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今日12月14日は亡き母の3回忌。2019年に甲状腺未分化がんで亡くなった母。あっという間に時は過ぎるものだ。癌発覚から約一年半で亡くなった母。甲状腺癌が見つかり摘出手術になり、その後の病理検査で未分化がんが見つかった。未分化がんなんて初めて聞いた言葉だった。その説明を聞いてもピンと来なかった。だって、その時の母は元気だったから。甲状腺を摘出したとは言え、その時点ではそれでほぼ完治の話だったのだから。未分化がんが見つかり、説明としては…まぁ先は長くないと言う事なのだが…治す治療
がんには分化度というものがあります。細胞は分裂を繰り返して様々な臓器に分かれていきます。これが「分化」ですが、がん細胞が正常臓器に近いくらいに分化して成熟していれば「高分化がん」、正常臓器とは程遠い未熟なものは「未分化がん」と呼ばれます。(高)分化癌は正常な甲状腺組織に近い性質を持っていると考えていいでしょう。甲状腺がんの場合、(高)分化癌は乳頭癌と濾胞癌のことを指しています。それに対して低分化癌や未分化癌は成熟度が低い、つまり正常組織から逸脱していると考えてください。一般に分化度が低い
もともとこのブログは母が病気になり、それも甲状腺未分化がんと言う珍しい病気で、なかなか情報が少なく、いつかこのブログが同じ病気の人のお役に少しでも立てばと思いはじめました。あらためて亡くなった日から振り返ると、なかなか感慨深いものです。↑これは12月2日倒れる2日前。亡くなる12日前。自宅で僕が母に作ったおかゆと擦ったリンゴ。美味しいと言って食べてくれた母を今でもハッキリ覚えています。この12日後に亡くなるとは当然この時には思いもしませんでした。忙しく仕事をしていた母。家庭料理はもっ
赤十字病院に到着して再び受付しばらく待って採血に呼ばれる(さっきも採血したんですけどぉ(ヽ´ω`))採血2回目なせいか勢いも無く時間がかかるしかも、高熱がウイルス性のものかもしれないという事で左右の腕から採血させて下さいとの事ウチの血管が細いのもあって更に時間がかかる(^_^;)採血が終わった後は検尿・レントゲン・CT検査一通り終えて、診察を待ちましたロキソニンがきれてきたのか再び熱と痛みが酷くなる(;_;)そしてやっとよばれた診察検査の結果病名の診断はつきませ
どうも、こんばんは(*゚▽゚)ノ多分リアルタイムでブログを書くの初めてではないかな?夕方から眠くて仕方がなかったのですがいざ、寝ようとするとなかなか眠れずここに今思っている不安をぶちまけてあわよくばウチのブログを見て下さっている方に慰めて貰おうっていう魂胆ですなのでいつもの治験話などを期待されている方今回はどうぞスルーして下さい(都合により今日、サイクル9の診察結果が含まれていますが)後、アメンバーが未だによくわからないので普通にブログに書かせて貰いますm(_
僕の母は甲状腺未分化がんで亡くなった。発覚から1年半でこの世を去った。未分化がんと分かった時、インターネットなどで調べても基本的な情報しかなく、ブログなどで同じ病気の方の記事を見つけて少しでも情報を集めようとした。…現時点では未分化がんの根治は難しい。それが、調べてわかった結論だった。発覚時の状態で個人差はもちろんあるが、どんなに長く見ても3年以上を期待する事すら難しいと知った。実際、母は1年半だった。極めて難しい病気とは伝えていたが、余命宣告は出来なかった。人はいつか必ず死を迎
この日は朝から痛みが酷く昨日と変わらず鎮痛・解熱・栄養の点滴を受けていました2日目はMRIの検査のみしかも午後からなので午前はやる事が無い……まぁ、熱やら痛みとかで寝てるしかないんですがね(^_^;)3日目は検査無し4日目の検査は痛みの原因が胃にあるかもしれないと、言うことで午前に内視鏡検査午後からは肝臓の生検検査となりました……ハッキリ言って内視鏡も生検も前日から憂鬱でしかなかった(;A;)っていうか検査が好き!なんて人いないですよねー(。-_-。)あと、旦
