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GWに入り息子の友達が会いに来てくれました去年もちょうどこの季節に今回はお母さんと一緒お母さんとはママ友です息子は中学のときから今の土地に引っ越してきて小学校以前の友達はいませんその子は中学からの友達高校も部活もずっと一緒そして、大学も学部が一緒そして、私立なのに引っ越してきたらたまたま近所に住んでいたという腐れ縁ずっと気にかけてくれている
ひたすら休息・・・と思ってたゴールデンウィークでしたが、ブロ友Mさんとお出かけ第2弾Mさんね、「歩きたい」と。「旧古河庭園でバラ🌹を観たい」と。歩くのはいくらでも〜😆旧古河庭園辺りはパパと何度も散歩したけど。もちろん、バラ🌹なんてスルーでしたよ🤣バラ咲いてるんだ😂というわけで、人生初の貴婦人散歩で、肝心のバラ🌹は?う〜んーー、ちょっと早かったかな😅チラホラと咲いてた感じ。ま、その分、コチラ⬇の「バラ」で満腹になりました。豚バラねー🤣たくさん歩いて(2万歩超🤭)、おしゃべりしま
息子が、ミトコンドリア病と分かったのは、7年前。遺伝子の検査で分かりました。その時は、検査結果がいつ出るか分からないし、結局、分からないかもしれないし。と言われ、検査から2年ほど経って、やっと分かった結果。当時は、ミトコンドリア病でも、世界に数例しかない型で、生きているのは息子だけかも?と言われてました。今回、再度、遺伝子の検査をしたんだけど。結果が出るまで、3ヶ月ほど。この速さには、本当にビックリ。7年の間に、もしかしたら、もっと医学が発展して病気の元凶になる他の遺伝子
兄弟の写真よりも、旅行話よりも、先に書きたくて。嬉しくて、嬉しくて本当は、音声、入ってたんだけど、名前を連呼されてたので、音声なしに編集◯◯さん、手を動かして〜。って何回も言われて、頑張って動かした息子です。2年前に、2回の心肺停止になってから、自分で動かせなくなった手。前は、手を握り返して、YES、NOを教えてくれてたけど、、、今は、皆無正直、手を動かすことは、諦めてるそれが、自分で動かしたんだよ〜!今は、表情で、把握してる(つもり)あんまり、分からないんだけどね
何度かお試しで行った重度心身障害者施設ずっと日帰りでしたがとうとう先日1泊しました!事前に指談で息子の気持ちを聞いてもらうと「絶対行かない」先月は熱を出し、キャンセルそれも息子がなんとか阻止しようと頑張ったとか前回からもう4カ月あいており今月利用しないと、また一からやり直しになってしまうかも(;'∀')嫌がる息子にお願いしてなんとか説き伏せ?いや、納得していないかもしれないけど
次男も本日、顔が長方形()の状態で無事に(?)退院出来ました(前回ブログでご報告した通り、親知らず4本同時に抜歯😱)私は、春休み明けからの「週6連勤✕2週間&2週連続日曜日の孫ツインズお守り」という怒涛の日々を乗り越え、行ってまいりました、ゴルフ今月は曇りや雨の日が多かったけどねー、パパが待ちに待ってたゴルフは快晴☀ねおかげさまでリフレッシュスコアはとーぜんヘロヘロでしたが(いつも通り、とも言う)
スホの言ったたった一言で周りがざわめく。ひとりの記者が手を上げ「なぜ急に?来月ですよね、コンサート」するとスホが「みんなも見ての通り、今ここにギョンスことD。O。とチャニョルは出席していません。今、騒がれている噂わ事実です。ギョンスは今も懸命に病気と闘っています。病名は白血病です」と言うと一段と会場がざわめき、フラッシュやシャッター音が鳴り響く。スホは下を向き涙が止まらない。代わりに隣に座って居るベクがマイクを手に取り「チャニョルがいないのは、今ギョンスについて看病しているからです。ギョンス本
