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今日もお読みくださってありがとうございます。佐賀県議会議員いちのせ裕子です。初代司法卿として国民の権利を守る為に裁判制度の導入に尽力し、「司法制度の父」と呼ばれた佐賀藩士江藤新平。今年は没後150年の年です。今日は子孫の方々を交え偉業をしのぶ銅像祭りが開かれました。コロナ禍でも開催し今年48回目。非業の死を遂げた江藤新平ですが、名誉挽回を期す声は多く、その機運を醸成すべく特別展が佐賀城本丸歴史館で開催中。曲がった事が大嫌いで真っ直ぐ、自分の理念
西郷隆盛は写真嫌いで一枚も残っていない!とされている。しかし、それは間違いである。彼は日本画(錦絵)はたくさん残しているし、写真も僅かに残っているようだ!現在、キヨッソーネの描いた西郷隆盛とされる太った肖像画やそのバリエーションが出回り定説となっているが、実はこの太った西郷隆盛こそが本物の写真などを否定する邪魔物になっている。この肖像画が一人歩きしてしまって、モデルにされた弟の西郷従道や従兄弟の大山巌としては引っ込みがつかなくなったようだ!西郷従道の決断で、西郷隆盛の親族、子孫たちは涙を呑んで
今日は、幕末の志士にして明治維新以降は政治家・官吏として活躍、立法・行政・司法の三権分立を推進し〝近代日本司法制度の父〟と称される江藤新平の命日・没後150周年にあたります。新平は1834(天保5)年、佐賀藩士・江藤胤光の長男として佐賀城下八戸村で生まれました。12歳の時に藩校弘道館に入学した彼は人並みはずれた頭脳を持っていたものの、実家が貧しかったために学費が払えず、進学もままならなかったとか。1850年に枝吉神陽が結成した義祭同盟に参加して尊王思想など