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夢の中の母はしゃべらない。私は母と話をしたいのに。苦しみは増すばかり。哀しみは深くなるばかり。お母さんとの時間が煌めく時間だったと今頃になって気づくなんて。だったらもっともっと大切にすべきだったと毎日後悔している。10回旅行に連れて行ってあげたことよりも20回旅行に連れて行ってあげなかったことで詫びたい気持ちでいっぱい。私は前にも書いたけど死後の命は信じていません。でも機会があれば手を合わせて思い出の中にいる母に「ごめん」と謝っている。母の世話は私の命
もっともっとしてあげられることがあったのに、ついつい先延ばしにしたこと。時間はあったのに。最近それを考えると心がえぐられるほど苦しい。私は本当に母を愛していたと母を失って始めて思い知らされる。正月も、桜も、つつじも、紫陽花も冥土の旅の一里塚。めでたくもありめでたくもなし。
母が良く通っていたデイケアではお風呂用にバスタオルとタオルを一枚ずつこちらで準備しなければなりませんでした。私はいつも白い大小のバスタオルとタオルを入れていました。白だと清潔感があるからです。区別するために名前も書いていました。ご存じのように白いタオルはしばらく使うと、水に濡れると真っ白ではなくなるやや黒ずみます。それが嫌で白いタオルはしょっちゅうまとめて買っていました。1か月に10枚くらいかな。家でもフェイスタオルやハンドタオルには白のタオルを使用していたので結構使い
そりゃ人を愛すればこそ、美しいドラマは生まれる。でもその美しさは愛する人を失ったときに残酷なドラマになる。愛は生きていく力を与えるが、愛を失うと生きていく力を失う。男は女を、女は男を、夫は妻を、妻は夫を、親は子を、そして子は親を…自分のすべてを愛した人を失うのはすべてを失うということ。失って何が残る?何も残っていないのになぜ生きる?愛する人がいなければもっと楽しめるのに。神は慈愛に満ちている。でもだからこそ残酷だ。善人だけが永遠に生きるよう
今日はあまり寝ないでクルマで1時間ほどかかる病院へ朝に出かけました。阪神高速湾岸線が工事のために通行止めになっており渋滞していました。「眠たいなああ」とつい口に出しました。今まで横にいた母は「ねんといてや」と言っていましたが、その声を聴くことはありません。そのことを思い出して「何で何も言うてくれへんの、お母さん」と何度も繰り返していると大号泣。おかげで目が覚めました。母の思い出が守ってくれたんですね。
この時はまだ元気でした。ただ旅行後すぐに脳梗塞になったので旅館の温泉に入ったのはこの時が最後でした。87歳でしたがまだまだまだまだ死なんて遠い先のことでしかなかったのです。介護も必要ではありませんでした。楽しかった。本当に楽しかった。涙が止まらない。思い出は笑って話せるるものじゃない。世界で最高に愛した母です。この母が晩年は私を頼りにしたのです。
2018年6月に甲状腺癌を患い、9月に摘出手術を受け、そこで未分化がんが見つかり2019年12月14日、1年半の闘病の末に永眠した母。今日2019年12月18日に通夜を執り行いました。200名を超える方々が母の為に集まってくださいました。あらためて、母の人柄を感じました。床屋をしていた母。11月の中旬まではサロンに立った母。生涯現役を貫いた母。多くのお客様に愛されていた母。「なんで言ってくれなかったの…」「病気だなんて知らなかった…ゴメンね…」いろんな言葉を頂きました。どの言葉
「100まで生きる」とにこやかに語っていた母が亡くなった。私はもう生きる意味も楽しみもなくなった。何年後かしらないが私は死ぬときに必ずこう思うだろう。「俺の命は65歳で終わっていたのだ」
こんにちはゆんです^^母との関係性あなたはどんな感じですか?もうねこの関係性がすべての関係性の根っこになっているといっても過言ではないわけです。母のことは好き。愛している。けれど、だからといって母の人生は母のもの、自分の人生は自分のもの母だからといって、なんでもかんでも依存したりしないし、なんでもかんでもやってあげなきゃいけないこともない。母だからといって、いつも会ってご機嫌伺いをしなきゃいけないこともない。会いたいと思えば会えばいい。母は母であり、それ以上でも以下でもな