ブログ記事1,370件
今日ふと思ったこと。最近は心が穏やかな日々が続いているな〜ここ数日全く泣いてないということに気付きました。(夜寝る前ちょっとだけ泣いてしまうのはなしで)毎日出かけたり、家のことしたり、好きな音楽かけながらNくんの前で歌って変なダンスしてみたり。いつの間にか、普通に笑いながらNくんに話しかけることができるようになっている良いことだ。でもそれは、1人でいる時間がほぼないからだろうな。夫は基本毎日家で仕事してるのでほぼ1人になることがなくて、だから
私の家族には今回妊娠していたことを話していたけど義理の両親には話さなかった。私と義理の両親の関係ははっきり言って悪い。最初は旦那も間に入ってくれていたけど段々と修復不可能だと思ってきたらしい。前々から違和感はあったけれど私は第2子の火葬後のやりとりをきっかけに義理の両親と距離を置いていた。でもしばらくすると嫁としてこのままじゃ旦那にも悪いなあと思った。ずっと溜め込んでいたものをきちんと話しておかないと今後も引きずると思って、ある日話し合いをすることになった。・心臓が止まってしまっ
娘のために出来ることをするのが私にとって唯一生きる希望になった。赤ちゃん用のおやつやジュースをお供えしてお花の世話をして娘のために可愛い仏具も注文した。本来であれば今育児の真っ只中で眠れない日々が続くだろうに私にはそれが叶わない。行き場を失くした母性をどこに向けたらいいのか分からなかった。1人目の時には頑張って働く姿を見せることで安心してくれるかなぁとかまたお腹に来てくれるんじゃないかと思って復帰したけど今回は自分を律することで精一杯なのに人のケアをできる状態ではないと冷静
旦那は朝から市役所や保健所への移動でてんやわんやしていた。はじめてのことで混乱してたようで母も合流して動いてくれていた。私は火葬許可証がないと退院できなかったため娘と病室で待機していた。病院から死産届をもらって市役所では死産届の提出と火葬許可証の発行手続き保健所では(市役所との連携がされないことが多いため)事情を伝え、今後新生児訪問や育児相談などの問い合わせ、連絡ハガキも郵送不要と伝えてもらった。母には、私と旦那で話し合った結果3日後の朝イチに火葬の予約を入れてもらいその間
〇●このブログは、36週でお空に帰った息子の妊娠記録です●〇出産から2ヶ月後、妊娠糖尿病が治っているかの血液検査。治っていますように前日の22時から絶食。水分はお水を口に含む程度ならOK。ブドウ糖75gの糖負荷検査①ブドウ糖を飲む前110mg以下②飲んで60分後180mg以下③飲んで120分後140mg以下結果①84mg②81mg③108mg治っ
死産を経験して、1ヶ月以上が経過しました。日によって気持ちの浮き沈みが違っていて、明るい気持ちで過ごせる日もあれば、どうにも涙が止まらない日もあります。何かをしていれば気持ちが紛れる時もあるし、何かをしていても涙がこぼれる時もあります。これは自分ではどうしてもコントロールできません。泣きすぎると目が腫れてしまうので、夫が帰ってきた時に気づかれてしまうため、できるだけ目が腫れないように注意しています。でも、元気がない時はすぐに気づかれてしまいます。ほんとうは夫を悲しませたくな
考えたくないけど考えてしまう見送る時のこと。消灯後天使ママのブログを見た。可愛い小さな骨壷やお見送りの棺がデコレーションされててそこにすごく愛を感じた。今見送る準備をするなんてこの子がまだ必死で頑張ってるのになんてひどい母親なんだと思いながらアイスノンと小さな小さな骨壷、可愛い棺と小さなお洋服、おくるみ、臍の緒ケース、手形のキットをネットで注文した。裁縫が得意な母親に頼んで布おむつを作ってもらった。母は出来上がった布おむつの小ささに泣いたらしい。夫にはプレゼント用の可愛いぬいぐるみ