CTの造影剤のアレルギーについて主治医から説明を受ける。1回目は副作用が少しあっても、基本的にスルーする。なぜなら、その反応はたまたまかもしれないから。でも2度目に反応があれば、それはアレルギー。蜂のアレルギー同様、回数を重ねれば極度のアナフィラキシーショックを起こし心肺停止になることもある。それで亡くなる人だっている。検査で心肺停止になり、時々院内に緊急コールがかかるよ。今後、医療にかかって検査で2度目に具合悪くなったら必ず医者に伝えないといけないよ。2回アレルギーが出てるっ
今日は、第13回ぎふ清流ハーフマラソン大会岐阜県、朝から雲ひとつない晴天🌞朝から日差しが強かった~💦ランナーさんたちはこの暑さしんどかっただろうね❗風もそんなになかったし💦歩いてるだけでも私は暑くてしんどかった🙈私が最後にハーフマラソン走ったのは2016年の5月に開催されたハーフマラソン。心室細動で倒れてからもうすぐ8年。自分の中で、今を生きてる事に感謝をする意味もあって大会の応援に行ってきた😊よじさんも前から休みを取ってくれてて、ハーフスタート前には会場にいるつもりが出遅れ❗
家に帰って来た。日付は変わり、1時半を過ぎていた。クルマで送ってくれた次男夫婦はまた川を渡って一旦自宅に帰るらしい(30分だけど)玄関で、「じゃあ明日の朝!」と次男。ふと私の口から溢れた。「あんたたちじゃなくて良かった」あの悪夢の始まりの電話。あれが子どもたちのことだったら、、、と想像しただけで震えた。パパもきっと同じ。死ぬってさ、順番どおりじゃなきゃダメなんだよ!ママが最初だったはずなのに!
ICUにうつり私たちは、家族控え室で朝まで過ごしました5/4の7:50-8:20までの面会行くと起きてた私たちを見るなり泣きそうになっておはようって声かけるとうんうんとうなずいて、こっちを理解してる30分の面会時間に旦那さんの父母私の父母姉と交代で面会して最後にもう一度行くとじいじ達、来た?の問いかけにもうんうんと面会時間がおわりまたあとでと言うと目を赤らめて泣きそうに
手術が決まりいよいよ手術室へ流れる天井の照明麻酔が効いてきたのかこの辺から意識が飛び飛びです。僕が覚えているのはクリアではっきりとした夢なのか現実なのか分からないほどの物語。頭の中では現実とは別のストーリーが展開されていました。ここからはその夢のストーリーになります。手術を拒否した僕はこのまま虹の橋を渡ることを希望安らかに逝かせてほしいとドクターと家族に告げます。家族が見守る中メモリの付いたポンプのような注入器のようなものを腕に刺されます。その中には薄い黄色
息子の経過をざっくり書き出しました。日にちも枠に合わせて、ざっくりです。どなたかの参考になれば、と思いました。障害はひとそれぞれ症状が全く同じ人は一人としていないと思いますが最初は生きることが安定しませんでした。ようやく在宅に入ったものの、しばらくして再入院。心停止も輸血も何度もありました。良くなって抗生剤を止めると悪化、の繰り返しでした。2度目の入院のときは、生きることを望むのは親のエゴなのかとすら思いました。原因を探ると、膵臓がひどい
車椅子の変遷を書いていきますね。車椅子に初めて乗れたのは2020年夏倒れてから2年が経っていました。初めての在宅当初は家に帰れただけでうれしいベッドの次、なんて考えらえる状態ではありませんでした。その後、何度も命を脅かせながらようやく落ち着いてきたころ外の空気に触れさせてあげたい!そう思うようになりました。そして、ウッドデッキを作りました。完成当初現在お庭を改造し、外から見えにくくしました
1月27日(金)2階でドライヤーしようとした時に、1階のお風呂場から「ママー」って叫ぶ長女の声。ココの発作や!と思って、急いで降りたら顔が湯船から上がってたからいつもの発作やと思って、とりあえず旦那の名前を叫んで降りて来てもらった。もし、発作が起きたら何時でもいいから病院に来て下さいって言われてたから病院連れて行こってなったけど、救急車呼ぶ事に。救急車に電話してる途中で、旦那が息してないかもって言ったのが聞こえてその後の記憶はあまり覚えてない。救急隊員の人が慌てて運んでくれて、私はココ
