ブログ記事799件
四月の第二日曜日が石見神社の例大祭。だから大人神輿を担いで御幸(みゆき)がある。(秋は収穫感謝祭なので子ども神輿だ)神様の、年に一度のピクニックなので鼻高面が先導する。と。しかし、神様が身を隠して行くピクニックとは何だろう。<神様こっそり乗車の一場面>しずしずと参ります。こんな風景は何故か神武東征を想い起こさせます。そんな行く先が「御旅所(おたびしょ)」と呼ばれるのは、ただの花見じゃないことが分かりますね。又の名、神事場とも云う。
おはようございますm(__)mペコリ本日からは柳井市余田に鎮座されておられる名合八幡宮を参拝した時の事を書いていきますねヽ(゚∀゚)ノパッ☆ここはとにかく参道が長かったです(´Д`)=3その始まりはこの一ノ鳥居から始まります(≧∇≦)ノ普通の道路が鳥居の下を通ります(≧∇≦)bこちらの鳥居は昭和十一年に建立された鳥居です(≧∇≦)bう~んと……………もう四年待てば紀元(皇紀)二千六百年だったのに待てなかったのかなぁ(・ั﹏・ั)💦こちらは御旅所ですね(≧∇≦)bウ~
明日まで御朱印が頂けることで本日今宮神社御旅所に行きました。今宮神社御旅所の御朱印。
神輿の重さは100貫=約400kg~勾配14%、六十六段の石段を神輿を下ろすのは命がけ~小菅神社柱松柴燈神事⑬里社神輿殿から講堂前の祭会場東側にある御旅所まで、神輿に天王様「スサノオノミコト」を乗せて移動するのが『神輿渡御神事』。陣笠を被り、法被を着て6尺棒を持った警固を先頭にした行列が、石段を一段ずつ下りてくる。面を被った猿田彦神、手力雄、細女は介添えが手を引いて下る。足を踏み外せば、一気に転げ落ちるほど急な石段である。行列の先頭が石段を下りきった辺りで神輿が石段の頂部に姿を見
「生田祭」の歴史は古く、寛文3年(1664)の絵巻物にもその様子が描かれている。終戦までは、中央区から兵庫区の約30㎞を1日がかりで渡御(おわたり)を行ってきたが、昭和30年代に入ってからは、現在のように11地域を分割し、各地区で11年に1度の持ち回りで開催されている。と言う訳で、今年は我が地区が受け持ちのようだ。生田神社の氏子地域11地区は宮元地区・兵庫岡方部・三宮地区・東山地区・元栄海地区(元町・栄町・海岸通)兵庫中部地区・諏訪山地区・兵庫南部地区・下山手地区