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しばらく中断しておりました「大東亜戦争ダークツーリズム長崎県編」を今回より再開したい思います。長崎県内の戦争遺跡探検は何度も行っておりまして、今回からご紹介するものは、2015年9月にシルバーウィークという五連休がございまして、その休みを利用して訪れた時のものからご紹介致します。今回ご紹介する所はあの世界遺産「軍艦島」のある長崎市南部に向かう途中の長崎市伊王島町地区というにある伊王島という島でして、ここにかつて陸軍部隊が置かれていましたので、その痕跡を探しました。そもそもこの島
「近くに炭鉱の跡があるヨ!」仕事で度々出かける福岡市の近郊糟屋地区で、地元の方から教えてもらった。大昔、小学生の頃、父の転勤で佐世保の炭鉱町に暮らしたことがある。同級生たちも鉱夫の子が多く、もちろん家のお風呂も石炭で焚いていた。日本の高度成長が始まる夜明け時期で、まだ戦後の臭いが残っていた。そんな記憶が頭の隅から消えないのか、炭鉱と聞いただけでワクワクする。家に帰ってマップを検索。少し手間取ったが、宇美川沿いにそれらしきものを発見する。歴史を探索する時は、川沿いがキーにな
長崎大学の裏手、つまり爆心地や平和公園から東側は金比羅という山側に「穴弘法寺」という古くからのお寺があります。その穴弘法寺に登る途中にある経の峰の墓地は「原爆死」「昭和二十年八月九日死亡」と刻まれた墓碑が目につきます。一家で六名が同日、犠牲になったことを示す墓誌もあります。いまも爆風で傾いたままの石塔、破壊されたまま、修復されていないお墓も残されています。穴弘法寺は、何かあった時は長崎医科大の救護所に指定されていました。被爆し瀕死の多くの大学関係者や市民が必死で長い石段を登って
長崎駅裏側にあるJR長崎運転所の建物の傍らに長崎機関区の原爆殉難者之碑があります。所在地:長崎市尾上町1建立年月日:昭和56年3月2日管理者:JR長崎機関区右側面の碑文昭和二十年八月九日午前十一時二分原爆投下による殉職者名林田汐太吉田登姉川達律中村久夫吉田浅市外山節雄北原勇甲斐敬雄安木五三郎吉田力一瀬正春平田安則小野末雄田栗富士市中山優野田芳雄樋渡義実吉村美衛片岡善二説明板この碑は浦上の上