12月になりお店も忙しくなるなか中旬頃から体調に異変が出始めました始めは夕方頃になると38度にいかないぐらいの熱が出るようになりました生理前とかに良く起こる現象だったので旦那さんにも寝れば治る!と、言って本当に翌朝には熱が下がっていましたところが更に2.3日経つと翌朝になっても熱が下がらず39度台の熱が出るようになりましたウチはバイトと仕事を休む訳にはいけないという気持ちとそのうち治るだろうという気持ちから市販されているロキソニンを飲んでやり過ごしていましたそし
長〜いお付き合いの甲状腺乳頭癌が未分化転化しましたウチが体験した事や思ったことが誰かのためになればイイな(*´ω`*)と思ってブログを始めようと思ったのですがアナログ人間なうえにマメな性格じゃあないしな〜(^^;なんておもいながら二の足を踏んでましたが!ちょっとヤル気が出てきたので勢いに任せてブログ始めます!よろしくお願いいたします<(__)>
処方された薬を飲んでも完全に痛みが引く訳でもなく熱も下がったとしても38度にいかないぐらい食欲もないからどんどん弱っていく感じがしました(ヽ´ω`)体はしんどいけどとりあえず痛みが強くなってないしこのまま1月6日の診察まで耐える事にバイトもお店も休ませてもらって家事も旦那さんに全部やってもらいウチはひたすら寝てました(´・・`)
レンビマを飲み始めた日から少し遡りますが入院して三日目ぐらいに鎮痛剤として医療用麻薬のオキシコンチン5mgと頓服用にオキノームが処方されましたいつまでも点滴に頼ってられないですからね(´-ω-`)飲んだ翌日旦那さんにLINEで嬉嬉として久しぶりにぐっすり眠れた!と、送っていました(*´▽`*)ただ、この薬副作用もそれなりにあって便秘と落ちるような眠気がありましたただでさえ寝てばかりなのに副作用でほぼほぼ寝ている日が続きました服用を始めてから3日程経ったぐら
胃の内部の画像が出てきます!苦手な方はスルーでお願いします健康診断で胃の画像を先生がCDに落としてくれました。まずワンクッションおきます。手術前の様子です。アラフォーで自撮りするな!ピースするんじゃない!と、聞こえてきそうですが…すみません…痛いですねこの手術着が術後は血が飛び散ります!私が受けた手術はESD(内視鏡的粘膜下層剥離術)と、いうらしいです。胃カメラを飲む時と同じ様な感じで始まりました。帝王切開で子どもを産んだ時の方が、30倍くらいしんどかったです
レンビマ飲む!と、ウチ自身が治療に前向きな決意した後実家では旦那さんと母、兄でウチの今後に関して話し合っていたそうです話し合いでもレンビマでの治療をするという事にまとまりそうとなれば早くM先生に伝えねば!と、思うも週末で会うことが出来ず(;_;)決意をした2日後にレンビマを飲み始めましたレンビマを飲む前には説明書・同意書にサインしました薬剤師さんが持ってきてくれた冊子と記録表記録表の中身はこんな感じで血圧を書いたり副作用をチェックする様になってますどんな
ヽ(。・ω・。)こんばんは今回はリアルタイムのブログです先週の診察で肝転移の憎悪があり主治医が新しい治験を探してみると、いうお話で今日はその結果を聞きに行く日でしたウチの勝手な妄想だと今日、話を聞きに行く新しい治験が国立がん研究センターにあるので、聞きに行って下さいそして、今週か来週にでも聞きに行くことになるなんて、思っていました(°▽°)で、実際聞きに行きましたらとりあえず今すぐに受けられる治験はないと、言う事でしたうーん……嬉しいような嬉しくないような複
眩しいくらい明るい満月の夜母が昏睡状態になりました。弟と40年来母と共に働いていた方と3人で病室に泊まります。呼吸は荒いけどまるでいびきをかいて寝ているようです。あと数時間か数日か…最後のひと時を過ごします。
