシンゴを失って悲しんでいる。でも。私が一番悲しいはず。みんなとは悲しみの桁がズレているはず。そんなことを思っていた。夕食後。なんだか娘の様子がおかしい。元気がない。どうみてもヤ
只今変容中停滞は続くどうも体調がよくない。そして内側から吹き出してくるものが多すぎて全く対処しきれていない、、、という人生真っ暗闇どん底感覚に陥っておりまするいやあ手強い。まるで沼。大きな地震前にものすごい怒りと悲しみが止まらなくなることがあるのですが、それなのか、、でも、何となく今回は大きな地震はこないような気もしてるし珍しく、『わからない』んですここんとこ気圧が異常に低かったらしく、久々の日差しに恵まれたというのに、身体が重だるくほとんど動けず。(やっとの思いで洗濯だけはやっ
清水の舞台から飛び降りた夫の後日談。「これで拒否されたらもう後がない。もうダメだ」とそれこそ死ぬ気で挑んだらしい。意外な事に抵抗する気にもなれず、久々過ぎて身体は反応してなかったが、よくわからないラブラブモード全開で、情緒不安定極まりない私にとって、この夫とのスキンシップは思いのほか、幸せホルモン「オキシトニン」を放出させる事がわかった。ベットの中でハグされるだけでも、オキシトニンかダーっと、出てくる気がして、ひとまず少しは眠れる。安心できる。まさしく夢のような精神安定剤。ただ、効果はそ
遠方に住む義母が来てくれました。お線香をあげてくれて一緒に泣きました。僕らの手には何もないけどと言う一つの動画を教えてくれました。くもの上のハリーという絵本があることを知りました。『くものうえのハリー』【心に寄り添う絵本と詩の世界】【Grandma’spictureBookLab】【心に寄り添う絵本と詩の世界】『くものうえのハリー』城井文(著)出版社:パイインターナショナル日常の忙しさから一息つき、心に残る物語の世界へようこそ。当チャンネルでは、大人が忘れがちな
布団の中から更新しています。3年前の今、まさに目を冷めたら腹痛があり、「あ、陣痛だ!もうすぐ会えるんだ!」と、思った時です。痛みの感覚が等間隔で、これが陣痛の始まりかと思ったことを覚えています。そのまま午前中に入院し痛みは遠のいて夜中から本陣痛、出産は次の日の朝までかかったんですが可愛い可愛い愛娘が一生懸命頑張って生まれてきてくれたことあの感動は忘れられません。生きてる生きてる力強く生きてる小さいのに一生懸命生きてるそう思いました。コロナ禍で立ち会い面会
自分には技術があるし知識や経験も豊富にある。そのような人にもどうにもならないことが起こりますし、自分の力で打破できないことも味わうのが私たちです。人間関係に自信を持っていた人が人間不信になり、気力に溢れポジティブだった人がふさぎ込んでしまう。それがきっかけとなり生きる意欲を失う人もいます。自分には人を愛する力が無くなってしまったと感じ、自分には二度と勇気が湧いてこないかもしれないと感じ、失意のどん底をさまようのが人生
時々思い出す小学生の頃、確かにその絵本はありました‥読んだ記憶はあるけれど内容は右から左に流れていった子供が産まれてたまたま目にして読んでみた‥『号泣だ』傑作中の傑作だそして、今ストーリーを知ってるのでもう、読めません‥(´༎ຶོρ༎ຶོ`)思い出すだけで泣ける深い悲しみと愛情を絵本で表現してるので子供が理解するのは難しいけれどある程度大人になって物語の『芯』に触れると強烈に刺さるなもしかして、私は100万回生きたのか‥その100万回目が今なのか?100万
インスタやXのアカウントで普段会えない友達とは近況報告をしていました。お互いの子どもを載せてコメントし合って。。その日常が終わったのでもう私の生活はガラッと変わりました。娘が亡くなり、友人はみんな私がどうしてるかご飯を食べてるか?眠ってるか心配で時々連絡をくれます。でももう悩んでも、面白い出来事も、気軽に話せる友だちはいないのです。大切な友だちは沢山いるけど気軽に連絡出来なくなりました。だから私にはこうして弱音を吐ける場所、そして悲しみで頭がおかしくなって
結婚してもう少しで4年?になるのか?同棲期間も長かったし子どもは直ぐに授かった。お金は無いけど幸せだったんです。ひとり娘が可愛くて可愛くてみんな可愛いと言ってくれた!会ったことない人も写真や動画だけで可愛いのが伝わると言ってくれた。ただの親バカではないと確信した。笑友達やママ友が第2子、第3子を授かる中で我が家は娘のことが可愛くて可愛くて可愛くて、夫と意見が一致したのが、「すっちゃんだけでいいやって思うくらい本当に可愛いよね」でした。作ろうとも思わないというか
