ブログ記事2,392件
※そろそろ毎日UPだとネタ切れになるのでしばらく、1日おきでブログUPしようと思います。ニュウマン高輪へ、様子見がてら朝イチ訪問ー高輪ゲートウェイ駅で降りることってほぼなかったので、いつの間にか出来上がってビックリだわニュウマン高輪の泉岳寺側の遊歩道は開発工事中に発見された「高輪築堤」や貝塚など史跡が見つかったりしたらしく当時の石が再利用されていたり、線路が埋まっていたり…よく見ながら歩くと歴史に触れられて面白い!そして、たくさんお店が入ってるけど早くから朝ごはん
今日12月14日は、赤穂浪士四十七士討ち入りの日。(本当は翌15日早朝らしいです)東京の泉岳寺では、恒例の赤穂義士祭が行われました。私はまだ一度も泉岳寺に訪れたこともなかったので、今年は思い切ってこの日に泉岳寺に行くことに。事前にネットで調べて、赤穂義士行列が泉岳寺に到着する頃を目指して山手線の高輪ゲートウェイ駅で下車。高輪ゲートウェイ駅周辺は大規模な再開発中で、何本もの高層ビルが建設中です。その工事現場の脇を通って泉岳寺へ向かいました。国道1号線から泉岳寺に向かう坂の途中の沿道に、ぎ
「ウォーカロンの武装兵士が四十五体、それに指揮官のウォーカロンが二体です」デボラが言った。「四十七士ですね」ウグイが呟いた。「討入りってわけか・・・・・・」僕がそう言うと、ウグイが僅かに微笑んだ。天空の矢はどこへ?/森博嗣閑話休題久しぶりに週末と重なるこの年を、この日を待っていた、、国治つて、よき武士の忠も武勇も隠るるに、たとへば星の昼見えず、夜は乱れて顕はるる仮名手本忠臣蔵/1703年1月31日旧暦でいえば、元禄十五年十二月
たまに書こうと思っている“外出記録”今回は、先日行った『高輪ゲートウェイシティ』9月12日にオープンした『NEWoMan高輪』に友人とランチへついでに色々回って7時間以上…素敵だったー楽しかったーまた行きたいオープンして1ヵ月以上経ったから、混雑は減って情報は増えて行きやすいかなーと思ったけど、そうでもなかったしという訳で、困ったことから書いておきます。ちなみに、今回のランチは「LOOPS」へ。予約とれなかったのでオープン前から並びましたLOOPS「喫茶
2025年10月10日その①・・・【街散歩/御朱印巡り☆①高野山東京別院】その②・・・【街散歩/御朱印巡り☆②JR高輪ゲートウェイ駅周辺】_____続きです。最後に泉岳寺へ向かいました。このお寺には赤穂義士のお墓があります。12月14日には【義士祭】が行われます。中門中門の案内萬松山大石内蔵助の像仲見世があります。泉岳寺慶長17年、徳川家康により建立された名高い曹洞宗寺院。浅野家代々の墓と赤穂義士四十七士の墓があり、「主
忠臣蔵四十七士~彦根牛を喰らう1702年(元禄15年)12月14日(旧暦)、赤穂浪士四十七士が江戸・本所松坂町の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げました。四十七士は吉良邸から引き揚げて、吉良の首を浅野内匠頭の墓前に供え、そして、吉良邸討ち入りを幕府に報告し、幕府の指示に従って全員切腹しました。元禄15年12月14日(1703年1月30日)は、赤穂浪士が吉良上野介の屋敷に討ち入った日だ。元禄年間といえば、生類憐れみの令を出したことで知られる徳川綱吉が将軍だった時代。と
