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H(夫)の休暇中におでかけKYOTOに向かったけれども出発直後に「アッチに行きたい」とHが言い出し急遽目的地が変わったNARA大昔ワタクシが訪れて印象に残ってたトコの話しをしてHもいつか「行ってみたい」と何年も言ってたトコNARA柳生の里大昔〈ワタクシがHIMEと呼ばれてた頃〉に訪れた場所で地元のおじいちゃんがじっくりと説明してくれた広場の向こうに高い木があった使命を受けた十兵衛が里を発つ時その木を何度も振り返り里を慕んだらしい…でも…NARAどこにもNARA
1971年、舟木さんはNHK大河ドラマ「春の坂道」で徳川忠長役で出演しました。徳川家康から始まる三代の将軍に側近として仕えた武人・柳生但馬守宗矩の生涯を描いた作品で、柳生新陰流を確立し、剣と禅の道を政治や教育の場に生かし人物です。主役の柳生但馬守宗矩を演じたのは中村錦之助(のちの萬屋錦之介)さんです。「春の坂道」のレコード発売に合わせて、奈良県の柳生の里を訪れた舟木さんです。春の坂道舟木一夫楽曲「春の坂道」は、和楽器の大鼓(大皮とも呼ばれる)小鼓
柳生の里は、奈良市の北東部の京都と隣接する山間にある。柳生の里は、江戸時代に将軍家剣術指南役として天下に権勢をふるった柳生新陰流とその創始者である柳生家の故郷であり、藩主として治めた一万石の地である。柳生の里には、旧柳生藩陣屋跡、旧柳生藩家老屋敷、菩提寺などの柳生一族にまつわる史跡が残っている。所在地:奈良県奈良市柳生町十兵衛杉高さ30m余の枯れた一本杉。柳生十兵衛三厳が、幕府の内命により西国大名の動静を調べるための旅に出る際、先祖の墓を参った時に、植えられた杉と言わ
芳徳寺(ほうとくじ)は、寛永十五年(1638年)に柳生但馬守宗矩が、亡父・石舟斎宗厳の供養のために創建したもので、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚で、後に柳生氏代々の菩提所となったもので、正式には神護山芳徳禅寺という。宗矩の死後、正保四年(1647年)に、将軍・徳川家光の内意により、小柳生村の内の200石を寺領として付与された。また、宗矩の末子が仏門に入り、列堂和尚義仙として当山の第一世となった。宝永八年(1711年)の大火で焼失したが、正徳四年(1714年)に再建され現在に至っている。
柳生八坂神社(やぎゅうやさかじんじゃ)の創建年代は不詳であるが、当初、四之宮大明神と呼ばれ、奈良春日大社の第四殿比売大神を祀っていたが、承応三年(1654年)に柳生宗冬が大久保町の八坂神社の祭神・素戔嗚尊の分霊をここに勧請し社殿が造営されて、八坂神社と改められた。境内の拝殿は天石立神社の能舞台を移築したものである。御祭神:素戔嗚尊、天照坐皇大御神、春日比売大神所在地:奈良県奈良市柳生町364鳥居参道拝殿天石立神社の能舞台を移築したもの。