母、旦那さん、娘が揃ったところでタイミング良く主治医のM先生が登場病状説明を受ける為ナースステーション側のカンファレンスルームに移動皆が席に着いたところでM先生が口を開くトシミンゴさんの病状は進行の度合いなどから未分化癌で間違いないでしょうとの事でしたこの時の感情は覚えてないですが母と旦那さんが今にも泣きそうだったのと娘がキョトンとしていたのを覚えてますそしてその後確か母だったと思いますが最悪、後どのくらい(の命)ですか?と、M先生に聞くと早い人で3.4ヶ月し
バイトに行かなくていい……でもお店の準備があるからそろそろ起きないと……7:00過ぎに起きるも腹痛と熱でフラフラに痛みを堪えながら2階の寝室から1段ずつ階段を降り旦那さんにおはようの挨拶とりあえず薬を飲む為に軽く口の中にものを入れいつも飲んでる薬とロキソニンを飲むロキソニンを飲むもウチの痛がり様から旦那さんが救急に行こうと、言うので娘にも付き添ってもらい3人で救急病院に行きました
救急病院に着くと既に沢山の人が診察待ち状態受付を旦那さんにしてもらい自分は娘と空いている席に座って待っていました旦那さんはランチの予約が入っていた為開店準備にお店へ戻りましたしばらくして問診を受け採血と検尿をして診察を待ちました番号を呼ばれ、診察室に入ると先ずは触診からということで椅子に座ったままの状態でお腹を先生に見せる先生がちょっと触れただけで声が出るような痛みが(>_<)続いて採血と検尿の結果尿には問題が無いと血液は炎症反応がとても高いとここでは詳しい検
明日は母の新盆。2019年12月14日に甲状腺未分化癌で亡くなった母の新盆。あまりこう言う形式的な事は意識して来なかったタイプだが、やはり少し特別な日に思える。毎日、線香を上げてるけど。明日はいつもよりゆっくり母の前にいよう。
慌ただしく入院の準備をして再び病院に到着病室に入り、病衣に着替えると看護師さんの登場先ずは点滴用のルート確保するということで針を一刺し……失敗に終わり(꒪д꒪II結局看護師さんが3人変わってもルートが取れず担当医が3人いるうちの若くて綺麗な先生がルート確保してくれました(ᵒ̴̶̷̥́⌑ᵒ̴̶̷̣̥̀)💖そこからはサクサクっと採血を済ませて点滴開始(*´∀`)-3点滴は痛み止めの物解熱剤の物栄養の物の3種類ちなみにルート確保から点滴開始まで所要時間1時
レンビマを飲み始めてすぐに出た副作用がありましたそれは高血圧ですレンビマを飲む前は血圧が98/72とか低かったのですが飲み始めてからは135/92とか急上昇して高い時は165/112まで上がりましたなので血圧を下げる薬が処方されました(´•௰•`)よく出るとされる手足症候群はウチには出ませんでした(*´ω`*)飲み始めからニベアをぬりぬりしてたおかげかな?後、副作用か肝臓の働きが悪いからか足の浮腫みが気になるようになりました気休めですがクッションを持ってきても
M先生の話の後は時間の都合があってそれぞれ直ぐに帰宅しました治療方針をどうするのか考えておいて下さいとM先生に言われたけど何も考えられませんでした病室に戻った後検温しにきた看護師さんにM先生の話どうだった?トシミンゴさんはどうしたいと思った?と、思いもよらぬ事を聞かれそうですね…と、間をおいてからレンビマ飲んで副作用で苦しんで余命を少し延ばすぐらいなら治療せずに痛みを抑えて日々を過ごした方がいいんじゃないかと思ってますと、治療する事にとても消極的な答えを出
入院4日目午前は胃の内視鏡検査旦那さんとの当日のLINEのやり取りをみてみるといつも使っている鎮痛剤が内視鏡検査の為使う事ができず腹痛に耐えながら検査を受けた……らしいです(^_^;)もう半年程たっちゃって記憶がだいぶ薄れてますm(__)m思い返すとなんとなくですが涙目になりながらオエオエしてた気がします否、もしかすると内視鏡の検査が苦手なので記憶から消しさられたのかも(;´д`)そして午後は肝臓の生検看護師さんが迎えに来てくれてベッドに寝たまま検査室に移動
