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いつもの朝。何も変わらない。警察から連絡があるまでやることもない。普通の朝。ムスメがいなくなっても何も変わらない。本当にいなくなってしまったの?身元の確認ができたら色々とやらなきゃいけないんだろうけど・・・ムスメの友達に来てもらうため、汚部屋をキレイにしなくちゃって思ってるのに、何もする気がおきない。ただ横になってムスメの動画とか写真とかのSNSをひたすら見てる。
昨日、ムスメと一緒にいた友達に電話してホテルにあった荷物で友達の物はないか、もらってくれる物はないか聞いて、明日(5日)に会う約束をした。今日の午後会いに行き、服やバッグ、小物などもらってくれて、そのあと少し話を聞いた。その友達には午後会ったので、それまでムスメのTwitterやInstagramを見て、自分の過去のムスメに関してのブログを読んだりしていました。ココのブログ⬇『ニートになりたい』昨夜ムスメがこう言った。ニートになりたい。は?ばかじゃねーの?もう呆れてものが言えません。
振り返って書いています。2021.12月しばらくは涙を流す日々を過ごしていました。夜眠っても夜中に必ず目が覚め、なかなか眠れませんでした。1週間ほどたった土曜日の朝。休みの朝でも6時半には起きていますが、いつものように3時頃に目覚めてしまい、6時頃にやっとウトウト、気付いたら7時を過ぎていました。布団の中でスマホを見るとLINEが来ていました。鈴木さんからです。『!?』寝ぼけて目も開いていなかったので、『あっ、そうか、幻ね』と思いました。鈴木さんからLINEが来るわけない
膵臓癌と診断を受けた鈴木さん。もう会えない。ほんのさっきまでとてもいい関係を築いていた大好きな人と突然会えなくなる。泣いて過ごしました。彼が天国へ旅立った時は涙を我慢した私でしたが、その時は涙に暮れました。いい歳して本当に子供で未熟だったと思います。まだ膵臓癌の本当の恐ろしさを実感できず、おままごとのようです。でも真剣でした。彼を失ってしまうかもしれない、それどころか死んでしまうかもしれない。このまま会えなくなって、そう遠くない未来に、風の便りで彼の死を知る…。そんなこと耐
振り返って書いています。2021年12月翌日、少し緊張しながら同好会を訪れた私。鈴木さんが既に来ていました。最初の入院から5kg以上痩せてしまった身体に胸がギュッとなります。いつも冬でも驚くほど薄着なのに、寒いと言って着込んでいました。会えてよかった。会の終了後、鈴木さんが予約してくれた、よく行くうどん屋さんへふたりで行きました。治療の経過、これからの見通しなどを教えてくれました。そして「ふゆさんはこれからの自分に付き合わなくていいんだよ。」と言われました。私は、「知ってし
https://kango.mynavi.jp/contents/nurseplus/dictionary/sagyo/shi/20230301-2159324/死の受容死を予告された人が死を受け入れること。またその過程、キューブラー=ロスによれば、死の...kango.mynavi.jp死の受容とは死を予告された人が死を受け入れること。またその過程。キューブラー・ロスによれば死の受容には、否認、怒り、取引、抑うつ、受容の5段階がある。否認↓怒り↓
振り返って書いています。闘病の期間を思い出すのは辛いです。2021年12〜2022年1月膵臓がんの診断を受けた鈴木さん。比較的初期での発見だったようで、切除可能か見極める為にたくさんの検査を受ける日々でした。この頃の鈴木さんは非常に元気で、どこも痛くなく、とても大きな病気を抱えているようには見えませんでした。入院、絶食で痩せてしまった体重もほとんど戻ったように見えました。「一瞬一瞬を大切に生きていくよ」そう言いました。運命に立ち向かう鈴木さんの姿が眩しかった。私達はふたりでい
四十九日のため、土日で実家に。親戚も少ないので、お坊さんを自宅に呼んで家族だけでの法要。うちは玄関を開けた正面が、ふすまを開け放てる和室になっている。帰宅してドアを開け、いちばんに目にはいるのは母の遺影。毎回、「ただいま、ママ」「行ってきます」と声をかけてきたけど。もうここからもいなくなってしまう。仏壇は家の奥の部屋にあるから、ここはこの四十九日までの場所。信仰心もまるでなくて、どんなにお祈りしても連れて行かれたママの命で。四十九日の意味も良くわからないけど。なんのためのお経な