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筒江城(朝来市和田山町筒江)標高30m余の独立丘陵上にある筒江城は居館が城郭を成している館城といってよかろう。諏訪城に似た平城といった姿である。総じて加都・枚田の城は比治城を除けば比較的低い山上にある。打って出やすい城といえよう。(※和田山町史より)南西五郭南西四郭横堀状の西三郭中央堀切からの西堅堀中央堀切の土橋中央堀切からの東堅堀南二郭南二郭南東腰曲輪南堅堀南東堅堀南東三郭東堅堀主郭帯曲輪状の東二郭北東堅堀北東三郭北横堀からの北東堅堀北横堀北横堀からの
一昨日(6/20)、我が家から車で30分位北に向かって走り「余野(よの)本城」(大阪府豊能郡豊能町)という山城に登城しました。「余野本城」の城主と歴史についてですが、1185~1190年間に城主は「能勢氏」の一族だった「余野氏」が築きましたが、応仁の乱によって廃城となり、その後、近くに「余野城」を築いたと伝わります。「余野城」は戦国時代に築かれ、そのころには能勢において「能勢氏」「野間氏」と共に有力惣領となりました。その後天正年間に「余野城」を築いた「余野頼幸」は、近隣の「高山右近」
州前城(津山市中島・美咲町錦織)「古城之覚」は久米南郡中島村の「嵯峨山」として、城主を錦織右馬丞利政とする。「作陽誌」は和歌に詠まれる佐良山は嵯峨山で古城あり、山の高さ百六十間、西麓の地名から「州前城」ともいい、天文年中(1532~1554)に尼子氏の門属錦織右馬助利路が在城、宇喜多秀家の時に川端丹後が城を守り、また「佐良城」があった時には中島村に上今市・下今市として市店があったと記す。ちなみに川端氏先祖書(『美作古城史』所収)には、川端丹後守は西屋城主で後「中島村佐良山之城主」となったと記す