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かつては流川随一のゲームセンターとして名を轟かせ、本通に移転してからは、マニアすらもびびるラインナップで、女子供お断りの異様なオーラを噴出しまくっていた「芸州屋」が、ある日突然閉店したらしい。らしいというのが、ここ1週間ほど本通りを歩いていなかったから、7月23日の突然の閉店に、田中同様、多くの人がSNSなどで、ちらほらともぬけのからの店舗跡に集っている状態なのだ。事実、田中が撮影している最中にも、同じように何枚も写真を撮るボーイがいた。言葉になんて
あのな今やTVでなYOUは何しに日本へ見てたらなトルコ人絶賛の渋谷立食い寿司あのな魚河岸日本一(渋谷)やてわい今決めてる立ち食いは魚河岸日本一(新宿)や病院の帰りもう3回も行ったでいつ行っても外国人ぎっしりに挟まれてるわ外国人に人気のチェーンなんやなやつらはトロやら鰻やらウニやらガンガン行きよるでわいはなたまごかっぱシメサバあじやら1カン100円台のやつや悲しくてやりきれないわ
こんばんは。スピッツが好きで、数十年前に、付き合っていた優しい彼だったが、別れたいと告げ、号泣されて、でも、もう無理、となって……フラれた経験があった自身、、フったのは2回目だった気がする。正式に付き合っては、2回目。後味が悪くて悪くて、参った……フラれる方がマシだ……本気で思った。そんな時に、聴いた曲が、スピッツの青い車🚙歌詞が、別れた状態に全然、マッチしてないことが、かえって救いで繰り返し🔁繰り返し🔁スピッツを……フった
こんにちは。日曜日。いかがお過ごしでしょうか。相変わらず予定なし。ダラダラと過ごしてました。散歩を兼ねてコンビニに買い物。道路の反対側を見るとおばぁさんが。。手押し車を押しながら歩いている。その手押し車の上にはパンパンに膨れたレジ袋がいくつか。。買い物に行った帰りなんだろうな。10歩くらい歩いたら止まる。一息ついたらまた歩く。そして止まる。。なんか見ていて辛く
このブログでは、いわゆるJ-POP草創期のミュージシャンを取り上げています。作詞家である安井かずみについても、『ZUZU物語』としてアップしました。今日はその夫であった、加藤和彦のお話です。トノバンこと加藤和彦の名は、ある年齢以上の人なら、だれでも知っているでしょう。しかし彼が三回結婚していたことは、あまり知られていないようです。『帰ってきたヨッパライ』で一世を風靡したあと加藤は、サディスティック・ミカ・バンドを結成していますが、このボーカルが、最初の妻、福井ミカです。彼女は加藤と離婚したのち
ザ・フォーク・クルセダーズの2枚目のシングル「悲しくてやりきれない」です。1968年3月21日リリース東芝音楽工業CP-1025A面は「悲しくてやりきれない」作詞はサトウ・ハチローさん、作曲は加藤和彦さんです。B面は「コブのない駱駝」作詞は北山修さん、作曲は加藤和彦さんです。ジャケットは2つ折りになっています。このレコードが制作されたときのメンバーは、北山修さん、端田宣彦さん、加藤和彦さんの3名です。端田宣彦さんと
津波で家を流され嫁さんが行方不明年配の男性ががれきの中を放心状態でふらふらと...「家なんかどうでもええ嫁さえ生きとってくれたらなんもいらん...」「嫁さえ生きとってくれたら...」このニュースを見たとき悲しくてかなしくて...おじいさんの悲しみに涙が出た悲しくてやりきれない愛する人を失う悲しみ...愛する人が一緒に元気でいてくれる日々この幸せを忘れずに生きていきたい
最近の悲報•••アドベンチャーワールドのジャイアントバンタ4頭が、中国に帰国。良浜結浜彩浜楓浜