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今日は沖様のお墓参りに行きました私は今年二回目のお墓参りです沖研のマフォン様とマイマイ様とご一緒でしたマイマイ様が丁寧に墓石を拭いてくださいました花籠をお供えさせて頂きました雅の戒名を撫でさせて頂きましたよ10/9に麻布観音大祭があるようで業者さんが出入りしていましたねおまけ沖様がアイドル時代に住んでいたマンションです角の二階か三階に住んでいたようですよ
『必殺仕置人仏の首にナワかけろ』テレビ映画トーキー55分カラー昭和四十八年(1973年)五月十九日放送放送局朝日放送TBS系製作国日本製作言語日本語のさばる悪をなんとする天の裁きは待ってはおれぬこの世の正義もあてにはならぬ闇に裁いて仕置する南無阿弥陀仏☆☆感想記事の中で一部卑猥な表現をそのまま用いますが、お許し下さい☆風車が風を受けて回転する。観音長屋で商売をするのも怖い地回りが目を付けているので
★1972年6月号。表紙のタレントは森田健作と小柳ルミ子、四月の下旬から5月にかけて売られた本。ということは締め切りが3月末。秀樹がデビューした3月25日から数日後、秀樹がこの本に出ているのであれば、取材はその周辺でおこなわれたはず。………西城秀樹がデビューした時期の芸能界の様子を調べてみた。しばらくぶりに秀樹のことを書こう。これが目次、秀樹の名前はなく、目次の中ではすでに野口五郎が大活躍している。目次の真ん中にゴローが立っている。このころ、こういうストライブのジーン
1975年放映、必殺シリーズ第6弾「必殺仕置屋稼業」その主題歌や劇中BGMをカバーしてみました。今回もOPナレーションや主題歌歌詞はシャレで英訳しておりますのでご容赦くださいませ・・・本作品の音楽は、平尾昌晃氏と竜崎孝路氏の黄金コンビによるもの。彼らの作品にハズレはありませんがこの「仕置屋稼業」の音楽は、必殺シリーズに留まることなく時代劇劇伴の頂点と言っても過言ではないほどの素晴らしいものです。ハードボイルドな劇作に沿いつつも、ウェットな情緒にもあふれ、和楽器やコー
芸能公式ジャンル記事ランキング:アラカン9位リブログさせていただきます。【デイリー新潮】沖雅也京王プラザホテル🏨47階の屋上から飛び降りた事になっているが、養父の日陰忠男は『涅槃(ねはん)で待つ』はウソで、そもそも遺書でなく、沖雅也の手紙に✉️『オヤジ迎えに来てくれ‼️』と書いてあった。【朝日芸能】沖雅也も、三浦春馬や田宮二郎と全く同じで、主演ドラマの📺放送中の事件だった‼️果たして真相は⁉️沖雅也さんは1983年6月28日の大阪での舞台公演目前に、新宿京王プラザ
「必殺シリーズ」の第6弾です。「必殺仕置屋稼業」(ひっさつしおきやかぎょう)必殺仕置屋稼業番宣風1975年7月4日から1976年1月9日まで、毎週金曜日22:00-22:55にNETテレビ(現・テレビ朝日)系で放送された。朝日放送と松竹(京都映画撮影所、現・松竹撮影所)が共同製作。このシリーズで、ようやく中村主水(なかむらもんど)が中心となった、我々に最もなじみのある必殺チームの形が見えてくる。全28話。主演は藤田まこと。【殺陣名シー
突然思い出したが沖雅也が自殺した。1983年、昭和58年のことだったみたい。義父宛に書いた遺書に書かれたいたというフレーズおやじ、涅槃で待つはいまだに覚えている。当時全盛を極めていた芸能レポーター梨元勝が読め無かった「涅槃」。沖雅也は自分は死んだら涅槃≒天国に行けると思っていたのだろうか?そもそも涅槃には天国なんていう意味はないんだけどな。涅槃は場所じゃなくって、死後煩悩から解脱した状態のことをいうんだけどな・・・などとふと考えた記憶がある。沖の代表作は『俺たちは
今は亡き女優坂口良子さんの娘がAV転身との話題が出ている。借金があって…との事。かつて我が青春の頃の憧れのお姉さん的存在だった坂口良子さん。ショーケンさん豊さん優作さん沖雅也さんこの方たちとの共演に胸踊らせたものだ。傷天ゲストでは我が町の八尾出身と言う役だったのが嬉しかったものだ。その娘が借金でAVなんて…お母さんが好きだった元ファンにとって、これは悲しいニュースだ。天国のお母さんもお嘆きになるだろう。悪いけど母にあんまり似なかった彼女じゃAVだってそんな売れないと思う。芸能界で
溺〇した男の遺体の首筋に刺し傷があることを発見。主水は市松を疑うが・・・。当の市松には心当たりがあった・・・。その男は畳職人の「勘助」市松の〇し屋の仲間だった。勘助が檜屋の主人を〇した。市松のこの表情が何とも凄い~~市松も勘助にやられて傷を負った。沖様の演技派やはりすごい!!迫力あるわぁ~~惚れ惚れといたしますね・・・。