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【5】より続く。いきなりこの写真から。ここは、門入の集落はずれの町道上。ここで、長靴からスニーカーにチェンジ。そして、どうせピストンが確定している道なので、当面不要なものはこの場所に残していくことにした。ただ、この日は電線の保守?修理で門入に工事業者さんが入っていたので袋にまとめて、路肩の木の根もとに。こうしてみると、不法投棄のゴミにしか見えない(笑)。ちなみに、長靴は引き続き携行していく。出番があるはずだったので(謎)。11時ジャ
【1】より続く。ゲートインして2分。まったくもって快適な道が続いている。とりあえず、地理院地図に描かれている区間に関しては問題ない道だろうと航空写真から判断していたが、まさにそのとおり。ちなみに探索に当たっては、事前にスマホでその航空写真モードを全行程分スクショしておいたものを適宜参照しながら歩いた。参考までに、最初の区間のものはこれ。谷を奥へと分け入る、明瞭な道型。完全に良好な道であることが見て取れるこれがこの通りの状態であると確信が持てたという
【2】より続く。予想しているべきだったかもしれないが、全く予想してなかった軽トラの登場。この写真は、軽トラが通過していく前…だったかもしれない。遠くからゆっくり走ってくるので、抜かれるまで数分かかったからね。いいところで軽トラが現れて…ってのはしばしば探索の素晴らしいアクセントになる(例えばこれとか)。この時もまさにそんな気持ちだったが、ただ一点、一応ここ「関係者以外立●●止」(笑)とゲートにあったのが気になった。なので、軽トラがやって
【3】より続く。いきなり…(笑)。続いてないやん(笑)。いったいナンなんだね君ぃ、藪からスティックに!?説明しよう(笑)。前回最後の写真で、三度の軽トラ登場。二台ともにここに停まり、乗っていた四人のおっちゃんたちも降りていた。これはいよいよ第三種接近遭遇(笑)か…。ならば最初が肝心、好奇心も露わにガン見されながらも、愛想よく礼儀正しくいかねばならない。にこやかに挨拶しながら近づいたら、「あんた、歩くの速いね~」って言わ
【3】より続く。安モンのカプセルホテルみたいなタイトルすんません(笑)。二基の沈下橋を後にしてようやく立つ、門入のメインストリート。寂れた映画館とバーが5~6軒…もありそうにない(浜省フリーク向け・笑)。この道は町道で、右(西谷川下流方向)に行くと戸入へ、左(西谷川上流方向)に行くと、先ほど橋から見えたように、数件の家屋があり、さらにその先、集落最奥部にはヘリポートがある。そしてそのさらに先と、うーんと先(笑)に、橋が一基ずつ架かっている(これらは航空写真で確認できた)
4月8日。揖斐川町を象徴する場所にやって参りました。昭和と大正、明治が入り混じる揖斐川町商店街Vol2〜ダークサイド揖斐川立派な壺がありますよ。美富士カメラ。そして・・・世界人類が平和でありますように何とも言えない味わい深いトタン。みやこ屋。老舗っぽいお店です。今では珍しくなったビタワンの看板タケダのいの一番。米穀肥飼料牧村米穀。鉄の筒を使った看板?もありましたよ。年季の入ったお店
【序】より続く。5時50分、探索のベースとなるこちらに到着。場所はココ。ゼンリン地図にはまったく描かれていないが、【序】で示した通り扇谷姫街道橋西詰から扇谷右岸へと上る道があり、それを道なりに進むとここに着く。ここは、櫨原望郷広場。水没した旧徳山村の八集落には、それぞれ付近の高台に望郷広場と名付けられたスペースがあり、このような望郷の碑が設置され、住民による碑文とありし日の集落の家並みを示す地図などが書かれている。左下に「現在地」
【4】より続く。建物を避けるように側面から回り込んだその奥に、橋があった。この「集落家並図」の下端、「じんだ橋」の位置にある橋だ。また、ゼンリン地図ではこうなのだが、コレは気になる。なんか、橋が二本並列するように描かれている。現地の様子からみて、これ明らかな間違いだと思えるのだが…。橋のたもとには、仏さま。このように、完全に民家?のすぐ裏。上の家並図で「じんだ」の屋号を持つ家の跡地に建てられていると思われるが、私有地感がキ