パパが亡くなった翌週は仕事を休むことに決めた。心配してくれている友達が食べ物を持って来てくれたり、スーパーへ買い物に出る以外は、パパのお骨を抱っこして過ごした。やらなければいけない手続きや作業は1日に1つだけ頑張る。無理しない。パパのお骨を抱っこしながら、やっていたのはもう、ひたすらケータイで「夫突然死」の検索。この先、私はどうなるのか、どんな道を行くのか、何もわからない。道標が欲しかった。この後、私に起こりうることへの対処方法が知りたかった。そして、たどり着いたのが「死別ブログ」。
ここ数日、アメリカの大衆の間で陰謀論として話題に上っている不可解な話があります。題して、『ダマー・ハムリンの謎』←勝手につけた覚えてますか?正月に生中継されたNFLのアメフト試合で、突然心肺停止して倒れた例のフットボール選手。↓これ『覚醒その167プロアメフト選手の心停止』ここアメリカでは、お正月に生中継されたNFLのアメフト試合で、若手選手のダマー・ハムリンという選手が、試合中に突っ込んでくる相手チームの選手を勢い良くタックル…ameblo.jpダマー・ハム
今朝のニュースで保育園で0歳男児が刻んだリンゴが喉に詰まり心肺停止の重体であることを知った。愛媛・新居浜市の保育園刻んだリンゴ食べた生後8か月の男児が心肺停止のどに詰まらせたか(日テレNEWS)-Yahoo!ニュース今月16日、愛媛・新居浜市の保育園で、リンゴを食べていた生後8か月の男の子が心肺停止となる事故がありました。男の子は救急搬送されましたが、意識不明の重体です。新居浜社会福祉事業協会・藤田康理事長news.yahoo.co.jp充分に気をつけているはずの保育園でプロの
【品川駅レスキュー続報】先日投稿した品川駅での電車の人身事故レスキューに対し、東京消防庁高輪消防署から感謝状を頂きました。私のような者でも人様のお役に立てたようで大変恐縮です。これからも微力ながら、交通事故から自然災害まで様々なレスキュー活動を続けていきたいと思います。最後になりますが、事故に関わられた全ての方々が1日も早く平穏な生活に戻られることを願ってやみません。⬇︎⬇︎高輪消防署の署長直々に感謝状を頂きました。私の名前の横にエンピツでフリガナが振られてい
今回の内容は賛否両論あると思います。不快に思う方もいると思うのであまり見ること、おすすめしません。そして私のダークな気持ちもつらつらと書いてあります。重めです。あやにあんなことがあってその日その日の私の気分の浮き沈みが激しくなったいなくなってからは特に酷い今日は平気~でも午後からはダメとかもざらにあるちなみに今日はダメ気分が上がらないし妙にイライラする頭も少し痛い今日はデニムパンツが緩くなって落ちてくることにイラついてるさっきなんか安倍元総理の国葬をテレビ
息子の体の動きのことを書こうと思います。当時はコロナとかなく、面会も制限がなかったので付き添える限り、ずっとそばにいることができました。最初は全然動きませんでした。目も開きません。薄目が開いているような感じもします。弛緩麻痺なので、だらんとしています。拘縮は全くありません。マリオネットのような感じ...かな。そういう表現をあまりしたくはないけれど...そんな息子でしたが2か月ほどして、右親指がぴくぴく動きました。ずっと傍らにいないと見逃がしそうなかすかな動きです。
人の救急医療の話の中で心肺停止の患者さんのご家族にかけてはいけない言葉の話があった。ぼくも「もう少し早く来てたら助かりましたか?」とか「もっと前に来て治療してたらよくなりましたか?」って聞かれることがある。この言葉の返しにいつも戸惑ってしまう。過去に戻ることはできない
