(「あれほど深くしていた女でさえ、病気になったと言ったらすぐ心がわりがする。僕は人の心のつめたさをつくづく味わった。けれど之も病気なるが故にこの様なのだろう。病気さえ治ったら、あの女くらい見かえすぐらいになってやると思っていたが、病気は治るどころか悪くなるばかりに思えた。医師の診断も悪い。」・・・・・睦雄は高等小学校卒業直後から胸を患い、地元の医師から「肋膜炎」「肺尖カタル」等と診断されていた。本人は肺結核を疑っていたが、1937年5月の徴兵検査で軍医から本当に肺結核を言い渡され、徴兵検査は「丙