JR両国駅西口から徒歩5分。東京都の指定旧跡である吉良上野介の屋敷跡があります。区立公園として整備されていて、往時の86分の1の土地の広さのようです。高家の格式を表す「なまこ壁」が特徴です。12月14日の討ち入りで、吉良を守るために殉職した家臣たちの碑です。赤穂浪士側は死者がゼロだったとか吉良上野介の座像です。領地の三河では善政をしいて、評判の高い殿様だったようです。塩業の発展にも尽くしたようです。赤穂も塩業が有名で、塩の製法や塩田をめぐって、吉良と浅野内匠頭が対立したという
昨日の続きですが、高野山東京別院を出た後、高輪台に出て浅草線に乗って泉岳寺で下車しました。初、泉岳寺丁度時間的にお腹がすいていたので泉岳寺で降りて…と思ったけど、お店があんまりない。泉岳寺は駅から出てすぐ右突き当たりのあそこだっとわかりましたが、ランチを食べられるようなお店がない…途中、角のケバブ屋を通り過ぎて信号待ちしている時にIさんが「なんかいい匂いするけどなんだろう〜?どこからするんだろう〜?」「Iさん、後ろ、後ろ〜!!ケバブ屋さんだよ〜!!」「なんだぁ、ケバブ屋さん
12/14(土)、年末詣と12/14ならではの場所に行ってきた記事の続きです。前記事はこちら『年末詣12/14⑤増上寺その2』12/14(土)、年末詣と12/14ならではの場所に行ってきた記事の続きです。前記事はこちら『年末詣12/14④増上寺その1』12/14(土)、年末詣と12…ameblo.jp芝・増上寺から、次に向かったのはこちら。泉岳寺・義士祭義士行列と同じルートを、徒歩で泉岳寺まで行こうかとも思いましたが。今回は、芝公園駅から電車で。泉岳寺駅に着いたら、たくさんの
泉岳寺に行ってきました阿久利姫にご挨拶。浅野長矩様はじめ、赤穂義士の方々のお墓にお線香を手向けさせていただきました。そして、御守りを授かりました。勇気が湧いてきそうな輝き✨(๑•̀ㅁ•́ฅ✧その後、記念館を見学大石内蔵助直筆の手紙(義士連名書状)や、阿久利姫直筆の短冊、そして、小説などに出てくる吉良上野介首請取状の現物など貴重な資料が展示されています。私のオススメスポットは阿久利姫のお箸🥢箸先が銀でコーティングされています→毒物混入の早期発見!銀は青酸や砒素に急速に反
つい先日の事。TVのクイズ番組で神社仏閣系がやっていた所職場の女の子が{ねぇさん好きなんやってますよ♪って教えてくれたので観ていました知らぬ間に寺社系好きなサブカルおばちゃんの位置づけを手に入れていたこんばんわ味醂ですその中のクイズで一か所、外れてしまった寺院が有りまして気になって調べていると東京か・・。いつか行けたら良いな~なんて思っていたら1週間も経たないうちに機会が巡って来たッてな訳でやって来たのは駅名で解っちゃいますよねそう。。泉岳寺です
相変わらずネタが渋滞中なのですが、これだけは時期を逃してはいけないだろうということで、12/14の泉岳寺です。12/14と言えば赤穂浪士吉良邸討ち入りの日ですよねここ泉岳寺では毎年盛大に義士祭が行われています。この日は両国の吉良邸でも義士祭が行われていて、吉良邸→泉岳寺の討入ルートで移動したかったのですが、夕方から石見神楽の奉納があるため吉良邸は断念14時ころでこの人の数せっかく紅葉がキレイでゆっくり見たいところですがそれどころではないなにせ赤穂浪士の
こんばんは日曜日高輪泉岳寺に春と秋にこの泉岳寺に御堂がある観音様のお祭りがあります観音様は、徳富蘆花によって慈航観音と名付けられたと言われています。中国からいらした陶器の観音様でとても美しいお姿をしておられます.大正11年東京日比谷に『山水楼』という東京で初めての本格中華料理店が書家の遊記山人と言われた宮田武義氏によって中国から一流の料理人が呼ばれオープンしました。皇室をはじめ川端康成、棟方志功、徳富蘆花など名だたる文化人、政財界の方達が顧客でした。そこに置かれていましたのがこの観音