【7】より続く。ここで寄り道、地理院地図で見て気になっていた建物表記の正体をチェック…って、めっちゃまともですやん。三棟が見えたが、うち二棟はちゃんと建っている…つうか、現役?それなりに手が入っていて手入れ、刈り払いもそれなりにちゃんとなされている。あ…また見つけちゃった(笑)。倒壊してしまっているひと棟は、たぶんこれとおなじような造りだったんだろうな。トタンの色も同じだし。で、見
ちょっと変則な形で先行してしまったが、改めて2019年9月25日に敢行した岐阜県揖斐川町は門入(かどにゅう)・戸入(とにゅう)へのアタックの模様を連載でお送りする。拙ブログ界隈では完全に後発なのだが、簡単に前説を。2008年に完成した、日本最大級のダム、徳山ダム。かつての徳山村全村が、そのダム湖(徳山湖)に沈んでいる。八つあった旧・徳山村の集落のうち、唯一水没を免れたのが標高約440mの門入なのだが、集落への道路も湖底に沈んでしまうことから、門入の住人もまた、集落を離
【1】より続く。7時4分、ホハレ峠を出立。標高814mのここから440mの門入まで、場所により勾配を変えつつ黒谷に沿って下ってゆく。往路の前半、比較的下り勾配のきついパートは特に、ゆっくり行こうと決めていた。昔取った篠塚杵柄じゃないが、御嶽でのバイト経験から下りというのがテキメンに足に来ることはわかっていたし、復路に足を残しておくためには、最初に我慢しないといけない。ここは、拙ブログ界隈でご存知の方も多いパート、写真主体でお送りするが、参考に撮影時間
4月8日。揖斐川町の商店街に昭和の古民家を生かしたアートハウスがあるのをご存知ですかな?揖斐川町アートハウス〜ダークサイド揖斐川これが昭和レトロな雰囲気もあって見ていると落ち着くのですよ。岐阜県民の心の支えともいえるバーベキューのコンロも再利用されています。まずはここがポイントですね。家主が現役で使用しているかも知れない自転車もうまく収まっています。ケンタッキーフライドチキン?ではないようですね。お隣の草刈り用具は不審者用に置かれているの
【21】より続く。連載開始からひと月以上経っちゃったよ…(汗)。11時43分。渡渉地点から歩くこと10分の「最終コーナー」を曲がった先には……つうか、もう見えてるのだが、左側に。到着した。こここそは【3】で見下ろした、あの倉庫だ。その倉庫、道とは急勾配のスロープでつながっており、シャッターが開いていた。申し訳ないがちょこっと覗かせてもらったら…個人の倉庫だろうから詳しくは控えておくが(ヤバいものがあったわけではない)、やっぱ
【4】より続く。【序】を含めると今回第6話になるが、こっからようやく本番って…(笑)。時刻は7時42分、進軍開始から1時間20分。ここからようやく本番、旧来の林道上を辿っての、狂小屋への道程となる。今や現世と切り離されたこの道、廃道となった際の名称は「町道扇谷奥山線」だった(かなり後に改めて触れる)。しかしそれ以前、かつての名称は「徳山村道狂小屋線」だったようだ。ここで確認しておく、現在位置はコチラ。ゼンリン地図だと橋が描かれている。おっちゃん
【8】より続く。渡渉して廃道に入ってから56分、進軍開始からは2時間14分。8時38分、ついに狂小屋(きちがいごや)へと到達。思い切って探索実行に踏み切ったが、ここまではまさに結果オーライ。大きな障害もなく、無事に最初の目的地に到達できた。ご先祖様と弁財天様とおっちゃんらに感謝(笑)。次いで…ここに来る人たちのほとんどは気にすることもないであろう、我が重要目的物が見えてきた。そうですよ~。橋!橋そのものはさほど面白いものではないだ
4月8日。IBIFESTIVAL・・・何やろうと思ったらいび祭りのことでしたね。建て増しバラック風住宅群〜ダークサイド揖斐川公民館と思しき建物の前には大量の椅子。そしてその正面に君臨するのが、青いトタンの建物群。これがなかなか味わい深い。どことなくハンドメイドな雰囲気がまた良いのですね。藤の花も咲いておりました。にほんブログ村↑宣伝のため是非ともクリックをお願いします!!