あれから1ヶ月。長いようであっという間だった。でも長かった。娘が居なくなってとてもとても長い時間が経った気がする。抱っこを当たり前にしてたあの時間ご飯を膝の上で食べたいと言われてえ〜〜とか言ってたあの時間毎日娘と入った狭い狭いお風呂で歌ったあの時間。もうあの時間には戻れない時間が進んでるどんなだったっけこんな感じだったよな思い出せるけど柔らかくて温かい娘をずっと抱っこしてるのは少し重たくてでもまた戻ってきて欲しくてまだまだ気持ちは進んでない。あの日のまま悲し
ミキ本人です。結婚式の後に分かり合えた気がしたのもつかの間。それからたった1ヶ月後にはタクヤの不倫が始まっていました。幸せな時間はそう長くは続かなかった。パンダさんのブログにもあるようにタクヤは結婚式から1ヶ月ほどで母親の状態が良くないからと毎週末、実家に帰るようになった。それからさらに数週間で平日も仕事が忙しいと言って会社に泊まる日が増えた。おかしい。あとになって私が疑っていたタイミングと和歌子と始まったタイミングはほ
娘がお空に旅立ってどうにもこうにも苦しくてこのブログを始めたもう書き始めて2ヶ月近くなるのかな順調にいったらあと50年はあると思われる人生。娘のいない世界を生きるのが辛いと思った。でも進み始めるなら早い方が絶対いい!きっと、娘はまたお空から私たちを見つけてくれると、迷わずに来てくれると信じてる🌈娘が通った保育園や先生たち、そこで出会ったお友だちやママやパパ、そして新しくスタートした職場、支えてくれる友達や家族、親から貰ったこの命、たくさんのことに感謝して生きよ
すっちゃん今日はママあんまり泣いてないよもしかして一緒に居てくれてるのかな?すっちゃん、あなたとの思い出を絵本に描いてみるね毎日11時間も保育園で頑張るあなたと帰宅後のたった2時間の思い出毎日の思い出を描いてみるよ。自転車移動中も歌ったり月を見たり星を見たり今日は誰と遊んだの?ってお話をしてみたり。ご飯中やお風呂の中ではクイズをしたり遊んだり。ママとすっちゃんの大切な思い出だね!頑張ったよねすっちゃん。ママもパパも頑張ったよね。次すっちゃんが来てくれた時には
お日様のありがたみを感じる。せめて天気だけでもよかったらこんな気持ちにならないのに。娘がいたらあー雨がお出かけできないなって思うけど、粘土したり、クッキー作ったりダンボールで工作したりなんやかんやでゆっくりしながら遊んで昼寝してご飯食べてダラダラ楽しいのに天気が悪くて夫婦2人で過ごす家は苦しくて暗くて何もやる気にならない。久しぶりにゲームをしてみた。意外と没頭できるいいよなゲームの世界は。死んでもまた生き返ってやり直せる。この世もゲームみたいなものなのかな誰
私はキリスト教会にも行かないです…深い悲しみです…私は眠ったままになっています…食事もあんまりしていません…私はもうこの世に居たくないです…私は一人の孤独と眠りの時間にいます…寂しいです…
私は何度もこのブログで生まれ変わりを信じたいと書いてきた。それについて賛否両論あるのは理解できます。読みたくない人はスルーしてください。ただ、私は死の世界が必ずあるということや娘の魂はどこかでまだ生きているということ、自分自身も含めて何度もみんなこの世での人生を経験しているということ、生死というのはそういう仕組みなんだということをすごく信じたいと思っている。でも毎日それを信じるというマインドは続かなくて、悲しくなったらYouTubeを必ず見る。検索ワードは「死の世
他人から裏切られたと感じる感覚は人それぞれですその人に対する信頼が大きければ大きいほどそれに比例して裏切られた落胆も大きくなりますそしてその落胆が大きければ大きいほど信頼を取り戻すことは難しくなります•たかがこれくらいのこと•バレなければ構わない•悪気はなかったのだから•単に魔が差しただけだ•断れなかっただけなのにそんな軽い思いでしたことなのだといくら弁解を重ねても裏切られたと感じた側は相手の陳腐な言い訳になど聞く耳も持たず自身の
台風13号がどうなるか、心配していましたが、それほどひどい雨風にならず、よかったです。皆さまが住んでいられる辺りはどうですか?息子が亡くなったあとは、まるで暗い深海の底をはっているような感じでした。今までの自分は木っ端微塵に壊れ、何をよすがに生きていけばいいのかわからない。希望は全く見いだせませんでした。(今でも希望なんぞ持てていません。)今は、外では普通にしていられますが、数ヵ月前は、何をしていてもどこにいても、涙が溢れてきてしまいました。心の中はどこまでも悲しみに覆われていて、何も
