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※長文になります。2017年12月15日、朝7時前私は自宅にいました。長男と一緒に朝食を食べ、これから登校の準備をしようとしていた時でした。家の電話が鳴りました。(こんな時間に…)嫌な予感しかしませんでした。でも、緊急時の電話は大抵携帯にかかってくるしなぁ…とも思いました。不安に思いながら電話に出ると、やはり病院からで、三男の受け持ち看護師さんでした。看護師さんはゆっくりと話しました。「もしもし。看護師の○○です。」「先程、6時…32分に…三男くんの心臓が止まってしまいま
2017/11/14生後29日目(修正35週6日)この日は私の産後の1ヵ月検診があったため、三男の病院に行く予定はありませんでした。午前中に病院へ内診、血液検査、助産師さんとの話。内診は異常なし。血液検査では貧血はかなり良くなっていて、「もう薬を飲まなくても大丈夫でしょう」と言われました。助産師さんとの話では、今後の家族計画についての話を聞きました。私と三男の状況を助産師さんも分かっていてくれていたので、「一応、助産師として話だけさせてね」と前置きがあった上で話をされました。産科
2017/11/14生後29日目(修正35週6日)その後、抱っこをさせてもらうことになりました。三男を抱っこすることは、今までは許可が出ませんでした。繋がっている管が多すぎて難しいことと、人工呼吸器が繋がっているから…抱っこすることで心臓の負担を避けたいとも言われていました。それなのに抱っこの許可が出るということが何を意味するのか…そんな思いが少しだけ頭をよぎることもあったけど、まずは抱っこができることを素直に喜びました。まずはずっと「三男を抱っこしたい」と話していた長男に抱っこ
2017/11/14生後29日目(修正35週6日)いわゆるターミナルケアという形でファミリールームで面会をすることに…心境は複雑でしたが、抱っこをさせてもらう前にまずはたくさん三男に触れ、たくさん声をかけました。頑張れ!血圧上がれー!元気になって絶対お家に帰るんやで!三男は強い!大丈夫!三男が頑張っていることは私が一番よく知っています。だから頑張っている三男に「頑張って!」だなんて言いたくなかったけど、敦希の時の後悔がずっと残っていた私は、迷うことなくたくさんの「頑張って!」を伝
12月15日に三男が6年の命日を今日2月6日に次男が10年の命日を迎えました。あれから私はもう10年も生きてる…自分の命よりも大切な子どもを亡くしても、明るく生きなきゃいけない私の気持ちなんか他人には絶対に分かる訳がないそう思ってずっと歯を食いしばって生きてきたし、今もそう思って生きてます。相変わらず卑屈の塊です。確かに年月の流れは心の傷を癒やしてくれます。でも、乗り越えることはないし「仕方がなかった」なんて思うことは絶対にない。毎日、元気に明るく生きているつもり。でも今でも時
10月16日は三男の2歳の誕生日でした。この日は母子ともに無事に出産できた奇跡の日だと私は思っています。三男は全身麻酔で帝王切開での出産でした。すぐに転院になったので、この日、三男に会えたのはわずかな時間だけでしたが、今でもそのことははっきりと覚えています。小さな小さな三男。本当に、本当に、可愛くて、一瞬で痛みが吹っ飛びました。全身麻酔から目が覚めた時に、三男はまたしても同じ病気である可能性が高いと告げられ、隣県の病院に転院になりました。その瞬間はたくさんたくさん涙を流しました。
日々、明るく過ごしていても、常に心のどこかにつっかえたものがあります。ふとした時にその自分の明るさに違和感を覚えたり、無理しすぎたかなと感じたり…そんなことを考えているうちに本当の自分が分からなくなります。私って本当はどんな性格だったっけ?と。遺伝子検査の結果、敦希と三男がなぜ心筋緻密化障害になったのか原因が分かりました。三男は新たな病名も判明しました。考えても考えてもどうすることもできず、また心に蓋をする日々。何年経っても、何も変わらない。苦しくてしんどい。三男の命日が過ぎた
遠くても会いに行けば三男に会えていました。三男が頑張っていたから、私も頑張れました。2日に1回、たった数時間だけど、三男に会えることが楽しみで毎日頑張ってきました。でも、これからの日常には、どこを探しても三男はいません。病院に行っても、NICUに行っても、どこにもいません。何をして過ごせばいいんやろ…まるで燃え尽き症候群のような感覚です。よくよく考えたら私はまだ産後2ヵ月なのに三男はいない。たくさん出ていた母乳も出なくなってきました。三男がいつか口から飲めるようになった時のた
