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ブログを作った。別にブログでなくてもなんでも良かったのだけれど、こういう事を書くのにはなんとなくブログがいいと思った。多分何か書くのはこれが最初で最後だと思う。今、夜中の11時をだいぶ回ったところで、今日は体調的にだいぶんおセンチな所に私のメンタルの琴線に触れる出来事が起きたので、どうせ夜中だし、誰も読まないだろうし、こんな自分語りをしてみようと思った次第である。志村正彦、という人間がいる。正確には、いた、という方が正しいのかもしれない。もう死んでしまったから。あえて亡くなったと書かないのは
久しぶりの投稿、本日もアルコールと共に。先日の4月14日は、某が敬愛してやまないバンドフジファブリックの「桜の季節」が発売された素晴らしい日でございました。めでたい!出会いはやっぱり高校生の時で、そもそも切っ掛けは何だったか掘り起こしてみたが記憶が間違っていなければ、キャトられて洗脳でもされてない限り新聞の広告欄に乗ってた記憶があるんす。名盤『FABFOX』のジャケ写が載っていて「なんかおもしろい名前のバンドだなwww」ってところなはず。(間違って
お越しいただきありがとうございますいつもながらの興味なさすぎネタにお付き合いいただき・・・<(__)>すみませんまだ囚われています今日はこのアルバム聴き仕舞いにしようかすら思っていますフジファブリックMUSIC志村さんが亡くなって残された曲や録音されていた曲声の入っていなかった曲は今ヴォーカルを務めてくれている山内総一郎さんが数曲ですが声を入れてくれています最初はあまり基礎知識を入れずに聴き始めました途中でいろんな記事
さて、ずっとやりたかったのです。志村さんのパーソナルカラー診断。志村正彦/パーソナルカラーでググッてもなかなかヒットしません、そらそうか。2000年代後半なんて、画像も荒いのしか残ってないんよな。最早正解を確かめることも出来ないが、写真や映像は腐るほど見てきたので、ここで私の見解を記録しておこうと思う。※OLはパーソナルカラーアナリストになりました。まずは、志村さんのこの金髪から。これ、当時も結構印象的でして。志村さんて服なんてどうでもいいから音楽聴けってな感じでわりとシンプルな服装を
お越しいただきありがとうございますまたフジファブリック志村さんがらみの話です先日この記事を書きました↓『悲しいからもう聴かないことにしようフジファブリックMUSIC』お越しいただきありがとうございますいつもながらの興味なさすぎネタにお付き合いいただき・・・すみませんまだ囚われています今日はこのアルバム聴き仕舞いにしよ…ameblo.jpこのアルバムの中にByeByeというPUFFYのために書いた曲があるのですが私気が付いたら歌ってるんですよ頭
私の首元には三ツ星の黒子がありまして、昔志村さんとまったくオソロイだわと思ったことがあります。だから何だよ案件ですが、つまり私には黒子についてそのくらいのエピソードしかないということです。4月17日はシイナの日といいます。語呂合わせが好きな林檎さんだが、本人が言い出したのか?よく知らんが毎年やってくる4月17日。また4月が来たよ。で、本題なんだけどもこないだ迷彩のMV見ながらふと思ったの。今のファンの方ってさ·····もしかしてさ·····林檎ちゃんの鼻の横にあった黒子のこと知らんのでは???
フジファブリック「陽炎(かげろう)」は切ない曲だ。最初からどこか危うい志村正彦の人生。それをぼんやり遠くに見える陽炎が象徴するようだ。アコースティックで志村がこの曲を弾き語りしているバージョンがある。不確かな未来に一直線に向かうエレジーに聴こえる。彼が29年という短い生涯の中で何を見て、何を感じ、何を表現したかったのか、その全てがこの曲の中にある気がする。山梨出身の野球少年は東京に出てきてプロのミュージシャンを夢見た。地元で奥田民生のライブを観たのがきっかけだったという。人生
忘れもしない2009年12月24日。フジファブリックの志村正彦が亡くなりました。衝撃でした。死因は公表されておらず、「そういうことなのか…?」と今でも考えたりすることもありますが、よく分かりません。バンドの結成メンバーであり、作詞作曲をしてボーカルでもあった志村正彦がいなくなったら、もうフジファブリックは終わりだろうと思っていました。しかし、残った当時のメンバーのベース加藤慎一、キーボード金澤ダイスケ、ギター山内総一郎はバンドを続けるという選択をしました。(ドラムス足立房文は2006年に