最終の投稿が去年の11月…だいぶ日が経っていました投稿していなかった間、自助グループの天使ママサロンに定期的に通っていました。対面して天使ママさんとお話しできたことがとても嬉しかった。お空に帰った時期やお子さんを亡くした状況、経緯は違えど天使ママさん達はお空の子どもを想い、涙を流し沢山お話をして「またここで会いましょうね」と帰って行きます。メモリアルベアちゃんにお洋服を作ったり骨壷を可愛い巾着に入れたり、お空の子どもの為に色んな事をしてあげる天使ママ達は、たとえこの世で子どもを抱いていなくても
退院して職場にも今回の事伝えなきゃ。。。と思いつつ電話する勇気もなくてずっと先のばしにしていた。今後の手続きとかあるからさすがに連絡しないとな。。。と思ってやっと連絡できたのが退院して10日くらいたった頃職場に連絡するのは誰が出るか分からないから怖くて直接上司の携帯に電話した。上司が電話に出て今回の事、口に出そうとした途端言葉に詰まって泣いてしまう。上司も困っただろうなしばらくしてやっと言えた。「大変だったね。」「心配。」等の気遣ってくれる言葉があり
はじめに、私の経験と考え方を書き残しておきます。2024年3月に死産を経験しました。29週6日でした。胎動を感じないと思い、受診したところ、心臓が止まっていることが分かり、そのまま入院し、陣痛促進剤で出産しました。母子ともに異常は見当たらず、赤ちゃんを解剖してまで調べることは夫婦ともに望まなかったため、原因は不明に終わりました。ネットで色んな記事やブログを読んだり、私自身の中で色々考えたりしましたが、この事実に何かしらの意味付けを行うのではなく、ただ事実として受け止めな
今日は、死産した子どものために準備していたことについて残したいと思います。私が死産したのは29週6日でした。つわりが落ち着いた頃から、少しずつベビーグッズを揃え始めていましたから、ベビーカーやチャイルドシート、ベビーベッドなど、たくさんのベビーグッズがうちにあります。死産後、火葬を終えた翌日、部屋に広げていた全てのベビーグッズを夫と一緒にクローゼットにしまいました。生まれてきたらここに寝かせてあげようとか、服は衣装ケースに入れようかとか、色々思い描いていたものが残されてい
妊娠37週。よんちゃんの命が絶えました。その4日後には、姿かたちも消えてしまいました。今は、ポツリと骨壺の中です。よんちゃんが亡くなってから梅雨に入りました。私の心を映すかのように、毎日、毎日、雨が振り続けます。ザーザーと降り続く雨。それを見て、なんだか癒やされていました。今は、ずっと雨でいい。悲しみにくれる私。私の身体は、37週間かけて赤ちゃんを育てる為に少しずつ変化していました。母乳も出るようになっていました。身体も骨盤が開いたり、下半身にたくさんのお肉がついていまし
こんにちは。子宮内胎児死亡が分かった当日、神も仏も無いと思ってしまった私ですが、毎日仏壇に手を合わせて娘に話しかける日々をすごしております。勝手なのは重々承知。でも手を合わせることで自分の気持ちが落ち着くのを感じています。本来、神も仏も自分の願いを聞いてもらえるものでもなく、お願いするものでもなく、見守ってくれていることに感謝するべきものなのかな・・・と何となく思っている今日この頃です。あの時どうして救ってもらえなかったんだと悲しみ、憎しみを持ってしまった自分に反省しております。でも、
退院した次の日に帝王切開の抜糸のため旦那に病院に連れて行ってもらった。コロナの影響で付き添いNGの産婦人科も妊婦さんばかりでお医者さんが気を遣ってくれたのか「旦那さんと入ってきていいよ」と言ってくれた。長期間入院でお世話になった私はいつの間にか看護師さん達と顔見知りになっていて産婦人科に入ると私を見つけた皆さんに会釈をされたり手を振られた。待合室にたくさん人はいたが順番に呼ばれることもなくすぐに部屋に案内された。部屋の中に入ると先生ではなく助産師さんが座ってい
今日はこどもの日🎏旦那がこどもたちのためにケーキを買おうと提案してくれて嬉しかった!昼間は暑かったけど風が心地よくて良い天気だった☀️3人の子供たちもケーキ喜んでくれるといいなぁまたいつか会えた時、お父さんとお母さんとみんなで一緒にケーキ食べれたらいいね🍰
