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私の手元にある1994年・平成6年4月21日の毎日新聞朝刊からの記事抜粋です。毎日新聞の西部、大阪、中部の三本社発行の号数が4万号に到達しました。滅多に見れない40000。名古屋大学が星の”発芽”をキャッチしました。まだ簡易型携帯電話は存在しない時代です。川上慶子さん覚えてますか?奇跡的に救出されました。
毎日新聞社シニアライフカウンセラー養成講座中級無事に50分間の講義を終えることができました。今回も熱心に聞いてくださり、嚥下おでこ体操や五郎丸体操を一緒に行ってくださいました。受講していただいた方々の生活のお役に立てれば幸いです。ありがとうございました😊今年度は今回で終わりですが、また来年度に向けてさらに精進して参ります!
10月2日は大正時代の東京五大学野球で活躍、当時の球界のトップに君臨していたと思われる野球人の生誕日でもありました。その野球人の名前は「湯浅禎夫」21世紀の今では忘れられた名選手・野球人と言えるでしょう。湯浅は1902(明治35)年10月2日鳥取県米子市で生まれ米子中学から豪速球投手として名は上がっていた。卒業後は大連実業団で野球をしていたが、明治大学OB大沢逸朗に誘われ明治大学に入学、当時の明大には豪速球だがコントロールの悪い渡辺大陸(初代大洋監督)という投手