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日本海軍よもやま話第13回目は「海軍兵学校の教育・思想」のお話です。海軍エリートを育てた海軍兵学校はどのような教育が行われていたのでしょう。兵学校が東京築地から都会的な文明と隔絶し、「娑婆の空気」に汚されず教育できる広島・江田島に移転してからは本格的な海軍軍事教育が始まりました。当時の第一高等学校(後の東京大学教養学部)と並んで難関な学校でした。1.採用と入試先ずは生徒の採用方法ですが、受験資格は16歳から19歳の年齢制限があり、質実剛健で中学校4学年(現在の高校1年)終
テーマを陸自にして良いのか少し迷いますが美幌駐屯地は、旧日本海軍美幌航空基地の跡地を使ってます。なんで隊舎も艦の先をイメージしてデザインされてます。みよしに菊をいただいて〜♪って歌いたくなる。笑窓も可愛い感じ。またこの建物の横に円形ポストが良く似合う!!レターパック入らない口のサイズだけど雰囲気抜群なんでこのまま使って欲しいわ。(脱線離れたとこにひっそり建つこちら【美幌駐屯地資料館北辰館】陸自さんの駐屯地の資料館なんですがそんな理由で展示の前半が、旧海軍の資料なんです
『海軍第三火薬廠』ザックリと言えば、旧海軍が舞鶴に造った火薬工場です。昭和14年秋・・・海軍高官の朝来村役場訪問から始まる。。。「海軍の施設拡充のため、白屋、岡安、長内の全地域を買収する。1年以内にすべてを撤去せよ」との厳命を受ける。余りに一方的な強制買収です・・・それにより、朝来地区全山林の4割、田畑等の6割、家屋移転は55戸という大規模なものとなったそうです。代々受け継いだ住み慣れた土地や家を失う事となります。第三火薬廠は、当時海軍がすでに稼働さしていた長浜工場の施設拡充移転を目
呉阪急ホテルのカフェ、ILMAREで提供されている、海上自衛隊護衛艦『うみぎり』(JSUmigiri,DD-158)の海自カレーです。(おまけ)↑入船山記念館(旧海軍司令長官、官邸の時計台)↑うみぎり(JSUmigiri,DD-158)の模型です。圧巻!高速航行で出港してきた護衛艦「うみぎり」が掃海艇「やくしま」とすれ違う混雑する佐世保港口に高速航行で護衛艦「うみぎり」(3,550トン)が出港してきました、船舶が行きかう中掃海艇「やくしま」(570トン)とすれ違いました、