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路線バス(高速バスを含む)だけを使って夫婦で西国三十三所を巡礼しています。【前回のおはなし】【最初から読む】~~~~~~~~~~~~~~~滋賀県近江八幡市のJR近江八幡駅です。第三十一番札所の長命寺にお参りしてから2か月がたちました。今日は7月27日。最高気温は36度。この猛暑の中、次の札所観音正寺を目指します。今回も妻と2人で近江八幡に来たのですが、観音正寺までは別行動します。妻はJRで隣の安土駅まで行き、そこからタクシーで観音正寺へ。わたしはバスと徒歩だけで移動し、お寺
織田信長が革新的な武将だったという従来像に疑問が投げかけられています。筆者もこれまで単行本(『戦国武将の収支決算書』)などでその疑惑になんどか言及しています。たとえば、「座」(特権商人の組合)の既得権益を排して岐阜城下で自由に商売をさせる「楽市楽座」、通行の自由を妨げていた「関所の撤廃」は、いずれも信長のオリジナルではありませんでした。また、信長の悪行の代表例とされる比叡山延暦寺の焼き討ちも、彼が中世的な権威を嫌い、革命的な思想をもって断行したわけではありませんでした。
何故閉業に追い込まれてしまったのか?。ショッピングモール内のゲームセンターは、メインの買い物客がついでに遊んだり、家族連れが集まりやすい環境で安定してるのが、自分のイメージだと思っています。全盛期の“アドアーズ南砂町SUNAMO店”は、系列店の不要なマシンの寄せ集めが中心。特にプッシャーマシンは、開店時刻から約2時間になると、ほとんどが満席になるほどの人気でした。コロナ禍時代のシングルマシンのコーナー(2022年撮影)閉業が決まる数ヶ月前、閉業への兆候が見られたのは、去年5月のゴールデ
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』で織田信長はどのように描かれているのかをヒストリーチャンネルで放送されていたので観てみました。タイトル通りの時代に革命を起こそうとした男アニメ『まんが日本史』、1983年4月〜1984年4月に放送されていました。その当時の通説的な日本史理解を知るのにちょうどいい番組だと思います。『まんが日本史』での流れ(『まんが日本史』の織田信長)前回、桶狭間で今川義元を討ち取り、斎藤道三を殺した義龍死後の斎藤龍興