ブログ記事10,177件
昨日、お通夜が終わったたくさんの人が来てくれた。たくさん励まされて、たくさん泣いたたくさんの人が妻のために泣いてくれた。お通夜の間、長女はなんども泣きながらまま愛ちゃんと妻を呼んでいた。通夜が終わって、控室で子どもたちと妻と一緒に過ごす。お絵かきして、妻に見せる。寝る前愛ちゃんのそばで、子どもたちとたくさん泣いた。泣きつかれて眠った。今日は本葬
妻の容体は、一旦安定した。チューブを入れてもらい、アイスや味噌汁、飲み物を飲んでいた。飲み込む力が弱くなったと思ったが、今日はむせておらず、落ち着いたようだ。眠る時間は長いが、今は休む時だと思う。それと並行してお義父さんが限界を迎えた。色んな人から色んな形で連絡が来たが、要約すると、妻の弱っていく姿に耐えられず、弱る責任を私やその周りと思い込み、20日でもう一家まとめて撤退すると宣言したらしい。私のところには、一言も連絡がなかったが別に恨まないし、仕方ないと思う。長い闘病生活
今日の昼頃愛ちゃんが亡くなった。バタバタすぎて、今は葬儀場で愛ちゃんのそばで弁当を食べている。今日の忘れたくない言葉だけ、とりあえず書いておく。唯ちゃんママ、一緒にクッキー作るって約束したでしょママ、死んじゃやだよママと、一緒にお料理するの楽しみだったの私愛愛ちゃん好き大好き愛してる世界で一番大事だよありがとうずっと一緒だからねずっとずっと、一緒だから愛ちゃんおにぎり最期にアイスピアノをひきたい外が見たい抱っこしてきれい大好き
眠れなくてコンビニへ愛ちゃんの番は、東京から来てくれたおばさんに頼んだ。愛ちゃんに何が欲しいと尋ねる。返事はない。何か美味しそうなもの買ってくるよ!と言って外に出る。暗い夜道を一人で歩く愛ちゃん愛ちゃんを呼んでみる。返事はない。誰もいないから、もう少し大きな声で愛ちゃん返事はない。不安になって、何度も呼ぶ愛ちゃん愛ちゃん愛ちゃん返事はない。愛ちゃんどこにいるの涙をこぼす店内をウロウロアイスの実ポカリ愛ちゃんの食べられるものを、自然と目で追う。コン
片付け、安置、連絡、葬儀の段取りとバタバタしていたおかげで、気づけば妻の前に座ってのんびりしている。たまに、涙が流れるが空っぽになると、自然と泣き止む。眠たくないのに、眠っている感覚ボーっとする。引き菓子等のパンフレットを読みながら、妻に、手伝ってもいいんだよと声を掛ける。ごめんねと、心の中の愛ちゃんが答える。頭をなでる。綺麗な髪いいんだよ。ありがとう。と妻に問いかけるが、返事はない。ぼんやりとした時間が、ゆっくり過ぎていく。眠れない
一晩妻に付き添う。喉が乾いたと何度も起きるので30分おきにイオンウォーターを飲ませる。自分で起きられないので、口腔スポンジに含ませて少しずつ飲ませる。朝になっても変わらない。呼べば目を覚まして、頷くが喋れない。ずっとお腹をさする。頭を撫でる。医師がくる妻の症状はせん妄衰弱して、脳が一時的に機能していない。昏睡の一歩手前今週1週間が限界数日で意識がなくなり、起きなくなる恐れがある。もし会いたい人がいれば、早めに妻も聞いていた。返事はしないが頷く水分を定期的に与える。
夜は、少し寝て、起き上がってを繰り返した。寝たくないという。起きられるか不安で寝たくない。机にしがみついて、一生懸命水分をとっていた。たまに記憶が変になって、色んなことを尋ねる。私は、なんでここにいるの?障害があるの?どうすれば治るの?いつ帰れるの?私は、どうなっちゃうの?子どもたちと一緒にいるにはどうすればいいの?死にたくないのどうすればいい?とにかく休むように伝える。少し寝てくれる。起こしてと騒ぐ。起きる。机に、しがみついて水分をとる。同じ質問をする。朝
昨日の夜妻からメッセージ手が痛いパンパンに腫れ上がっていた手の画像と一緒に連絡がくる。飛び起きて、そっちに行こうかと確認痛いけど、よく眠れてるから大丈夫と言われ、それでも心配で寝たり起きたり朝5時になって、すぐに湿布などを持って病院に手指の深爪からバイキンが入って、蜂窩織炎というものになっていた。朝、先生が来て、抗生物質や痛み止めを処方してくれることになった。妻は、ハキハキしゃべって食欲もあった。しかし、手はパンパンだった。途中、痛くて痛くて、泣いていた。ナースコール