2月6日次男、敦希の7年の命日でした。敦希に会えなくなって早7年。敦希は心筋症があっても、怪獣のように泣く子でした。朝は比較的穏やかに過ごしていましたが、午後からはしんどかったのかな…抱っこしないと激しく泣いてしまうので、心臓の負担にならないようにずっと抱っこをして、大切に大切に育ててきました。やんちゃ盛りの2歳の長男と敦希の兄弟育児は大変なこともあったけど、本当に幸せでした。いつも2人一緒に手を繋いでいました。過去の写真や画像、記憶の中にしか2人の姿はないけれど、この記憶は永遠に私
今日で三男が亡くなって1ヵ月が経ちました。三男が生きていた半分の時間が過ぎてしまった…と思うと、ただただ虚しい気持ちです。あっという間の1ヶ月でした。三男の病院に通っていたのが遥か昔のよう毎日ただただ淡々と長男のことをして家事をして…自分が自分じゃないみたい自分の感情はどこに行ってしまったのか…敦希の時は後悔が多く「あの時こうしていれば」とばかり考えては泣いていましたが、三男の場合は本当にどうすることもできませんでした。病院や治療に対する後悔は一切ありません。それでも、何とかして
10月16日31週の早産になってしまいましたが、緊急帝王切開にて無事に1464gの男の子を出産しました!敦希がお兄ちゃんに。私は3人の男の子のお母さんになりました。予定では17日に帝王切開でしたが、16日の朝からお腹の定期的な張りが治まらず、張り止めの点滴(ルテオニン2A)を増やしたのですが、副作用で脈拍が速く、これ以上点滴が増やせない、これ以上待つのは危険と判断され、1日早めの出産に至りました。「次、出血をしたら止められない」大量出血してから、ずっと言われてきました。恐怖でした。
胸腔穿刺、無事に終わりました。三男の胸腔にはドレーンが入り、持続的に胸水が排出されている状態です。またまた痛い思いをさせてしまったこと、考えるだけで涙が出そうになります。でも、泣いている場合じゃない。三男は一生懸命頑張っています。とにかく、今は前だけを見て、日々明るく過ごしたいと思います。三男の現在の状況を簡単に書くと、人工呼吸器胸腔ドレーン持続点滴(8~10種類)胃管チューブ(ミルク、内服薬)尿道カテーテル心臓の収縮は20%左心室から左心房への逆流重度心臓拡大ハイ
普段から「焦りはない。ゆっくりひとつずつでいい」と言っている私ですが、最近心配なことがあります。それは「体重」です。三男は31週の早産で1464gで誕生した極低出生体重児。心臓の病気がある赤ちゃんの体重を増やすことはとても大変だと聞きます。三男は心筋症です。しかも心筋緻密化障害の最重症です。本当に、本当に、体重が増えません。体重を増やそうとすると、心臓に負荷がかかります。心臓に負荷がかかると心臓が大きくなり、左心室と左心房の間の弁が開き逆流が増えます。血圧が下がったり、オシッコ
昨日の朝、三男は永眠しました。今、私、旦那、長男、次男、三男と念願の川の字で寝ています今まで三男をたくさんたくさん応援していただき、本当にありがとうございました!
三男の名前には次男の敦希の「希」という字が入っています。小さな小さな体でたくさん頑張っている姿を見ていると、会う度に私の方が元気をもらい、励まされています。改めて三男は名前の通り、希望だなぁと感じました。三男の妊娠・出産は色々なことがありました。極低出生体重児の心筋緻密化障害はほぼ症例がないと言われ、たくさん厳しいことも言われました。でも、私は幸せです。私が命懸けで産んだ三男。生きるために生まれてきてくれた三男。もう、後悔はしたくありません。できることは全部して絶対に、絶対に
先週、三男と私にとって初めてのことが2つありました。1つはシャンプーです。生まれてからずっと全身状態が悪かった三男は沐浴をしたことがありません。体を動かすことが刺激になってしまうからです。シャンプーをする準備を看護師さんが隣でし始めると、何かを察知した三男は看護師さんの方を見ながら怯えた表情になり、頭にお湯をかけられた瞬間は何とも言えない顔に…笑しかし、洗髪が始まると途端にウットリとした表情になり、とても気持ち良さそうにしていました。しっとりしていた髪の毛がふんわり爽やかに。三男の気
実は昨日、三男の血圧が安定しなくて、とても厳しい状態でした。輸血をしましたが効果はなく、急遽私は病院に隣接している宿舎に泊まるように医師から言われ、三男のそばで見守っていました。不安で不安で、ただ願うしかありませんでしたが、新たに追加になったお薬の効果が出て、昨日の夜から血圧が安定しました!小さな小さな体でたくさんたくさん頑張っている三男は本当に強い!と感じました。たくさん頑張っているのに「頑張って!」と言うのは心苦しいですが、ひとつひとつゆっくりでいいからクリアしてほしい。生きるため