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気がつきゃこれも今日まで。ああ、忙しない。先ずは阿茶局さん。敵全体術ダメ0.90味方全体回復0.40全敵味方溜め解除このターン現代兵器使用者溜め付与(2.0)まあ、色々する人だねぇ……しかもそれが全部高度にまとまっている。術ダメは威力十分……星4ならペナルティ付くレベルの数値。そして……全体回復0.40ってマジ?凄くないか、これ?攻撃のついで(?)に出すレベルじゃないぞ。しかも敏捷依存だから工夫次第で便利かも。溜めの解除と付与については……まあ、複雑に見えて素直なもんだ
4月19日AM9時の開門と同時に撮影。1627(寛永4)年に上野恩賜(おんし)公園の中に創建された上野東照宮。「東照宮」と言うと、日光東照宮が有名ですが、江戸時代遠く日光まで参拝に行けない江戸庶民の人々のために、三代将軍徳川家光が日光東照宮に準じた豪華な社殿を建立したとされています。ちなみにこの社殿、関東大震災や第二次世界大戦でも崩壊せずに残ったようです。上野恩賜公園に来たら、ここには是非とも寄りたい場所ですね😊上野恩賜公園内のツツジも撮影してきました🌺
こんばんは!(^o^)丿「真夜中の映画館」に、ようこそ!映画ナビゲーターの田中です。45年以上映画を観続けている私が、独断と偏見で選んだ作品について、好き勝手に熱く語っています。宜しかったら、お付き合いくださいませ。。アマゾンプライムビデオで、「今日は、何を観ようかなぁ~」なんて物色していると、気になる作品を見つけました。知らなかった・・・・こんな作品があったんですね!「柳生一族の陰謀」といえば、何と言っても、1978年に公
あっさりと、Wikipediaに載ってましたここで読んだのか、私は江戸時代前期:衆道の確立、男色文化全盛へ[編集]「衆道」および「陰間茶屋」も参照男色に武家の作法が融合したものを衆道という。「若衆道」の略語で、いつから使われ出したかは分かっていない。しかし現在確認できているものでは承応二年(1653年)の江戸幕府の「市廛商估并文武市籍寄名者令條(遊女并隠賣女)」に出てくるものが、幕府の公式令條としては初出だとされている[12]。その為、武士の男色は鎌倉時代にはみられ、室町時
今日のブラタモリは「松本城」。まず、この松本城が国宝指定されたのはその複雑な形状ゆえだった、と説明がありました。合計5つの天守と櫓がつながって、いろいろ付け足しされているような形です。その特殊な形状は、武田信玄、石川数正、松平直政の3人の手を経て増築された結果でした。下の写真は、緊急事態宣言が解除され感染者が落ち着いた頃に日帰りで行った松本城。今年は夏休みなしだったけど、その前に行っておいてよかった。去年11月に計画を立てながら、感染者が増加傾向で諦めた、そのリベ
こんにちは、今日もご訪問いただきましてありがとうございます(^^)/AnnieKです前回のつづきで日光東照宮の(その2)です。(その1)は、こちらをご覧ください。次は薬師堂「本地堂」へ行くのですがその前にちょっと「へー!」なお話を日光東照宮の五重塔、唐門、陽明門などに施された彫刻はなんと5,173体もあると言われています。そして、前回もお話したとおり、すべてに意味があります。動物の
名古屋城の本丸御殿(後半)本丸御殿の廊下や天井などにも見どころはたくさんあります。次は徳川家光上洛時に増築された上洛殿です。絢爛豪華に飾られた城内から外に出ました。金のシャチホコが見えます。不明門。御殿椿。名残惜しいので何回も天守を仰ぎ見ます。足もとにこんなものがありました。(撮影:2023.10.16)
徳川家の菩提寺、大樹寺徳川家・松平家の菩提寺、大樹寺にやってきました。この山門は、1641年に徳川家光が建立したものです。中に入ると、すぐ右に鐘楼が見えます。正面の本堂に向かいます。1475年に松平親忠が創建しました。その後、火災で焼失したため、1857年に徳川家定が再建したものです。多宝塔は1535年、松平清康が建立しました。本堂の中を拝観しました。徳川家康の座右の銘とされる「厭離穢土、欣求浄土」の8文字がいろいろなところで見られました。その後、大樹寺をあとにし
大猷院の一番奥にある徳川三代将軍「家光公」の廟所を守っているのが夜叉門。夜叉(やしゃ)は古代インド神話に出てくる鬼神。のちに仏教に取り入れられ護法善神の一尊となりましたた。世界遺産「日光の社寺」の構成要素になっているほとんどを建立したのは三代将軍・徳川家光。そして実質的に京都から江戸に政権の移転を完了させ、それから長く続く江戸幕府の基盤を作ったのも家光公ですから、御廟所は4つの夜叉が守っているんですね。日光東照宮で徳川家康公は神格化されています。そして東照宮に負けないくら
期間:2024/04/23〜05/09天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額戦)徳川秀忠:仁孝恭謙の徳※倍率不明の為、判明次第反映呪)徳川家光:大権現の尊崇戦)徳川家康:天下泰平の志武)松平信康:三郎の尊影射)督姫:神君の血縁戦)江:大猷の抱き守星2戦)酒井重忠:奇襲©コーエーテクモゲームス
久能山東照宮は48年ぶり日本平ロープウェイに乗って久能山に向かいます。久能山東照宮は48年ぶりです。楼門から中にはいります。鼓楼です。さらに階段をのぼって拝殿に向かいます。以前来た時は海側から1159段の階段を上がりました。今回はロープウェイを利用したので老人向けのコースだといえます。(撮影:2023.10.17)
☆主は変わってもそこに咲く桜の花*天下一・高遠(たかとう)の桜(伊那市)高遠城址1500本の「コヒガンザクラ」その美しさと中央アルプスを望む眺望は”天下一”二代将軍・徳川秀忠には、三代将軍となる「家光」のほか、側室に男児がいたが、極秘裏に信州・高遠城で育てられていた。家光は、将軍になってから始めて、弟の高遠藩主「保科正之」の存在を知る。