こんばんは今日は、死産後初めて電車でお出かけしました。電車人多いだろうし大丈夫かなと緊張してたけど、なんのその。気持ちが乱されることもなく、全然余裕でした(妊婦さんや赤ちゃんを見なかったからかな?)電車でお出かけしたのは、前の職場の先輩に会うため。先輩と言っても、年は私より一回り以上上の先輩です。いつもこの先輩と会う時は、ランチでワインを飲むのがお決まりになってて、今日も美味しいイタリアンとワインを1杯だけいただきました死産後全くお酒飲む気分ではなかったけど、今日お酒
以前にも書きました、死産後の交友関係について。切るか切らないか悩んでいましたが、結論は出ずにいました。【その時の記事】→すさんだ心→死産から1か月状況をまとめると…【女子会メンバー】私去年出産した子①去年出産した子②独身の方【状況】仕事を理由に断り続けてきたが、誘われ続けている。(妊娠前)死産のことはもちろん、妊娠していた事も報告していない。【私の心境】行くといつも嫌な思いをするので、元々行きたくなかった。小さ
今日は死産したわが子とお別れした時のことを残したいと思います。死産したわが子とのお別れはあまりにもすぐでした。死産した日には棺の準備をし、その翌日には火葬を行いました。ほんとうにあっという間でした。棺には金物以外は入れて構わないという説明を受けたので、生まれてきたときのために準備していたベビー服を着せてあげ、何かのプレママプレゼントでもらったプーさんのタオルにくるんであげました。お花は夫がスイートピーを準備してくれました。「門出」「別離」「優しい思い出」「永遠の喜び」
どうもまた風邪を引いたみたいです…現在死産後の産後休暇を取得中で、いよいよ来週から復帰予定ですが、昨日から風邪の症状が出てきました…。この数週間の間に3回目の風邪です。一体全体どうなっているのか…涙妊娠中は全く風邪を引くことがありませんでしたし、産後休暇の今はほとんど人と会うこともありません。(買い物等の外出では人のいるところに行きますが…)まだまだ免疫力が弱いのかなぁと感じています早く元の体調に戻りたいなぁ。。
この日ほど来て欲しくないと思った日はない準備をして車に乗った。旦那、母、叔母、いとこが付いてきてくれて祖父母は足が悪いため家で待機することに。祖母は当時の自分と照らし合わせて私を見ていたのか朝から泣いていた。車内では棺の蓋を外して外の空気や景色を楽しんでもらった。これまでずーっと娘のお顔を見てきたけどポカンと開いたお口がなんだか笑っているように見えて可愛かった。義理の両親とは現地で合流した。受付を済ませた後斎場のスタッフの方に案内されホールへ移動した。たくさんの可愛いお花が
ひまわりは私にとって、特別な花です。11年前、最愛のワンちゃんが癌で亡くなりました。亡くなるまでの夏の間、つけてあげたひまわりのリボンがすごくすごく可愛くて…毎夏、ひまわりを見るとあの子の事を思い出します。3年前、結婚式を挙げた時、季節は夏でした。ブーケの花は、あの子によく似合っていたひまわりを選びました。ひまわりを見ると、あの子の事、そして自分の結婚式の事を思い出すようになりました。(私のプロフィール画像はそれです)そして、ピヨちゃんを産んだ
12月1日、今日は娘の4回目の月命日を迎えました。かんなちゃん、昨日はお家に帰ってきてくれたんだね。パパとママは、かんなちゃんのイタズラ😘にちゃんと気付くことができたよ。「帰ってきてるよ〜そばにいるよー」ってちゃんと教えてくれたんだね。かんなちゃんは賢い子だね!教えてくれてありがとうねパパとママがかんなちゃんを送り出す時にどんな方法でもいいから帰ってきたら教えてねって伝えた事、覚えててくれているんだね。昨日はかんなちゃんを凄く凄く近くに感じる事が出来てママ嬉しかったな。嬉しすぎて絵本4冊も