【9】より続く。構成上、今宵は少し短め…時刻は12時30分。ダム工事に伴う付け替え道路の未成区間と思われる平場、その西端に位置する小屋の廃墟へと向かう。踏み跡さえも全くない激藪の斜面を登攀したのだが、この斜面が…つうか、ここからしばらくの一帯には、(同業者ならわかるであろう)あのトゲトゲの植物が群生していてかなりウンザリさせられた。痛いし引っかかるしで、マジうざい。あれほんと嫌い。わずかな距離を登るのに5分もかかったが、ようやくそばまで接近。下
【7】より続く。立石谷ロックシェッド先の「全面通行止め」区間を過ぎたところに、見えてきた標識。そこに書かれていたのは、「ここから先は、徳山ダム工事道路です。」対して裏面には「ここから先は、町道立石谷~斟酌線です。」山神さんも書いておられたが、こんな何もない道の途中でいきなり道路管理者が変わるとは意味不明。ひとつ思ったのが、もしかするとここ、門入と戸入の境界なのでは?ってことなのだが、電子地図では境目がど
4月8日。揖斐川町では割と珍しい?お寿司屋さん。むつみ寿し岐阜県揖斐郡揖斐川町豆腐そばらーめんもあるようです。やっているのか?やっていないのか?微妙な入り口でした。こちらの看板では元祖の文字も。寿司よりも豆腐、そば、ラーメンにこだわりがありそうです。ポストとエアコンの室外機と消化器。営業中のランプは消えていました。にほんブログ村↑宣伝のため是非ともクリックをお願いします!!
4月8日。今回は揖斐川町の国道側の商店街の前編。昭和と大正、明治が入り混じる揖斐川町商店街Vol2〜ダークサイド揖斐川アマゴの一夜干しの看板が出ていましたが、売られている様子はありませんでした。米源。自販機は死んでいましたが、お店はやっているのか不明。着物のたかはし。こちらは営業中のようでした。八百メートル先右折ではなくて、八百右。どこの街でもお寺だけは立派な事が多いですね。檀家がいっぱいいるのでしょう。生かされて
4月8日。かつてはそこら中で見られた昭和の平屋も近年では激減しております。心霊スポット!?化物が巨大な口を開く廃屋〜ダークサイド揖斐川コンクリートで固められた小川。懐かしさを感じますが、かつてはどこでもよく見られた風景ですね。錆びたトタンが時の流れを感じさせます。ガレージの窓から覗く風景。先ほどお宅のお庭は果樹園だったようです。明らかに塗り直されたであろうカーブミラーに映るスーパーカブ。お隣のお宅には化け物
4月8日。壺王国の揖斐川町にハードコアな町民がおられました。ハードコアな揖斐川町民の経営する木材加工場〜ダークサイド揖斐川公明党に日本共産党に幸福実現党・・・良くある三巨頭の中に・・・。社民党のポスターが!!しかも2種類!!こんなのは見た事ないですよ(笑)この木材加工場には、壺一色の町民の中で、ほとんど唯一、優雅独尊の経営者がおられるのでしょう。まさにハードコアな揖斐川町民。立憲民主党のポスターもないので、壺が大嫌いなのでしょうね。
【10】より続く。今回同じような写真ばかりです(笑)。トゲトゲ植物の猛攻撃に辟易しながら、目前の激藪を突破すると、下半身でおさまるくらいの藪になってくれた。そして広がる路盤跡。やはり、二車線幅くらいはあるように思える。立派な道になるはずだったのだろう。そして、今いるこの場所、路盤よりも高いように思えた。少し進むと、ダム湖がチラ見え。電信柱も見える。そう、この下に現道(一応)が走っているのだった。確かこのあたりで、大きな段
