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OhSummerBeachゆうべは“ごめんね”私が少しいけない僕もだいぶんいけない。グラビアしか見ていなかった。SummerBeach岡田有希子1985年(デジタルリマスター2024年)AIで作成した似顔絵(2024)は賛否両論のようだ。CityPopとしてこの曲が最近見直されている。特に海外で人気があり、2023年4月下旬にはSpotifyで200万回再生を突破。(約9割が海外からのアクセスで1位はアメリカ)2024年5月4日現在で289万
1985年5月3日国民の祝日である憲法記念日の日に日本テレビ番組「おしゃれ」は、平日の午後1時15分から15分間放映されている。昭和60年5月3日放映の「おしゃれ」のゲストはデビュー2年目を迎えたばかりの岡田有希子だった。この日、彼女は、司会者に問われるままに、ここ何回か取り上げて来た、「スター誕生!」決戦大会を前に母が課した「佳代にとても出来ないだろうと思われる三つの条件」について語っている。ちなみに、「おしゃれ」は昭和49年に放送が始まり、初代の司会者は俳優の三橋達也とフ
愛犬を惨殺されたユーミン夫妻---松任谷正隆を襲った不幸1996年、松任谷夫妻の自宅に何者かが侵入した。愛犬二匹が刃物でめった刺しにされた。松任谷夫妻は、以前からストーカー被害に悩まされていたらしい。そして、その犯行当日には、夫の正隆に脅迫電話がかかっている。愛犬は無残に殺されたが、犯人はいまだに逮捕されていないのだ。よって、犯人の動機さえも分からない。その前年1995年には、「田村英里子」が公演先の愛知県のホテルで被害に遭っている。ホテル従業員が、田村英里子の客室に
はあい!庶民派セレブ代表のカイルです。最近すっかり昭和歌謡にハマってるんだけど、その流れで、昭和歌謡の職業作家さんたち(作詞家や作曲家)が高学歴の人が多いということに気づいてしまった…!作詞家さんはもちろんその傾向が強いんだけど、なんと編曲家も!作曲家はケースバイケースかな。ということで、ちょっとシリーズで綴っていきたい第一弾は、やっぱり永遠のアイドル、聖子ちゃんです!(タイトル、作詞家、作曲家、編曲家の順)1裸足の季節三浦徳子小田裕一郎信田か
(シングルのジャケット1983年)「あなたの好きな優しさなんか私はなくした女です」高校/大学時代を思い出して懐かしい。ちょっと地味だけど、沁みる曲。ポプコンを良く聴いていた僕は高校の時からこの曲が好きだった。コーヒーハウスにて(アルバム版)1982年1stアルバム「トワイライトの風」より編曲クニ河内「風に色があるとかないとか隣りでは文学少女達がパイをつつきながらの大論争」僕はといえば、たまに英語の授業を集団でさぼって、真昼間に大学生の男達がパフェを
家庭内別居になって2年10ヶ月目。先日、TVで松任谷由実さんのインタビューを見ました。松任谷正隆氏との関係について、「私達はおしどり夫婦とは違うと思っています。言うなれば、ハサミのような関係。刃は向かい合っているけれど、お互いを傷つけることはなく両者はお互いがあってこそハサミとして機能するのです」※言葉は相違があるかもしれませんこれを聞いたときうまいな!さすが表現者だ、と思いました。正隆氏が既婚でも恋多き男性なのは有名です。きっと由美氏がつらい状況にあったこともあるの
YouTubeの角川シネマコレクションにて『時をかける少女』が2週間限定公開されていたので、久々にみました。実は過去にも何度も見ています。一番最初は私が中学2年の夏休みに映画館へ見に行きました。当時、あまりにも、ストーリーや原田知世に感激し、グッズを沢山買ったのを覚えています。グッズの中でも一番のお気に入りは、原田知世の下敷きで、学校でもずっと使ってました。私が中学2年生で、"人生これから何かが始まる予感"がして、ワクワクドキドキしていた頃、、、この映画はバッチリ、ハマりました
もう「Sugar」大好き❕嵐さんのイメージにピッタリな品がありつつもオシャレで衣装の裾がふわりと舞いなんと言っても「Sugar」の演出が最高でした💜編集の合間にテレビに映った篠原ともえちゃん。ライブ衣装に携わるようになったきっかけを話されていて。(その場でイメージが浮かぶって才能✧︎)これは嵐さんの話がくる!と思ったら「嵐のコンサートのスタッフの関係者の方が…」って。篠原ともえちゃんは「BLASTin宮城」と「Untitled」に衣装チームに参加されてたと思うんだけど「
