ブログ記事1,688件
3月上旬、シンガポールを旅行しました。パシール・リス公園を散策します。マングローブ林を含む、広大な公園でした。林の中から様々な鳴き声が聴こえます。普段は、鳴き声も識別の参考になりますが…日本での経験が、ここでは通用しません。何かの鳴き声を頼りに木々を観察します。たまたま、カラフルな鳩を見つけました。数羽が木の枝に休んでいます。一見すると日本のアオバトに似ていました。コアオバトです。(Pink-neckedGreenPigeon)胸
私的靖国神社紹介part.15【さざれ石】靖国神社境内にはさざれ石が何石あるでしょうか?私が知る限りでは現在2か所4石だと思います。嘗ては1か所2石だったはずです。1か所目は「出征を見送る家族の像」から右手裏に回り込んだ場所にあります。九段中等教育学校(旧九段高校)側入口から入った辺りです。この辺りから中央広場「大村益次郎像」の辺りまでが150周年事業で「慰霊の庭」として整備され大きく変わったエリアです。さざれ石は国家でも歌われており国民が団結して国家がさらに発展していくよう
3月8日(金)天気雪のち晴のち雨のち曇り明け方からの雪で躊躇しましたが高尾山に行ってきました毎月登っていたのでピンバッジ配布日には行かなくてはと前々から予定していたので確かめもせずに。。。高尾山口駅で1週間延期になったのを知ってがっくりでもせっかく来たのですから登ってきました登山道の周りは無彩色の世界いつも見ている高尾山とは別世界こちらもまた良き眺め6号路分岐階段を上り終えてこの辺りが最も雪深かった所山頂へ向かいます山頂先客が二人いまし
八雲神社の御朱印鹿又総鎮守八雲神社おくのほそ道の看板も😄案内板から本堂にむけての参道です🚶駐車場は鳥居の手前にあります🅿🚙鳥居⛩️と手水舎(左)由緒文応元年(1260)に創建されました⛩️その後の元和元年(1615)に当地方で疫病が大流行した際、これを鎮めようと時の当社の法院、慶順が牛頭天王を勧請し牛頭天王社として社殿が建立されました。その後、明治三年に神仏分離令により近郷数社を合祀し、素戔嗚尊を御祭神とする八雲神社となる⛩️五穀豊穣、川上安全、厄災消除と、地
4月頃、瀬織津姫様のことを知り、自粛要請が解除されるのを待って。夏至の翌日、六甲比命神社へお参りすることができました。自粛解除になったらいつでもすぐ行けるように、ネットで場所や行き方を調べていました。何やら、六甲山の上の方の大変な場所にあるようで。。急な坂や、細いハシゴを登って・・・とか、いろいろな方のブログ記事などを読んで参考にさせてもらいましたが、私にも行けるかな??って結構不安でした。駐車場あるかな?っていうのも気になっていて。六甲山の上美術館の駐車場にとめたら
行こう!きみとその未来へ和歌山県岩出市・紀の川市にある塾のユーゼミですユーゼミのブログ担当ブロたんの桜です🌸今日は桜のよもやま話にお付き合いください(*^^*)昨年、学文路天満宮(かむろてんまんぐう)のブログを書いたときに、「駐車場の写真を撮ってくれば良かったな。」と思ったので、今年のお参りでは駐車場の写真も撮ってきましたこの日は京奈和自動車道を高野口インターチェンジで降りて、九度山町(くどやまちょう)経由で車を走らせました
先日とある所で、あの場所に植えたモミジが大きくなっていると言われたので行って来ました。途中、道の駅とよとみに寄りました。案内板を見ると…浅利与一義成公の墓と書いてあります。誰?与一で知っているのは、那須与一。予定には無かったけど行来ました。道路に看板があります。有名なんだ。浅利義遠別名義成通称与一平安時代末期久安5年(1149年)、源清光の11男として誕生。浅利氏は甲斐源氏の一族。甲斐国八代郡浅利郷を所領し、浅利姓を名乗ります。源頼朝の平家討伐に馳せ参じ、富士川
おはようございます、Jayです。観光などで初めて行った場所や馴染みのない場所ではどこに何があるかわからないかと思います。そういう時はスマホを出して…、近くに立てかけられている地図や案内版を見るのではないでしょうか?(笑)今自分がその地図のどの位置にいるかわかりやすいように「現在地・現在位置」と表されていますが、これを英語で書くと?「現在地・現在位置」=“YOUAREHERE”もしいつもの記事のように「現在地・現在位置」を英語で言うと“currentlocation