長女の面会後、お父さんに引き継いで一旦帰宅お母さんが子どもたちを見てくれていた。お母さんに状況を伝える。さらに、最悪の場合を覚悟しようと話す。そして、ここから先に余計なことを考えないで済むように、もし万が一の話をした。もし、愛ちゃんが亡くなったら、家族葬にしたい。私が入る墓に入れたい。そう言った途端、ボロボロ泣いた。あんまり泣くので、長男が抱きしめてくれた。お母さんも抱きしめてくれた。その時、絶対に言わないつもりだった言葉が出てきた。すいません。幸せにするって約束したのに
りょうくんだ。なんでここにいるの?お仕事は?私悪い子なのりょうくんは不幸せ私お金かかるしりょうくん綺麗なおウチ建てられない。私のせいで綺麗なおウチ好きでしょ?私も好きゆいちゃんと一緒にいたいの。どうすればいい?まさしとゆいちゃんと、ずっと一緒にいるにはどうすればいい?ねえ教えて?生きたいの一緒にいたいのみんなが好きお義父さんお義母さん父ちゃん母ちゃんみんなで旅行に行きたい温泉家族風呂がいい夕方、お義父さんから電話があった。来てくれ愛ちゃんが奥で叫んで
夜妻は、1時間に1回飲み物を飲んでいた。寝ては起きて、水分をとっていた。アイスボックスが食べたいと言った。スプーンで食べさせた。ストローで飲み物を飲めるようになって、ゴクゴク飲んでいた。朝方には、アイスミルクティーを飲みたいと言い、ゴクゴク飲んでいた。美味しいと微笑んでいた。昨日の昼より、何倍も元気だった。喋れるし、目もしっかりしていた。回復していた。でも、日が昇り始めて、昨日のお母さんとの話をした。私が謝ったことを伝えると、妻は、強い目で命の限り生きるよ。とハッキ
夕方のお母さんとの交代はなくなった。夕方の回診を受けたところ、微熱で血中酸素濃度が92%だった。初めてだった。妻の体調は悪くないが、少しクラクラするらしい。妻に聞くと、心配だからそばにいてほしいと言うので、一緒に過ごすことになった。過ごしてみれば、平和な夜だった。夜はほとんど寝ていた。翌朝も体調は良く、私はお父さんと交代して帰った。帰宅して、とりあえずお母さんに謝った。昨日は、言い過ぎた。その後子どもたちの準備をして、お母さんに送り届けてもらう。私は、泥のように眠った。昼
覚悟を決めて過した夜愛ちゃんは、よく眠り、起きるとひたすら水分を飲んでいた。ストローでは飲めなくて、スポンジに含ませて与えた。歯を食いしばってしまい、スポンジを離そうとしなかった。水分をとるうち、ドンドン飲み方が荒くなっていく。喉がとにかく渇くようだ。一生懸命水分をとっていた。そのうち夜が明けた。とりあえず朝を迎えられた。愛ちゃんは、思ったより調子が良さそうで、味噌汁を食べて、アイスを食べていた。元気そうな愛ちゃんを見て、ありがとうと言った。愛ちゃんも返してくれる。ありが
私の親からの提案土曜の夜から、実家で子どもたちを預かる。ただ、うちの親の仕事があるので、預かったら、もう平日病院へ行くことはできない。延期はほぼ不可能始まれば、そのままそして、これは実家への移住も前提だった。つまり、明後日で子どもたちと離れ離れそれどころか、もとの保育園に帰る道も、ささやかな3人ぐらしも…?家族四人で集まれるのは?妻の気持ちは?私のささやかな生活を送りたいという気持ちは?親はすぐに決めろというできるわけない電話を切って、寝ている妻をのそばで苦しむ。苦し
今日の夜の愛ちゃんは、とにかく飲み物を飲んでいた。お茶を飲んで、オーエスワンを飲んで少しむせるが、昨日よりは飲み込む力が戻っている。ただ焦るように飲むので、心配だった。落ち着かせながら、飲ませていると、死が、こわいとつぶやく。そして、また一生懸命水分をとる。今度は、ベッドに座って、身体を動かす。足を揺すったり、立とうとしたり。その時は、家に帰るとつぶやいた。抱きしめて、大丈夫だよ。と声を掛ける。絶対に治して、一緒に帰ろと話す。妻は、頷いて、そして休んだ。夜の間、妻