【13】より続く。この日の最終到達地点にて。休憩(笑)。のんびりしてる場合か!とお叱りを受けそうだが、実は門入到達時に黒谷の沈下橋で休憩して以来、まともな休憩を取っていなかった。さすがにいささか疲労感と空腹を感じたし、しっかり歩くために少々休憩が必要だ。ということで、足を休ませながら、おにぎり2個を食した。ここであと1個残しておいたおかげで、この4時間半後、貴重な食糧になったわけである(苦笑)。休憩時間は8分。でもリフレッシュできた。
【8】より続く。境谷橋東詰から草藪をかき分け、近づいてきた旧橋。遠目の印象どおり、赤色の鋼桁によるガーダー橋のようだ。ちなみに、「旧橋」と読んではいるが、状況的にそうであろうと思われるだけで、確証があるわけではない。さらに接近。橋上は激藪で覆われ、親柱や欄干といった高欄は見当たらないようだ。赤い桁をよく見ると、文字が書かれていた…が、痛恨の手ブレ。これは正直凹んだ。あんなとこまで行って(死にかけて)、メイ
【2】より続く。ホハレ峠より下ること2時間半、ようやく到着した門入。まずはその入口にあるものを楽しみにしていたのだが、おおっ!今日は水没してない!山神隊が訪問された際の写真では、水量が多かったのか完全に越流してしまっていたのだが、今日はちゃんと姿を見せてくれていた。まあ、あれはあれで見たかったけどな。場所コチラ。沈下橋と言える部分はここだけ。こうしてみると、桁部分は載せただけ?なのがわかる。こういうの、珍しいような。
【12】より続く。狂小屋を後にして14分後の9時5分。ここも最初から気になっていた、扇谷・タキマタ谷出合の建物と橋へと到着した。狂小屋と作六ツシの中間地点となるここ、特に固有の名称はないようだ。記事ではなんと呼べばいいかな?やっぱ「タキマタ谷出合」が無難か。ここには、なかなか素晴らしいものが残っていたのだが、それはまた改めてもっと後に採り上げるので、今回はスルーしておく。なにか写ってても、まあもうちょい待っててくだされ(笑)。まず
【12】より続く。町道旧道の水没地点(地理院地図リンクはコチラ)にて、時刻は13時16分。さて、こっからどうするか。とりあえず、愚直に来た道を戻る気にはなれなかった。あわよくば…おっ。ここならイケそうやな…。この上には現道が走っているのだが、絶壁だったりあるいは落石防止フェンスが設置されていて、登れるところがなかった。唯一、端点近くのこの場所だけ、フェンスに少しだけ切れ目(写真右上)を発見したのだった。最初の大きなミスは、ここだった
土曜日。昨夜は思ったほど寒くなかったなーと思いながらチップさんと散歩したのですが、今朝は雪混じりの雨😰更に朝っぱらから直下の縦揺れがドーンときました😵震源じゃないのに震度4?ちょっと盛り過ぎじゃない?😅その後なにもなかったように出かけ…雪が…まだ混じってます。いさみやにモーニングに行ってきました。お客さんもいっぱい😅地震の影響は皆無😅寒い日になったので味噌汁と茶碗蒸しが味わえるモーニングは最高😀各地で地震多いですねー😰さあ今日はなにするかねー😅
【9】より続く。カラカン谷の対岸(右岸側)平場に向かって渡渉しながらの、上流側。実に気持ちのいい景だ。そしてこちら、下流側。というよりは、もうすぐそこで扇谷に流入している。左手に見えるのは、橋を渡って作六ツシへと向かう道。カラカン谷の護岸石積みが、そのまま道の土留めにもなっているのがわかる。前回に、古地図では狂小屋の橋の位置が違うと書いたのだが、先の写真の様子を見ると