死別などの喪失を経験すると、様々な反応が起こります。食欲への影響や睡眠障害などの身体的反応、深い悲しみや後悔、絶望、抑うつ、罪悪感や自責感、またこれらとは一見対極にありそうな安堵などの心理的反応があります。安堵は、長期間の介護などの後での死別でみられることがあり、ほっとしたり楽になったと感じたりすることです。何もする気力が起きずに、今までは普通にできていたこともできなくなり、日常生活を送ること自体が困難になることも珍しくありません。その反対に、何かをやりすぎてしまう
苦しい辛い辛い辛い娘に謝りたい娘がどうしてるか知りたい何思ってるのか知りたい占いとか霊能者とかそういうのに頼って娘の誕生日とか名前とかで色々見てほしい。そういう気持ちになることないですか?調べてるうちに冷静になるけど。こういう弱ってる人間に近づいてくる悪い人がいることもよく知っているから警戒心は持っているけど、心が救われる方法があるのであれば何かに縋りたい。
4月28日、分かち合いの会「こもれび」を行いました。2名の方にご参加いただきました。大切な人を亡くした後、親戚や友人、職場などで、思いもかけない言葉を言われることがあります。「いつまでもそのままじゃねそろそろ前を向いたら…」「少しは元気になった?」「後悔ばかりしていても…」など。良かれと思い言われている言葉だと思うのですが、グリーフを抱えている方にはその言葉は深く傷つき、さらに心を閉ざすことになります。そんな時は、無理に会う必要はない。会ってしまえば、何かを話さなければならないか
去年の今日…ママとキミ達の火葬と葬儀…肉体がなくなり本当にお空へ逝ってしまったような気がした…ママとキミ達の骨箱3人分抱えて連れて帰って来た日…ジィジと、か〜えちゃんが出掛けてしまいバァバだけになった後すぐに玄関のチャイム…確かめずに開けてしまったら○○日報の記者だった…由美さんのお母さんですよね?あちらの方で由美さん達が、お亡くなりになってたそうですが?と、山の方を指差し…何か原因とか?どんなお気持ちですか?と、言われ…体調が悪いので…と玄関の扉を閉めた…
お風呂場のおもちゃ、お絵描きシート、お風呂用クレヨンまだまだ片付けられないものがあるもうボロボロで捨てようかなって思って手に取ったら涙が出てきた色々込み上げてきたこの家に娘はいたよな一緒に暮らしてたよな生活を送ったよなそうだよね?あんなに慌ただしく過ごしていた日々を取り戻したい必死にご飯作って食べさせてデザートとせがまれて仕方ないなぁと幸せそうに食べる娘を見つめて。お風呂に入って一緒に遊んで、歌って笑って、、、、、眠いあがる!と言って体拭いてクリーム塗
いつかまた娘にこの世で会えると信じたいパパと仲良くしてね家族を大切にしてねママ、自分を大切にしてね娘はそう言ってるはずです。そうじゃないとなんで亡くなったのかなんで娘だったのか全然納得できません。娘は2つだけホクロがありました白くてきれいな肌に2つだけ生まれた日から欠かさず毎日お風呂上がりに保湿クリームをぬっていたのでほくろができていた時にほくろだ!!となんだか嬉しかったのを覚えています。そして2つ目のほくろがができたときもほくろだ!!とパパに2つ目のほくろ
3月から新しい職場に行くことに決めた。娘が旅立ったのはまだ1か月前のこと。この1ヶ月で退職を決意、転職活動も頑張った。よし、新しいとこなら頑張れるかもみんな私のことを知らないし!そう思える日もあるしあ、無理かも。泣いちゃうかも。仕事中泣いちゃうかも。笑えないかも。そんなネガティブな日もある。無理やりでも笑顔を作る。そうすると希望が見えてくるそう思って頑張る私は誰よりも人の痛みを知ってる人にやさしく。
ため息ばかりでる。本当に娘はいたよね?私の腕の中、お膝の上、いつもそばにいたよね?あれ?なんだか夫とふたりの生活に慣れてきている自分がいてまた辛い。必死に育てていたあの日々を思い出せるけどなんだか夢を見ていたような気持ちになって辛い。いたよあの子は。ずっと隣に。写真フォルダが娘だらけじゃん。何を言っているの私でもずっと遠い昔のよう感じてしまう思い出も沢山あるけど少しずつ曖昧な記憶のものもある。動画は沢山あるけど、なんだかカメラ越しでスマホ越しで自分の目で