夜交代して、妻の側に声は下の声に、血色は少し悪いウトウトしていたので、疲れていると思い、あまり話さず、そばにいる。隣に座ったり保育園から届いた子どもたちの写真を見たり話さなくても時間を共有できる。話さない分、きっと明日は元気になる。足をマッサージしていると、ひざ下から足裏まで少し太く、むくんでいるようだった。体勢の問題かと思ったら、反対の足も同じくらいむくんでいた。不安になって、尿道カテーテルのパックを見ると、昨日の夜の3分の1量しか入っていなかった。さらに、不安になった。
最近時々このブログを読まさせていただいていました。『愛ちゃんの番』という言葉に引っかかっていました。「おばさんに頼んだ」、とか何かおかしいな、と。その日はこの記事だけ読んでいたのですが、その後、お亡くなりになっていたのを知りました。ご冥福をお祈りします。コメント欄に同じようにご家族を亡くされた方の体験が書いてあって、世の中には大切なご家族に先立たれて辛い思いをしている方がたくさんいらっしゃることを知りました。きっと乗り越えられる。乗り越えずともいつか傷が癒える時が来る、癒える
昨日から、お百度参りを昼間にしていた。自宅の近くに階段の長い神社がある。妻が、よく子どもたちと散歩に来ていた。信心深い方ではない。ただ、妻を助けられる可能性があるなら、何でもやろうと決めていた。鳥居を抜けて階段を駆け上がり、お参り愛ちゃんの病気を治してください。愛ちゃんを元気な姿に戻してください。そうお祈りして、何度も昇り降りお参りしている時、愛ちゃんの顔が浮かんだ。たくさんの笑顔と優しい声がずっと響いていた。失いたくなくて、ひたすらお祈りした。雨が降っていたけど、泣いて
夕方、妻の付き添いに行く。昨日よりも安定していた。味噌汁を少しずつ飲んでいた。夜になると、抱っこして欲しいと言うので、またお姫様抱っこをして、外の景色を見た。結婚式場は、ライトアップされていた。ただ暗くて、そんなに景色は見えなかった。朝ほど大騒ぎはしなかったが、嬉しそうだった。そしてまたキスをしてくれた。その後一度だけ、呼吸が変になったが、すぐに落ち着いていた。夜は、30分寝て、身体を起こしてと言って、身体を起こし、水分をとっていた。一緒に食事がしたいと言って、アイスを一
朝おばさんと一緒に病院へおばさんがマッサージして、喜ぶ愛ちゃん早々に帰るおばさんゆったり、アニメを見て過ごす。りょうくん手を掴む愛ちゃんりょうくんあいしてるゆっくり話す。何か変な気がして、妻の体調を確認する。いきがくるしいゆいちゃんとまさしをつれてきて母に電話して、子どもたちを呼ぶ落ち着かない愛ちゃん少し休んでと言っても、目を閉じようとしない。ねむるのがこわい子どもたちが到着ママと言って、愛ちゃんに寄り添う。長女はたくさん話す。この前書いたアンパンマンの
夕方病院に行く。昼間に買っておいた冷製スープがお気に入りのようで、よく飲んでくれた。食事の後、今まで貯めていた妻と私のスマホ写真をパソコンで見ていた。若い頃の私達が写っていた。大学生の頃の写真デートの写真ディズニーの写真美味しいご飯を食べた時の写真新婚旅行の写真どの写真を見ても、自分の妻の可愛さに驚いていた。見れば見るほど、楽しい思い出が蘇る。この写真に写っている私は、世界一幸せだったと本気で思える。そんな写真ばかりだった。妻のスマホには、私の写真がたくさんあった。気
平和な夜だった。妻は、良く寝てくれた。胸のドキドキも、吐気も、めまいもなかった。尿カテーテルが合わなくて外したが、それだけだった。穏やかに朝を迎えた。妻の希望で、お母さんと妹さんに昼の付き添いをお願いした。お父さんは今日は休み私は、天気が良かったし、妻がしっかり寝てくれたおかげで少し休めたので、買い物を済ませて、子どもたちと大きい公園に行った。もう、ずっと子どもたちと遊んでなかった。だから、とにかく遊ばせてあげたかった。大きいトランポリンやすべり台のある公園で、2人はとにかく
「おまえは俺の女だ」エネルギー❤これを強烈に感じるからこそ、今目の前にはいなくとも一途に彼を愛さざるを得ない、そんなかたが多いのではないでしょうか?先日、私は、すっかり断捨離気分で、ツインくんへの意識も、ツインくんに付随して視える幸せな未来のビジョン全ても、思いっきり手放しちゃうよ〜ん\(^o^)/✨と宇宙にポーイしたら、まぁ軽やか〜✨スッキリ〜✨となって、ようし!では、目の前で温かい連絡をくれるトリプルさんに意識を向けよっと❤うふふっと今まで視えてなかったトリプルさんとの未来