↑慶應義塾図書館旧館昨日のことになりますが、先週に続き福沢諭吉関係の史跡巡りで取りこぼした部分の回収に出かけてきました。というのも、先週に慶應義塾大学三田キャンパスに出向いたところ文化祭が開催されており、大学敷地内で進入禁止にされてしまったために福沢諭吉像の写真が撮影できなかったのですね。また、慶應義塾史展示館においても、文化祭絡みで人出が多く、展示品をしっかり見れていないということ、慶應義塾大学公式ショップへの立ち寄りもしていないなど、いろいろ再び行かねばという状態だったわけです。
▼写真AC:kimtoruさん提供のフリー素材「赤穂城の石垣と水堀」1702年12月14日赤穂事件謎①なぜ斬りつけた?刃傷事件の謎1701年江戸城で浅野内匠頭が吉良上野介に向かって刀を振り回し斬りつけた事件。『忠臣蔵』では吉良のいじめが動機として描かれていました。兵庫県赤穂市にある赤穂城跡赤穂藩の藩主・浅野内匠頭長矩が武闘派だったことが分かります。浅野家が城に仕掛けたねらい石垣が一直線ではなく、わざと角を設けています攻めてくる敵に対して、横からも射かけることが出来ます
本日12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日早起きして泉岳寺駅へA2出口へ向かいます。信号🚥を渡ると高輪ゲートウェイ駅へ行けます。出口を出たら右折します。遠くに泉岳寺が見えます。信号を渡れば泉岳寺です。中門元来、泉岳寺には三門と言って三つの門(総門・中門・山門)がありましたが、現在は中門と山門のみが残っています。現在の中門は天保7年(1836年)に35世大龐梅庭(だいほうばいてい)和尚代に再建されたもので、昭和7年に大修理を施されています。「萬松山」の額は、中国明時代の
ご訪問ありがとうございます。🩵タニ子ってこんな人です🩵株の収入は→★年収とか仕事とか自己紹介は→★年間3桁投資美を保つ習慣は→★人気記事は→★汚肌から美肌への変遷は→★美容専用のインスタ→★ちょうど気功の帰りにオープンした高輪ゲートウェイのニュウマン見てきました。ゴーストタウンか,ってくらい閑散としていたのにこんなに人が来るなんてねええ、、、売れないアイドルを応援していたらいつのまにか売れちゃったような微妙な気持ちになりますね。施設内は撮影禁止なので撮ってないんで
12月14日は四十七士の討ち入りの日でした。久しぶりに泉岳寺に行ってみました。行ったのは2日前の12日、ちょうど、義士祭の準備で境内も慌ただしさがありました。紅葉が綺麗で、しばし、佇んでいました。本堂にお参りした後、浅野家、四十七士の墓前に線香を手向けました。泉岳寺は、元々徳川家康が創建したお寺なんです。住職は今川義元の孫でした。当初は外神田にありましたが、寛永の大火で焼失し、将軍家光が浅野家らに命じ、高輪に移したそうです。その時から泉岳寺と浅野家の繋がりができたのだそうです。近くに、
今夜はU-NEXTでこちらを観ながらは寝ます・・・・。丁寧な分かりやすいニュース、時事問題解説でお馴染みのフリーアナウンサ、池上彰さん。地図を読むのがご趣味なんですね。そんな池上さんが、俳優の松重豊さんと古地図と対比しながら巡る異色の番組です。スタートは、再開発が進む高輪ゲートウェイシティ周辺から。かつては江戸の入り口だった高輪の大木戸跡。高輪消防署二本榎出張所では、江戸時代から続く、貴重な防災史、郷土史を学びます。興味ワクワクの名車も登場!お約