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こんばんは。いつも温かいコメントありがとうございます。そろそろ下書きに入れっぱなしだったものを遡ってアップさせて頂こうと思っています。その前に話がややこしくなるといけないので、私達の事を再度書かせて頂きますね。最近のコメントで私達を夫婦だと認識してる方やカップルと認識されている方がいて、改めて書こうと思っていたのですが、僕の体調がどんどん悪化する方が優先だったので書けていませんでした。サラッと一行位でご報告した記憶があるのですが、、(違っていたらすみません、、忘れま
アニマルメディスンレイキヒーリング講座のご案内※本講座受講後、アチューメント(伝授)を受けることで、レイキヒーラーとしてヒーリングができるようになります。本講座は、動物のレイキに特化した内容となっていますが、飼い主さん自身の"自己ヒーリング"また、他者にもヒーリングができるようお伝えします。受講方法は、対面はもちろん!ZOOM等の無料オンラインでも受講可能でアチューメントも受ける事ができます。アニ
当時お付き合いしていた彼氏が誕生日プレゼントは「〇〇が書いた小説がいい」そう言われて誕生日に間に合うよう10日程で必死に書き上げましたよ(仕事の合間に)ぶっちゃけこの小説を読んだのは書いた私と貰った彼氏の二人だけです年に1回は、読み返してるんですけどね~一応、SFチックなラブストーリー(フィクションです)地球(人類)がおしまいになるお話です「薔薇色湾景」あらずじ(結構、長いです)グループホームに勤務するカズは、ホー
1.5ウトウトしながらと覚醒を繰り返しながら、夜も時間が経過していく。呼吸苦があるときは、「うーうー」と声にならない声で、動けない身体を動かそうとする母。その都度、母に確認をし痛み止めを臨時投与をしてもらう。その量もMAXに近い状態だった。話すこともままならなくて穏やかに過ごせるようにすることだけしかできなかった・・。元気なころからの約束だった。何かあった時は、延命はせずに苦痛だけを取り除いてほしい・・・。そう母はずっと願っていた。できることは母の苦痛
なぜだろう。最近、あの日のことが頭から離れない。ちゃーこからのメッセージ??忘れたくても、忘れられない7月13日。ちゃーこの病気が余命1年と分かった時からできる限り在宅で過ごすと、在宅で看取る覚悟をしていた。あの日。たまたま、ちゃーこは1泊入院していた。というのは…意識レベルも呼吸も、嚥下機能も低下していた。脊椎播種もあり、手足も動かず、座位保持も厳しくて。さらに自力で排泄もできず、私が導尿していた。い
『最悪な誕生日』『病院での大切な時間』さぁ久しぶりにあやのストーリーを書きますよぉもはや写真とか見ないと何があったか思い出せないレベル最近思うことが多くて…ようそんな語れる…ameblo.jp⬆️のブログのつづきですついにこの日のことを書く時がきてしまいました。あやの最期の日です。なんて書いたらいいのか…書く前から泣いています。まだ何を書こうかも決めていないのに…とりあえず最期の時は声をあげて泣きました。長くは生きられないことはわかっていたのに全然覚悟がたりませんでした
長くブログを読んでくださっている方だとわかってもらえると思いますが、わたしは日々、常に死を意識して生活しています。終わりを意識することで…ソファの上にほっぽり置かれたブラを寝る前に片づけられたり、出かける前に、もし自分が死んで他人が家に入るかも!と部屋を整えられたり、あり得ないようであり得る最期を意識すると、今ちょっとめんどくさいことに動力を使えるからです。きょうが最期の1日だとしたら、何をする?アメ友の1人に声優さんがいるのですが、彼女が面白い記事を書い
どうも、みなさんこんにちわ!たかざしです!今日はFate/Zeroの好きなシーンを紹介したいと思います。今回取り上げるのは切嗣と士郎の最後の会話です。ここからFateという物語が始まった。ゼロに至る場面ですね。第四次聖杯戦争で全てを失った切嗣がたった一つ手に入れた、救ったもの……それが本編の主人公である衛宮士郎でした。その士郎と共に過ごした5年間の日々は今までの切嗣の人生の中で最も平和で穏やかな日々だった。しかしその穏やかな日々は長くは続かず、聖杯の呪いにより、切嗣は最期
1.3母から電話がある。「今日は少し調子がいい」と。昨日、酸素もして、寝たきりになっていた母。調子がいいというのは安心感がある。少しでも長生きしてほしい・・・。そんな想いの中、電話を受けた。1.414時ころ電話がなる。ちょうど仕事中で、タイミングよく携帯の傍にいた。姉からの電話。「今、吐血して、意識レベルが下がってよう。状態的に危ないと思う。今日から付き添いをした方がいいと思う」とのこと。嘘と言ってほしい。昨日は調子がいいと母は言っていたのに・・
今年になって3ヶ月の間に我が家はウサギを2羽亡くしました🥲『もう飼わないの?』と聞かれることも。まだ2羽残ってますけどね😅それでもやはり、ウサギたちの死を直面とした時の姿があまりにも懸命過ぎて、その姿には命の責任のようなものを感じました。生きる生き抜くとても壮絶な姿です。きっと【生きたい】のです。けれども身体がついてこない。何度も起きあがろうとする姿、生きる尊さを感じました。動物にねっこはありません。でも生きたいと言う本能は最期の時まで失わ
いやいや、ダメでショー何度でもやるわよ?ワタシしつこいので。たとえここがバンされてもFacebaakやツイッターインスタグロムとかで実名出すからね?しかもおまいさん妹にまで迷惑かけとるやないかい?サインした覚えがないアパートの保証人だとかお前、犯罪やろ?お前のヨメが「オトコ二人連れて」まりもにあてがえた蓮池の団地に押し掛けて慰謝料請求したそーやなあけ?あ?はよ、ここに来い。何度も来たろーが?あ?オレが出ていく時はお前が最期の時やぞ。その前に来てワビ入れろ。よかな?