初1人夜勤でいきなり危篤状態の患者が1名朝方まで頑張ったが、そのまま息を引き取った。家族は20分で来れる言うたのに、連絡して40分後に来た。患者が心肺停止になって数分後に到着という形になった。でも、とがめられる事なく「ありがとうございました。お世話になりました」と理解のある家族だった。応援ナースで、緩和ケア経験があってよかった。おかげで冷静に対処ができた。やっぱ経験って大事やなって思ったし、朝まで持つとは思ってもいなかったから、私はある意味ついていたかも。夜
パパを連れて帰れず、私たちは家に戻った。お昼には義母と義姉が来てくれた。たくさんのおにぎりを持って。そう言えば、子供たちに朝ご飯、食べさせたっけ?もうお昼なのに。頭が回っていない。葬儀社が打ち合わせに来た。「喪主はどなたが?」喪主?以前、パパにははっきり言っておいた。もし、パパがママより先に死んじゃったら、ママは喪主とか絶対ムリだから。ママはパパと一緒にお棺に入るからね!パパは承知している。「ママはムリ!」すかさず長男も「俺も無理だよ!」長男はいつも縁の下の力持ち。それも
予想外の反響示談が決裂したとき、迷わず弁護士は訴訟の方向に舵をきった。訴訟提起するあたり、弁護士から提案された「地方裁判所付き記者クラブでの会見する」ことに迷いはなかった。その理由は以下1,被告病院の現実を、市民および医療従事者が知るべきである2,この案件を医療従事者の私が諦めれば、被告病院は改善されず今後も繰り返すだろうからweb記事でも良い、1社でも良いから話題にして欲しかった。それは望みどおりになったけれど、話題になる=赤の他人からの誹謗中傷がついてくる。
〜波瀾万丈な人生に終止符を〜大塚まりりんです今日もブログを読んでくださり、本当にありがとうございますもうすぐ近付いてくる…一刻と一刻と…あと2日だ…侑來が乳幼児突然死症候群で突然、いきなり、何の前触れもなく呼吸が止まり、意識を失って心肺停止になり…避けたくても来てしまう我が子が元気であった最後の日私にとっては命日の7月29日よりも辛いです…2023年5月3日は人生で最大の生き地獄のスタートの日でした
はじめましてAir(えあー)と申します私は2度出産を経験していますがどちらも産声を聞いていません。1人目は死産、2人目は新生児仮死です。このブログでは、私の妊娠から現在に至るまでの出来事を書いていきたいと思っていますブログは初心者ですので、どうか暖かい目で見守ってくれると幸いですまずは、簡単に自己紹介からさせていただきます年齢・・28歳(2023年2月現在)住み・・兵庫県職業・・営業職(現在は休業中)他にも、随時ブログ内で紹介していけたらなと思っていますお読
本日、ミディアムさんがパパに会わせてくれました😆実を言うと、このミディアムさん、ブロ友さんが教えてくれた方とは違う、でも、YouTubeの「3人のミディアム」の中のお一人で、ブロ友さんが教えてくれたミディアムさんの予約は来月になってしまったけど、こちらのミディアムさんのホームページ見たら、こんなに早く予約出来たので、ついつい申し込んでしまいました😅すごいわ、ミディアムさん!いきなりね、「手とか、熱くなったりしませんか?両手じゃなくて片方だけ。それ、ご主人ですから」だって私、ずーーーっと前
今までの移動手段状態によって、変わって行きました。今も進行形です。最初の退院看取り覚悟の退院でした。帰りは病院が頼んでくれた介護タクシーストレッチャー付きです。事前に病院に家の写真を撮って見せています。出入口。息子の出入りは、吐き出し窓からとなりました。玄関からだと曲がるところが多くて💦吐き出し窓だと、そのままベッドがあるリビングに入れます。ただ、結構な段差。踏み台を置きました。移動に
息子の血圧はここ数年落ち着いていて通常の血圧は上が100前後そして、なぜが夜11時近くになると上昇し140くらいになります💦ひどいときには160を超えるときも...下も100くらい昼間、上が80台になるときもあるというのに、かるーくそれを越えていきます💦なぜそうなるか、わからないけれどそれが毎日のリズムなので、そのまま受け入れています。そして、それを逆手に取ってその血圧上昇時間帯には心臓リハみた