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こんばんは💕朝ドラブギウギも、最後のクライマックスですね最近、茨田りつ子(淡谷のり子)が、良く出てきますが、とてもおしゃれで、素敵ですねパート1パート2⭐️スズ子にお手伝いさんをさりげなく紹介したり、優しいですよね。パート3⭐️お肌もしっとり、つやつやで綺麗⭐️髪のセットアップもエレガント⭐️✨それでは、おやすみなさい💕✨✨
ご訪問くださりありがとうございます昨日のブログで触れた淡谷のり子さんが慰問に訪れて特攻隊員の前で歌われたこと。ご本人がお話されている映像を見つけました。やましたひでこ公認断捨離®トレーナー高橋弘枝と申します。宮城県気仙沼市を中心に活動しています。港町気仙沼ランキングに参加していますコチラをポチッとしてくださると嬉しいです応援ありがとうございます淡谷のり子さん83歳。“徹子の部屋”にご出演された時のもの。
朝ドラ#ブギウギ最終週「世紀のうたこころのうた」スズ子と羽鳥先生歌手と作曲家の師弟関係ってありますよね(草なぎ剛さんの演技って良いな)笠置シズ子さんと服部良一さん以外の歌手でも色々なスターがいますねなんか小室哲哉さんとか華原朋美さんとかglobeのKEIKOさんとか他にも色々な方々思い出すんですよね他に変わる人がいないような誰も入り込めないような師弟関係ってありますよね結構その師弟関係があるほど見ていて楽しかったりするんですよ視聴者としてはあの2人
大体がよ、世間の奴等は判っちゃいないね。ホントに憤慨しちゃうよ、プンプンのプンだよ。何の事かって、そりはさ、淡谷のり子のアルバム『昔一人の歌い手がいた』についてだよ。昭和歌謡を代表する名盤で、淡谷さんのロック色もかなり濃いアルバムなんだけどさ。今回、ヤフーで出品さりていて、スタート価格は300円だったよ。帯付きだし、和田誠のかヴァーアートだからソコソコの値段は付くだろうと思っていたけど、締め切り間際でも入札ゼロで300円のまんまだよ。フザケルなとオイラが入札して、結局、300円でゲット
再評価とか言うことばは失礼極まりないと思うのですが「ブギウギ」のおかげで茨田さん、じゃなくて淡谷のり子を知った世代もいるのでしょうもちろん改めて知ることになった我々世代も含めてだってどうしたって我々からすると淡谷のり子は「おっかない審査員」昔大歌手だったらしいけど…って印象でただ戦時中慰問に行っても断固として歌手としてのプライドを捨てずステージ衣装とメイクを貫きヒット曲を歌い続けたと言うエピソードは知っていてカッコいいと思っていたそれから私の最も愛する小説の一つ「エロスーも
某女芸人さん、某芸人さんが、「あー。ミスチルってやつですよね。」「そうそうあのミスチルですよ…」って番組で言ってました。ミスチルさんも、ミスチルってやつですよねー。って言われるようになったんですね!私の中では、ディスられる、アーチストって、世間に認知された、と思ってマス…。某アーチストも、あの某アーチストも、ディスられて世間に認知されたもんなあ。同じく!モノマネされるタレントは、売れてる証拠だ。(まあ、当たり前か、みんな知ってないと、会場は、沸かない)人によっちゃあ、「馬鹿にさ
☆泣き濡れしシャンソン:淡谷のり子1951過去二回、淡谷の♫暗い日曜日(6/10)♫青い部屋(7/23)を紹介した。淡谷のヒット曲と言えば昭和12年1937年の大ヒット曲♫別れのブルースや同年の♫雨のブルースなど◯◯ブルースと言うタイトルの嚆矢が♫別れのブルースだった。作者は藤浦洸作編曲はご存知服部良一で当時ブルースは日本では全く認識されていなかったから、発売元のコロムビアレコードの社内でも知るものは居らず、中にはタイトルを♫別れの哀
昨日はまたレコーディングでした。早く情報解禁になって皆さんに、聴いてほしいなぁ…この歌い手さんがこういう作品を唄われるのは、初めてかな?なんて書き出しなの?って意表を突かれるような二行で始まる詩だけど最終的には日本古来からの「労働歌」惚れた男への「愛の歌」なんだよね。リズムとメロディーは演歌を超えた「ブルースロック」そう呼べばいいんだろうね!それがメイン曲。もう一曲は、それとは対極。たとえば、石原裕次郎さんが映画の中で、別れてゆく女とナイト
羽鳥先生(草彅剛)の表情にズキズキした週でした。や。もちろん、福来スズ子(趣里)もすっごくよかった。良かったんだよ。不安。動揺。から元気。呼び出した茨田りつこ(菊地凛子)にハッパかけられてやるきだして無銭飲食(茨田さんにゴチになる)ところとか、めちゃくちゃチャーミングで可愛かった。いてもたってもいられない!それが福来すずこだよね。でもさ。つよぽんの…羽鳥先生のセリフ無しの表情の素晴らしいことといったら!最初に『ラッパと
青森が生んだ昭和時代の大歌手淡谷のり子(1907~1999年)の生家は、現在の青森県立郷土館(青森県青森市本町)の近くにあった「大五」阿波屋という大きな呉服屋です。明治時代、市内で有名な商家でした。店には、30人を超える奉公人がいたといいます。本家は、現在の安方付近(現在の観光物産館アスパム近く)にあった「大世」阿波屋です。郷土館が所蔵する当時の市内の様子を建物の外観とともに詳しく描いた絵地図『青森実地明細絵図』(明治25年・1982年、複製)の中でも、「大世」は紹介されています。
