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旧中山道板橋駅を歩く①板橋駅~平尾宿脇本陣跡旧中山道板橋宿の散歩記です。今回は①「JR板橋駅」~「平尾宿脇本陣跡」■中山道・板橋宿江戸時代、江戸幕府によって五街道が整備され、「中山道」は「東海道」とともに「江戸」と「京・大坂」を結ぶ交通路として最も重要な路とされました。「板橋宿」は、五街道・中山道六十九次の、江戸を出て最初の宿場町となりました。東海道は五十一次126里、中山道は六十九次132里、道程は東海道よりも長かったのですが、大井川などの「川渡し・川留」の心配も
なぜこのネタが思い浮かばなかったのか・・・、東光寺駅の番人宮地と申します(笑)。そういえば私宮地の拠点東光寺駅を今まで全然紹介してなかったのですよ(あってお隣三条駅)。なので撮り鉄として活動してから早三年、私の原点にして頂点の撮影場所についてみなさんにお教えしましょう!ということで今回もよろしくお願いします!〜導入そもそも東光寺駅とは?〜みなさん東光寺駅、誰かさんのせいで名前しか知らないと思うのでまずほんとに軽く概要だけ紹介していきます。当駅は三条市の片田舎金子新田に位置している2
こんにちは、川魚です。今回は新潟まで足を伸ばしてJR東日本の最後の電気機関車旅客運用の「ありがとうEL」を撮りに行きます。目次新潟へ長岡(送り込み)東光寺(1号)東三条(2号)新潟へ今回は新幹線で新潟へ向かいます。まずは東京から「とき307号新潟行き」で長岡へ向かいます。今回は朝早めだったので朝食を買ってから新幹線に乗車します。長岡(送り込み)長岡に到着しました。ホーム上や駅構内にはカメラを下げて三脚や脚立を持った人が大勢いました。駅の有人改
◆山門◆薬医門形式で細部まで精緻な技が施された均斉のとれた山門です。大正15年(1926)当山第29世木村哲忍上人(西教寺第29世眞空上人)にて再建されました。山門の横にある鐘楼は、明治41年(1908)当山第26世台谷哲隆上人にて再建されました。旧梵鐘は,第二次世界大戦時に供出されて、昭和23年(1948)に再鋳されました。梵鐘の内部には旧梵鐘の銘があります。◆本堂◆二