あれから9年。死産した直後に、死産して10年経ったという方からコメントをいただいたことがあります。10年という月日は私にとっては全く未来の読めない遠い数字でした。どんな気持ちでいるのかも、家族が増えているのかも、全くわからなかった9年前。まるで昨日のことかのように思うこともあれば、少し遠くなったようにも感じます。この9年の間に、高齢の身内がお空の上に旅立ちました。ぱんぽこ、可愛がってもらっているかな?それとも先輩としてお空の作法をいろいろ教えてあげているのかな?納骨は出来ていませ
本日2回目の投稿です。ひとつまえの記事で、『不育症』と『マタ旅』についてリブログしています。(是非読んで!!)ピヨちゃんを産んで、4か月が過ぎました。4か月の赤ちゃんってどんな感じなんだろう~?って想像してみようとするけれど。私には想像できない。首はもう座ってるの?おむつは1日何回替えるの?ミルクは1日何回あげるの?身体はどうやって洗ってあげるの?離乳食はどうやって作るの?何あげるの?そもそも4か月ってまだ離
こんにちは。かんなmamaです。私は2018年8月1日、妊娠35週2日(妊娠9ヶ月)にて第一子となる娘を死産しました。娘の子宮内胎児死亡の原因は、先天性十二指腸閉鎖に関連した臍帯潰瘍が原因だと医師からは言われています。私も産後、実際に臍帯潰瘍を見せてもらったのでそれは間違いないと思っています。それだけ娘の臍帯潰瘍はわかりやすく存在していました。娘の病気について詳しくはこちら↓↓↓「十二指腸閉鎖」と「臍帯潰瘍」とはですが私は産後、本当に臍帯潰瘍だけが原因だったのか、他に原因はなかったの
今日は死産を経験して、命について考えたことを残したいと思います。私が約1ヶ月前に死産を経験して、今思うことについてです。紛れもなくお腹の中には命が宿っていたのですが、まるで夢のようだなぁと思います。お腹の中にいたあの子はどこに行ってしまったんだろうなぁ…と。その答えはきっと「どこにもいない」ということだと思います。世界中探し回っても、何をしても、会うことはできないんだなぁと思います。話は少し変わりますが、私が大学1回生だった頃、初めて身近な人の死を経験しました。母方の
今日は死産後の職場復帰と次の妊娠への思いについて残したいと思います。働く女性が死産をした場合、職場は原則として8週間の産後休暇を取得させなければなりません。(本人が希望し、医師が認める場合は6週間でも可)私は3月に死産を経験し、現在8週間の産後休暇を取得中です。元々産前休暇に入る予定でしたから、職場では私の後任も着任しており、私が準備していた引継書を見て仕事を進めてくださっています。急な産後休暇取得となってしまったことや、後任がついている中での想定外の復帰となるため、職
今日は死産後の体調の変化について残したいと思います。私が死産を経験したのは3月の中旬頃でした。それから今日まで1ヶ月以上が経過していますが、なんとなーく悪露が残っているような状態です。産後、3〜4週間が経過した頃、生理のような出血がありました。インターネットで色々調べていると、死産後、20日くらいで生理が来たという記事を目にしたことがあったので、とっても早いけど生理が来たのかなと思いました。1ヶ月検診の時に先生に聞いてみたところ、生理にしては早すぎると思うとのことでした。
今日は死産を経験したことは不幸だったのかどうかについて残したいと思います。私が死産を経験したのは、29週6日で、妊娠後期にあたる時でした。逆子ではありましたが、それまでの経過は順調でした。だから、まさかこんなことになるなんて、考えてもいませんでした。まだ死産して1ヶ月くらいしか経っていませんが、何度も思うことがあります。果たして、私は不幸なのか…。答えはNoです。29週6日、わが子と過ごした日々は紛れもなく幸せな日々でした。他の妊婦さんや子ども連れの家族を見ても、自
あの日までは普通に赤ちゃん産まれて普通に子育てしていくんだな〜ってそんな気持ちで妊婦生活送ってました。。。まさか自分が死産宣告されるとは。。。まさか自分がこんな辛い毎日を送っていくとは。。。自分が経験してから知った事や同じ経験をされた天使ママや天使パパのブログでとても勇気付けられました。私と同じ天使ママや天使パパに少しでもお役に立てればと思いこのブログをはじめようと思いました。