14日に苫小牧市文化会館で開催された山内惠介さんの北海道ツアー昼の部に続き夜の部のレポートを!会場のお花とってもきれいです昼の部の興奮も冷めやらないうちに夜の部開演ですさすがに2回目は大丈夫だよね~?私!いやいや全然変わらずドキドキしっぱなしまたしても惠ちゃんと目が合っても目力に負けて思わず目をそらしてしまう私!もう、なにやってんの~自分(苦笑)ちょっとずつ落ち着きを取り戻し?!惠ちゃんワールドを堪能新しいアルバムから私の大好きなあの曲も歌ってくださって本当に『
💚上京〜淡谷のり子💚服部良一は、1933年に25歳で上京し、人形町のダンスホール「ユニオン」で、サックス奏者となり活躍する。1934年、ニットーレコードの音楽監督となる。服部良一は、最新のオシャレなジャズに日本語を乗せたポピュラーソングを目指していたが、この当時は、古賀政男を代表する民謡調の流行歌が大人気で、なかなか花が咲かなかった。しかし、作曲・編曲の実力が認められ、1936年、コロムビアレコードの専属作曲家となる。そして、歌手、淡谷のり子と出会い、華やかなスィングジャズの第1作「
昭和40年2月、読売新聞テレビ欄の投書より。象印歌のタイトルマッチ(NETテレビ)にて、審査員を務める服部良一センセイが、7人まで勝ち抜いた末に敗れてしまった女性出場者に対して発したコメントに対して「ほどほどに」と諫める内容の投書だ。服部良一センセイ(1993年に85歳で死去)はレコード大賞をはじめ、歌合戦番組などで審査員を務めることが多く、その姿や口調は当然ながら脳にインプットされている……はずなのだが、今や投書内のセリフすらも草彅剛の声でしか脳内再生されないのだから恐ろしい
鳥取県米子市の市長室にも有る筈だが
<和田肇先生のこと>吉田兼好児の速筆ライトノベル随筆集「音の履歴書」より長州人の粋と子分デックミネ・淡谷のり子NHKの連続テレビ小説「ブギウギ」の主人公・花田鈴子(趣里)のモデルは笠置シヅ子である・このライバル役の茨田りつ子(菊地凛子)のモデルは、ブルースの女王淡谷のり子である・・・。この歌手淡谷のり子が最初に結婚したのがジャズピアニスト和田肇である・・僕は、和田肇先生にはプロデュサー時代に大変お世話になりました。和田肇先生とはいろいろな思い出話があります・・・。ジャズピアニスト和
朝ドラ#ブギウギ最終週「世紀のうたこころのうた」スズ子と羽鳥先生歌手と作曲家は人形と人形使いかそうなんですね一心同体人形使いの考えで人形が動く人形の魅力でより舞台が映える人形使いも人形がいなくては舞台が映えないし人形も人形使いがいなければ舞台で動けないなるほどだから最初のオープニングも操り人形が出てくるんですね趣里さん菊地凛子さん草彅剛さん草なぎ剛さん笠置シヅ子さん服部良一さん淡谷のり子さんNHK
好調の朝ドラ「ブキウギ」。戦争が佳境に入り、暗い時代になっていく。「贅沢は敵」という言葉とともに締め付けが厳しくなった時代。主人公、スズ子のライバル役として登場するのが菊地凛子演じる茨田りつ子。モデルは淡谷のり子。ドラマにも出てくるが戦中でも官憲に反抗して、ドレスとメイクを捨てなかった「じょぱり」。戦後になって見事、歌手として復活して、表舞台に戻る二人。毒舌で有名な淡谷のり子は「演歌はキライ」と公言していた。よく演歌を日本の心みたいに言う人がいるけど、演歌が登場したのは昭和の時代。
ブギウギロス間もなく終了の連ドラ「ブギウギ」「舞いあがれ!」に続き、いわゆる大阪モンこれが終わってしまうのが忍びないですわしかし、この子の演技は抜群やったね~(全ての画像はお借りしました)笠置シズ子さんの半生を描いたドラマですがハマってしまいますねドラマの終盤はテレビ放送を開始した昭和30年初頭、ミドルを迎えた笠置さん、歌手としての黄金期に陰りが見えてきたこのころを描いていま
お知らせです‼️明日、18時55分から20時55分までBSテレビ東京BSテレ東服部良一特集で母の昭和13年の慰問の映像がちょっぴり映ります。私が松平晃さんのお孫さんから偶然入手し、テレビ東京にお渡しした映像が使われます。是非ご覧下さい。
ごきげんよう。筆文字作家の山田あかねです。淡谷のり子さんの言葉です。雑誌『ゆうゆう』の中島京子さんのエッセイに紹介されていました。朝ドラでも独特の雰囲気を放っている淡谷のり子さん。私が一番に思い出すのは、瞼にたっぶりの青いアイシャドウ。審査員をしていた時は、辛口のコメントが多かったんですが、嫌いじゃなかったです。淡谷のり子さんは、演歌嫌いというのはよく知られていたそうですね。「着てはもらえぬセーター」というのは、都はるみさんの『北の宿から』の歌詞、「着てはもらえぬセーターを寒
2012年10月15日かなり以前の記事にアクセスを頂いていました。嬉しい。淡谷のり子先生。地声まで迫力がおありでしたが、あの個性、お声、リアルタイムで接することが出来たのは、有難いことでした。「宵待ち草」あの独特のお声は、拝聴していた昭和人の耳には、必ず残っているのではないでしょうか。「ブルースの女王」・・・と呼ばれるのはお嫌い。淡谷のり子様。1907年8月12日~1999年9月22日。享年92歳。1900年代の日本を彩られたお方の