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これから第6章入院編に突入します。ここで出てくる患者・医師・看護師さんは全てイニシャルで、実際の名前とは異なります。また、そのバックグラウンドも加筆・減筆してあります。フィクションを交えています。まさか自分が精神病棟に入院するとは夢に思っていませんでした。正直、偏見もありました。ごめんなさい。なので、入院当初の動揺たるや、申し訳ないくらいです。ただ、ひとつだけ言えることがあります。私は、入院してよかったです。もちろん病気が治ったということが第1ですが、私の人生を見
とにかく死を全く恐れていなかった私はどうやったら楽に死ねるのだろう?と常に考える日々でした。昔聞いた「自殺完全マニュアル」を思い出して検索しました。特定の酔い止め薬を大量に飲めば死ねるとあり、真に受けた私は早速その薬を買いに行きました。でもやはり危ない成分が入っている薬だからか、あんまり置いてなかったのです。次の店に行っても少量でした。これはちびちび買うしかないと思い、3軒で集めました。多いとこだと6箱買えたので店員に、何人でご使用ですか?と確認されましたがうま
尼崎市の措置入院でおとんがいる病院がつかわれてきたのを耳に挟んだのは早い段階で。私は病院経営の話しも知り合いから過去聴いていたり自分におきた事柄や医師の発言や母の時にいろいろ調べて実情を知らない人よりかは知っています。知っていても知らないようにしていますがこちらに書かれている通りです高齢者を長期的に入院させると病院は儲かりますからただ単に入院させるだけでは儲かりません。手間がかかりやっかいなだけです。私はその実情を知っています。尼崎市の職員が進めてきた寝かすだけの中心動
携帯電話に保存してあったメモ書きと記憶からボチボチ書いて行きますo(__)o2018年2月に独り暮らししていた息子(当時25歳)と突然連絡が取れなくなり仕事の休日に車で様子を見に行った、表情に違和感を感じたけど息子が調子悪いから帰ってくれと言うのでしぶしぶ了解して帰った、その後も相変わらず連絡が取れなくモヤモヤしていた4月某日警察から突然職場に電話があり訳分からずドキドキしながら話した、内容は息子が全裸で外を徘徊したり他人の家のインターホン越しに意味不明な事を発言していて通報され連行され
人生初の隔離病棟へ。短くても3ヶ月は入院になると説明された。措置入院は東京都の条例で定められていて、有無を言わさず入院しなければならず、その間外に出ることは一切認められない。例え病院の敷地内でも。。私はまず、隔離部屋に入りました。そこは格子もあったりでほんとうに牢屋のよう笑トイレも日本式の便器がベッドの下にあるのに、何故か流すボタンは部屋の外にあって、看護師か介護士を呼ばないと流せなかった。。(大の時なかなか来てくれなくて辛かった。。臭いからティッシュで覆いました
私は、統合失調症をでっちあげられ、月に一度通院を強要され、週3回の訪問看護も強要されている。なぜこのような理不尽な強要に従っているかといえば、集団ストーカーと主に警察行政そして精神医療によって、恐怖心を植え付けられているからである。念のため、言っておくが、私は看護師たちからずっと「統合失調症の症状なし」といわれているし、最近確認したが主治医の林直樹もそう認識している。この恐怖政治の延長に何があるか。一説によると、東京武蔵野病院には、永遠に監禁され続け退院することのできない実際には健康な
2021年12月がん発覚トリプルネガティブ乳がんステージ2Aしこりの大きさ2.4㎝リンパ節転移無しグレード3悪性度ki6780%増殖スピード悪性度高く、増殖スピードが速いタイプで主治医も難色を示した2022年2月抗がん剤治療開始EC療法4回ドセタキセル4回←今、2回終了したとこその後手術予定2月から抗がん剤治療が始まってEC療法を4回終えた4月21日にMRI検査を受けた結果がんが消えていた!その2日後、4か月間、措置入院していた娘が退院
措置入院10日目位で面会が許可され少し緊張しながら病院まで行った事今でも覚えてます暫く振りの息子の第一声は(お父さんごめんなさい)だった……目は虚ろ身体は小刻みに震えてる、言葉も普通に喋れない、今思えば薬の副作用だと思うけど当時の私は息子の変化にショックを受けました15分程度ゆっくりゆっくり会話をして病院を後にした車での帰路の道中涙が止まらなかった1番悲しくて辛いのは息子本人なのにどんよりメソメソしてる自分が親として情けなかった退院まで3~4回位面会がてら息子が希望していたお菓子等
昨日、精神科の通院で予想だにしない展開がありました。双極性障害Ⅰ型の治療として、注射治療にチャレンジすることになりました。内服での薬物療法だと薬の効き目が切れたり、調子に合わせて医者の指示の範囲内ではあるものの自分で薬を増減していていたため、安定した確実な治療薬の内服は出来ていませんでした。そのせいか私の病状は寛解とは程遠い状態でした。先月はケガもありましたしね。急激に危険な状態に急変する場面がしばしばずっと続いていました。支援センターからは昨年より精神科への休養入院を勧められていま