長女と私で妻の面会妻の点滴交換などで暫く談話室で待つ長女がいうママ死んじゃだめだよねそうだね。ママ死んだら、、許すずっとずっとずっと許す!許さないじゃないの?だって、ママ好きだもん。ずっとずっと好きだから。声が、でなかった。なんで、こんなにいい子なのだろう。ママとたくさんお話しようね。病室へ妻はうっすら意識があった。長女が枕元に立つ。妻に、なかなか話しかけない。ママに、お話して。長女は、ママ、絶対に元気になってね好きだよ。大好きだよ。愛してるよ。世界で一
夜今日も妻の具合は悪い息が苦しい息ができないと言って、何度も苦しむ酸素マスクでゆっくり呼吸をさせる。話も噛み合わないことが多いたまに、愛ちゃんじゃなくて、神様と話している気持ちになる。そういう時は、ただただお祈りする。元気な愛ちゃんを返してください。なんでもしますから。お願いします。気づけば4時間、愛ちゃんのお腹をさすりながら、お祈りしていた。妻は、つらい苦しいこんなに辛いなら生きなきゃよかったありがとうさようならと言いながら、何度も苦しんでいた。その度に
ブログを書き終えて、妻の様子を眺めていると、目を覚ました。身体を起こしたいという。身体を起こして、窓のほうを見る。外には、川や堤防の桜が見えている。窓を開けて、少しでも景色をきれいにする。川向うには結婚式場が見える。この結婚式場は、私達が式を上げた場所だった。七年くらい前のことだ。こんな風に式場を見るなんて、思ってなかった。愛ちゃんに、立って外を見てみるか尋ねた。強く頷いた。立ち上がることは、最近殆どなかったから愛ちゃんは、外の景色をきちんと見ることがなかった。点滴の位
夜、妻は良く寝てくれた。途中尿のことを看護師に相談し、カテーテルのチェックをしてもらったところ、一時的につまっていたらしい。一気に流れ出してくれた。ただ、一部に血が混じっていて、今後も注意が必要だと感じた。その後は、寝て起きて水飲んでを繰り返していた。普段よりよく寝て、朝を迎えた。筆談は終わって、話せるようだった。体にしびれがあるらしい。昨日のリハビリのせいと医師に言われた。この土日は、ゆっくり休もう。交代して、長男の入園式の準備長男におめかしの服を着せて、私はスーツを着て
愛ちゃんとご主人、子どもたちのブログ昨日、30歳の若さで幼い子どもたちを残して亡くなられた愛さん。悲しみの中で淡々とやるべき事をこなす若いご主人。私も昨夜はなかなか眠れなくて、2時間ほど睡眠をとって3時くらいから起きています。こんなこと、このご家族の苦悩に比べたら大したことはありません。そして今日は、娘の引越しです。2箇所から荷物を運ぶため、私と主人は車を別にして動きも変わります。主人と別に住んでいる息子は軽トラで大きな荷物を。一時保管してある私の実家へ取りに行きます。往復300キ
夜が平和に過ぎた。妻は、お見舞いにいただいたミネストローネのカップスープを飲んで、美味しいと笑っていた。吐き戻しのひどかった頃は、胃酸が逆流しすぎて胸焼けみたいになっていた。1回目の危篤は、その痛みが酷くて意識がなくなった。それ以来、酸っぱいものやあったかいものは嫌煙していたが、ここで克服できた気がした。カップスープには、アマニ油を足して、カロリーとDHAをプラス食べられるものの幅が広がり、何より美味しいと思えるのがうれしかった。そのまま夜はよく寝て、、お義父さんと交代実家に帰る
昼過ぎうちの両親が見舞いに来た。妻を気遣い、優しい言葉をかけてくれた。妻は、お義父さん、お義母さん大好きだよと泣きながら言った。きっと、色んな思いで出た言葉なんだろう。私の両親は、涙をこらえていた。お義母さん、手をと言って、母の手を取る。りょうくん、クリームを持ってきて妻に、ハンドクリームを手渡す。妻は、ハンドクリームを受け取ると、黙って母の手に塗り始めた。手は震えていた。おぼつかない手つきだが、優しかった。ずっと母の手をマッサージしていた。父の手も同じようにマ