いっちゃんの記録最後の家族旅行〜6人で沖縄「分かりました。」U先生がMさんと顔を見合わせうなずきあった酸素マスクが外されいっちゃんの弱い自発呼吸のみとなった少しするとモニターのアラームが鳴り出した涙が止まらなかったみんなでいっちゃんを囲みそれぞれがいっちゃんの体に触れ、撫でたりさすったりしながら名前を呼んだ「いっちゃん、よぉがんばってんな」「いっちゃん!!!いっちゃん!!!」「いっちゃん、えらいぞ!!!」「いっちゃんはお母さんの誇り
「もし明日死んじゃうとしたら最後に何食べたい?」子供の頃友達と何気なく話していたこと誰にでも死は訪れるけどそう遠くはない未来にその日はやってくる今だったら焼肉とか食べたいけど、死んじゃう前の日は多分そんなヘビーなものは食べられそうにない今わたしは食べたいものを食べているから食べ物に関しては悔いは残らないだろうと思うただ、思う存分もういらないってくらい蟹を食べてみたかったって悔いあるじゃん笑でも、これはまだ叶えられそうそして最期の時を過ごす場所海の近くで綺麗な海を眺めながら死
○○さん、ごめん。私は、最期の入院生活において、あなたに対して、心から寄り添うことが出来ませんでした。苦しむあなたと一緒に、私も最後の最後まで、伴に苦しむことが出来なかったのです。私は、今目の前にいるあなた、現実から目を逸らし、1人だけ逃げ出していました。その時は、気付きませんでした。「一生添い遂げた」私の願望であり、そう思い込もうとしていたのだと思います。2週間おきの、通院による抗がん剤治療。その日まで、あなたは毎日私達と暮らしていました。当日の朝も、洗濯物を干し、私たちにカ
生死に関わるような重病になった時に所属のお寺に願い出ると、本山から下付される「小さな和紙の欠片」です。熱心な信徒であれば、水に溶いて飲めば病気が治癒するといわれています。私は三度ほど見た事がありますが、効果の程は皆無だったと言い切れます。ここでは詳しくは申し上げませんが。。病気で身体も気持ちも弱っている方につけ込むような、民間療法よりもさらに悪質なものと考えます。一宗教団体が、医師でもないのに医療的な事に絡むのは怪しい新興宗教と等しいのではないでしょうか。それに、そんな紙切れでは病は
先日の記事で最終回を迎えた「TOKYOMER」に感動したことを書かせて頂ました『感動の最終回TOKYOMER~大切なものを守るために~』昨日大好きなドラマ「TOKYOMER」最終回を迎えました音羽先生扮する賀来賢人さんすっごくかっこよかった~❗偉い人たちの前で地位も名誉も出世もなげうってME…ameblo.jp最後はMERの存続も決まってhappyendそれでそれで最高の結末なんだけどでもエリオット椿はあの後一体どうなったの❓❓❓最後、公安の月島に撃たれたけ
私はもう何年も生きられないかもしれません。だから、少しでも長く一緒に居てください。目も耳も悪いくなったので、全身であなたを感じさせてください。あなたが望むような事は私はもうできないので許してください。それでも私を撫でて、優しく抱いてくれますか?それだけで私は幸せになれます。上手く走る事もできなくなり思い通りにならない私を叱ったり叩いたりしないでください。もう私には何も出来ないから。それでも、たくさん声をかけてください。あなたの声は私を元気にしてくれますしあなたの声は
お義父さんの葬儀が終わりました。最期の日、看護師さんが3回も来てくださいました。2回目に診てくださったとき、お義父さんの苦痛が和らぐよう、ヴァイオリンを弾き続けました。「埴生の宿」「朧月夜」「夏は来ぬ」「荒城の月」「ふるさと」などを演奏しました。看護師さんの訪問看護が終わると、「ありがとうな」と、小さな声で言ってくれました。最期の時、娘と私がお義父さんの手を握り、主人も見守っていました。