今回も治験のお話なんですが治験があまりにも順調で書く事がないので今回は治験にまつわるお金の話もしたいと思いますm(__)m♱⋰⋱✮⋰⋱♱⋰⋱✮⋰⋱♱⋰⋱✮⋰⋱♱⋰⋱2020年7月21日治験サイクル6の初日病院に着いたらいつもの儀式です!1Fのサテライト薬局にてCRC(治験コーディネーター)のIさんを呼んでもらうIさんと合流して体重測定、バイタルチェック検尿、採血をします今回はレントゲン検査もあったのでそれも行ってT先生の診察を待つ(˘ω˘)で、
毎日熱と痛みに耐えてや〜っと1月6日病院を受診する日がやってきた…(›´ω`‹)いつもは1人で車を運転して病院に行きますがさすがにこの日は運転なんかできず旦那さんに運転、付き添ってもらい病院へと向かいました病院に着くもののウチは痛みで歩く事もままならず車椅子に乗って移動(´・・`)この日は主治医が変わるということで検査などは一切なく診察だけだったと思います赤十字病院から頂いていたお正月休み中に大学病院に行く時用の紹介状(?)を受付で渡し診察を待ちました自分の
本日5時48分トシミンゴは息を引き取りました皆様の応援のお陰でここまで頑張ることが出来ました妻は優しく穏やかな女性でしたいつも笑顔で私たち家族を優しく愛してくれました妻が甲状腺癌になって19年人生の約半分は癌と共に生きてきましたしかし、妻は1度も自分の癌を悲観したり自分だけが辛い目にあっている様なことを言ったことがありませんそんな妻を私と娘は大好きでした未分化癌になって1年8ヶ月よく頑張ってくれたと思います皆様本当にありがとうございました
外出した翌日……これでもか!って言うぐらい体調が悪化しました(ºωº)チーンきっとはしゃぎすぎたんでしょうね(ˊᵕˋ;)💦そんな中、旦那さんと話し合い次なる治療を求め遺伝子パネル検査とセカンドオピニオンを受けることに決めました(`・ω・´)その事をM先生に話すと先生はすぐに病院内にあるがんゲノム医療推進センターに連絡してくれましたそこから専門の看護師さんが病室に来てくれたのですが診察・相談、検査は入院中は出来ないとの事なので、遺伝子パネル検査は退院の目処
ちょっと行ってくるって何処に?九州に!!このコロナ禍の中病気持ちが旅行だなんて心配の声が聴こえてきそうですが(^_^;今、ベストとも言えるような健康状態!この先、このベストな状態で旅行出来る保証はないので今、行きます(°▽°)九州旅行は前から話していたのですが実際、行動を起こしたのは10月5日JTBに行って相談だけして来ました予約は主治医にOKもらってからにしよう!と、いう事で保留にしてたんですが診察日に肝転移の憎悪があり主治医からは旅行は待ってくれ!との事待っ
闘病記とは少し関係のない話ですがウチは旦那さんと2人で洋食屋さんをやっています20席に満たないぐらいのお店で旦那さんがオーナーでコックさんウチが接客、会計等を担当お店がオープンして年月が経ち経営状態が落ち込んだ時期がありました少しでも、何かの足しになればと旦那さんの反対を押し切ってスーパーでアルバイトを始めましたタイムスケジュールはこんな感じです4:50頃起床朝食5:30出勤6:00スーパーで棚出しのアルバイト9:30帰宅お店の開店準
妻が体調を壊しちょうど3ヶ月リンパ腺が腫れ、甲状腺が腫れ病院を移り、先日低分化癌と云われ最悪の状況ではなくて良かったと先生にも言われて、レンビマで治療をすることに❗始めて1週間でみるみる腫れは引き、こんなに薬が効いて凄い🎵と先生が驚くほどでした‼が、夕べ、先生から前回取った細胞を引き続き検査してた結果、未分化癌であることがわかりました…との言葉妻はショックで泣き崩れ、『じゃあ、死ぬの?』と…先生曰く『今薬が効いてある時が一番いい時だから、今のうちにいっぱい楽しんで欲しい』って、突然云