【80年代アイドル総選挙!ザ★ベスト100】…80年代アイドル総選挙!ザ★ベスト100は、2022年に"82年組"のアイドルデビュー40周年を迎え80年代アイドルが一際注目された年となった気運に乗って、みんなで人気女性アイドルを決めよう!と始まったのが80年代アイドル総選挙!である。投票の場『Re:minder』の特設サイト2022年12月9日から2023年1月8日にかけて3245人が投票。この投票に39人のアンバサダーの投票を加えてポイント化し、投票ポイント数で決定した上位100人のライン
音楽プロデューサーの松任谷正隆といえば、やはり松任谷由実の顔が浮かんできます。おそらく世間も、「ユーミンの夫」としての印象が強いはずです。ですが、彼女の今日のスーパースターとしての地位は、陰に陽に支えてきた、彼の存在あってこそといいます。松任谷正隆こと通称マンタは、最初から裏方だったわけではありません。かつてはミュージシャンとしてソロアルバムを出したことがあります。ユーミンとの結婚直後に出した、『夜の旅人』です。ブログ筆者はこのアルバムが好きで、当時よく聴いていました。すべての曲はマンタが、詞
ROCKmeetsART!箱根アフロディーテ50周年記念イベント“追憶のピンク・フロイド”でSUGIZOさん、松任谷正隆さんがピンク・フロイドを語る。8月6日、7日に彫刻の森美術館で開催された、「箱根アフロディーテ」50周年記念イベント『追憶のピンク・フロイドオーディオライブ』。会場は箱根の彫刻の森美術館内の「ArtHall」。抽選で選ばれたトータル約400名の招待者が参加し、さまざまな美術品に囲まれた贅沢なアートと最高の音響空間の中で行われ、まさに「ROCKmee
CAGEMANch.さんです。ひと昔以上前のことになります。。。身分不相応ですが、当時、「CARGRAPHIC(カーグラフィック)」という雑誌を摘み食い程度に読んでいまして。。。それに並行して「CARGRAPHICTV」というテレビ番組も視聴していました。今はBSで放送されているようですね。その番組のオープニングテーマ「TheThemeofWinner」は、番組の出演者でもある松任谷正隆さんが作曲なさっ
平原綾香さん(以後あーやでお願いします)が毎年開催している恒例の全国ツアーですが、そのセミファイナル(ファイナルは大阪のフェスティバルホール)となる東京国際フォーラムAへ行って来ました。今年は20周年を迎えた特別なコンサートということで、タイトルを20thAnniversaryConcertTour2023~WalkingwithA-ya~と名付けられていました。以前は、ファイナルを、Bunkamuraオーチャードホールで行っていましたが、ここ数年は、ファイナルを大阪で迎える
うちの父には年に一、二度会うくらいだが、血縁関係もないのに毎週のように出会うおじいちゃんがいる。田辺憲一さん。カーグラフィックTVのMC。ほぼ毎週会ってるね。もう30年くらい。(「建物探訪」の渡辺篤史もそうか)でも最近めっきり痩せてしまって病気なんじゃないかと心配してしまう。もう75歳くらいだもんな。昔はクルマに詳しいお洒落なオジサンという感じだったのが、気がつけばおじいちゃんに。毎週会ってるから変化に気づきにくいんだな。いつまでも松任谷さんとともにやってほしい。
1978年秋のリサイタルで、第1部後半に2曲続けて演奏された曲である。前者がハイ・ファイ・セット、後者がサーカスという、いずれも混声コーラスグループのヒット曲という共通点もあり、本日まとめて取り上げさせていただきたい。「冷たい雨」(1975)は、ご存知荒井由実時代のユーミンが作詞・作曲。オリジナルの録音はバンバンで、あの大ヒット曲「『いちご白書』をもう一度」のB面に収められていたとのこと。翌76年にハイ・ファイ・セットがカバーしてヒット。ハイ・ファイ・セットは、解散したフォークグループ
今年は、岡田有希子さん(以下ユッコちゃん)のデビュー40周年イヤーの2024年です。現代なら仕事でメンタルが傷ついた人は、堂々と心療内科クリニックに通院できますが、80年代は心療内科が少なかったばかりでなく…メンタルを患うこと自体が異常と扱われる風潮がありました。コンプライアンスすら確立していない時代でした。筆者は、ユッコちゃんデビュー前に同事務所を退職しフリーになっていましたが、TV局等でユッコちゃんと遭遇し話す事はありました。18歳の若さで悩み旅立たれたユッコちゃんを