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以前、ネタにした、親父と弟と3人で、行った城崎温泉ネタの続きです。『城崎温泉!』今回は本業とは関係無いネタです。親父と弟と3人で、城崎温泉へ来ました。大阪駅から特急に乗ったんですが、所要時間は、約2時間40分!結構、遠いですな〜。とりあえ…ameblo.jpこの日は端的に言えば、チェックアウトして、帰るだけでしたね。外湯巡りは14時か15時位までできるとのことでしたが、男3人で来てたら、そんなことするはずもなく、朝メシ食って、チェックアウトしたら、電車の時間までどう過ごすかという話になりま
3泊4日京都・北近畿漫遊。3日目の宿は城崎温泉。志賀直哉が定宿にしていた文化財の宿です。(9年振り2度目の宿泊)◆三木屋◆(国登録有形文化財)兵庫県三木市を治めていた別所氏の居城、三木城の城兵が落城後にこの地に落ち延び、その子孫が元禄年間(1688〜1704)に開業した老舗旅館です。明治・大正以降は志賀直哉を始め、柳田國男や山下清といった多くの文化人が愛した宿。特に志賀直哉は三木屋を定宿にして、「城の崎にて」は大正2年(1913)、三木屋で療養していた
志賀直哉原作伊丹万作監督黒澤監督のスプリクターだった野上照代さんは昭和18年16歳でこの『赤西蠣太』を観て感動し監督の伊丹万作さんに手紙を書いた。すると万作さんから返事が来て文通がはじまりそこからやがて黒澤さんに繋がって行った。『赤西蠣太』は野上さんを映画界に導いた運命の一本だった。この映画、とにかく面白い。時代劇のパロディのような遊び心に富んだ作品で監督の洗練された技巧が随所で光る。伝説的な名監督・伊丹万作さんが
「父」です。義母の読む、志賀直哉の『城崎にて』を拝聴しました。朗読の会に所属している義母は7月に発表会があるようで、毎日練習をしているようです。普段は義父が練習相手を務めているようですが、義母曰く「うん、いいんじゃない」としか言わないそうです。そこで私に白羽の矢が立ったのです。朗読が始まりました。何度も読んでいることがうかがえる流ちょうな読みだったので、目をつぶり聞いていました。すると瞼の裏に情景が浮かんでくるようです。雨に流される蜂の死骸……いもりだかやもり……生きたまま串
2022年11月6日人込みを避けて徒歩で奈良観光しています。浅茅ヶ原園地を散策しながら鷺池も楽しみました。この後、志賀直哉旧居→ささやきの小径→二之鳥居→春日大社御本殿→水谷神社→若草山へと散策していきます。志賀直哉の旧居だと思ったら違ってました。志賀直哉旧宅の東隣に位置する中村家住宅(旧足立家住宅)でした。洋画家足立源一郎の自邸として建造された木造2階建モルタル仕上げの邸宅です。そのお隣にあったのが、志賀直哉旧居です。志賀直哉旧居は、昭和
先日連作の最終篇に気付かず読んでしまった志賀直哉の「晩秋」を、本来の連作の流れに沿って「瑣事」「山科の記憶」「痴情」「晩秋」の順に読み直してみた。それぞれの長さが十数頁程なので、合わせても中篇に満たない程度で、私としてはこの短さの中にまとめられたありがちな人間の感情の機微の数々は、「暗夜行路」を凌ぐものがあるのではないかと思うところで、まったく趣向は異なるが同じくこの本に収録されている「城の崎にて」に並ぶ位の面白さがあるのではないかと思う。寧ろ「城の崎にて」は自己の体験から来た創作なの
志賀直哉『小僧の神様』の構成がどのように物語の立体性を確立させているか1h25min物語とは叙述であり、物語が物語成り得ているのは「何か」若しくは「誰か」の責任のもと、叙述が連続的に行われているからである。志賀直哉による『小僧の神様』は、秤屋の小僧「仙吉」と貴族院議員「A」のそれぞれの視点を交互に描くことで、この物語という叙述行為に立体感を持たせている小説だ。本論は、このような特徴的な構成がどのように物語に奥行きを与えているのか一つの読みを示そうとするものである。自分という存在
令和3(2021)年6月27日(日曜日)薄曇り昨日娘とビアズレーについて話をしていたら「ビアズリーを日本に紹介したのは白樺派の人たちだよ」と、この春東京国立近代美術館で開催された「あやしい絵展」の図録を貸してくれました。「あやしい絵展」の図録、東京会場展は終了しました。それは知りませんでした!なるほど同図録によると、雑誌「白樺」の創刊第3号(第1巻3号、明治43(1910)年6月発行)はビアズレーを特集して、オスカー・ワイルドの「サロメ」から「舞姫の得たるかづけ