ブログ記事112件
①からの続きですさて、今度は当時の新聞掲載記事です。これは「新聞集成明治編年史.第一卷」で確認できました。(昭和9年12月2日発行)近藤勇梟首の捨札〔閏四・六、江湖新聞〕四月廿五日瀧の川三軒家より中仙道板橋宿との間一里塚に有建候捨札の寫。近藤勇右者元來浮浪の者にて、初在京新撰組の頭を勤め、後に江戸に住居致し大久保大和と變名し、甲州並下總流山におゐて官軍へ手向ひ致或は徳川の内命を受候抔と僞り唱、不容易企及候、上は朝敵下は徳川の名を僞り候
「山中一揆」とは、江戸時代の中期1726(享保一一)年に美作国津山藩領で起こった大規模な農民一揆のことです。山中の範囲は、藩領西部の真島郡(現在の美甘村、新庄村)及び大庭郡(湯原町、八束村)を指し、域内には山中一揆の史跡が点在しており、地域の人たちによって大切に守られています。新庄村の今井河原刑場跡から国道181号を備中勝山方面へ約9km、時間にしておよそ10分の地点に位置する峠も山中一揆に関わりがあります。その名は「首切峠」。最寄に真庭市コミュニティバス「まにわくん(ハート)」の停留所が
何回来てもほんとに不思議な鴨川の光景。なんかほんとに凄すぎてテンションあがります。京の七不思議のひとつに数えられているのが、三条から四条にかけて鴨川の岸辺にカップルたちが等間隔に座っている光景。誰が決めたわけでもないのに、綺麗に測ったようにカップルや、友達?が点在している光景。聞く話によるとこの四条大橋を起点としたカップルたちの逢引は、昨日今日に始ったものではないとか。古い歴史が脈々と繋がっています。寛永の頃、三代将軍家光のお供で上洛した【菊池半久郎】と遊女【お染】との心中事件
(* ̄▽ ̄)v-本来はこれのシーズンなのに、コロナ禍の方が怖いなんて厭な世の中ですね。先日の何だコレミステリーSPで懐かしの怪奇ネタが登場したので、懐かしみながら見てました。初出は1976年(昭和51年)の日本テレビ「ルックルックこんにちは」。私はリアルタイムでは見てなくて後の怪奇特番か何かで見ましたが、夏の怪談トピックに紹介された「生首掛け軸」の目が放送中に開いたってお話です。↑もうこれだけで怪談トピックなんですが、これだけではなかなか後世まで語り継がれないのが怪談ジャンルの険しい