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東京五輪2020、閉会しましたね。このブログでも書きましたが、ワタクシにはスポーツ観戦するっていう習慣がなくて。なので、ほぼ見ないまま終わりましたが、twitterで見る限り、楽しんだ方が多くいるようで、良かったですねーと、そんな気分です。一方で、新型ウイルスの疫病が流行る中では、ほとんど楽しめなかったという人も、やっぱり大勢いるんでしょうね。それは残念でしたございましたね。…と、とりとめのない時節の挨拶はこれくらいにして…(笑)今日は「系図で見てみよう」シリーズを
今年は「後白河天皇の系図」に関して検索して来られる方が結構多いのです。当ブログの検索アクセスの3分の1ほどが、この関連になっています。これはやはり、『鎌倉殿の13人』やアニメ『平家物語』、そして『平清盛』配信スタートが関係あるんでしょうか。ご訪問ありがとうございます!お暇な時にでも読んでやってくださいね♪で、ご到着されるページが、こちらになっているわけなんですが…。系図で見てみよう(天皇家/後白河帝以降)(再掲)https://ameblo.jp/gonch
京都のお寺って似たような名前ばかりで、ややこしい…。そこで、平安時代に建てられた「法◯寺」を紹介してみよう!と思い立って、前回企画で4つのお寺を語ってみました。そのうちの「法勝寺」は、通称「六勝寺」と呼ばれる6つのお寺のひとつ。なので、この際だから六勝寺の歴史についてもやってしまおうかな…と。今回は、そんなブログになります。そうそう。先に言っておきますが、今回ご紹介する6つのお寺。すべて、当時の場所には現存していません。よって、旅行の予習に…みたいに利用す
天皇の名前というのは、ほとんどすべて、死んだあとに後世に贈られる尊称です(生きているときは、単に「ミカド」とか「院」とかです)。この「死後に付けられる呼び名」には、実は二種類あるんです。その天皇の業績などに因んで後世の学者がつけたもの(天智とか天武とか)を「諡号」といい、その天皇が離宮を営んだ、引退後に住んだ場所で呼んだものを「追号」といいます(奈良時代あたりまでは学者も力をこめて天皇の諡号を考えていたんですけど、平安時代になって天皇が実際の政治をしなくなってくると、業績っていってもあんまし何
色々と寄り道をしましたが、平安末期の平安京と、平安京近くの豪華施設について場所と経緯を説明してきました。源平合戦の時代はよくドラマで見ましたが、舞台が京都ってことはわかっても、どこでどう人が動いたのかがわからないまま見ていたので地理感覚がよくわからなかったんですよね。自分で地図を作るのは手間がかかるけど、昔の出来事が肌感覚で実感出来ていいなと思っています。さて、今回は「保元の乱」を見ていきます。かの有名な、院政期の重要人物たちが絡ん
はい。こんにちは。今回は保元の乱・平治の乱を講義します。保元の乱は簡単に言えば天皇家内の内紛から起きた戦いのことです。鳥羽法皇は近衛天皇が病のため崩御(天皇や上皇、法皇が亡くなること)した後、崇徳上皇の子ども重仁親王を皇位つけないで、雅仁親王を天皇にしました。雅仁親王は後白河天皇と名乗りました。鳥羽法皇は崇徳上皇を嫌っていたのです。まもなく鳥羽法皇は崩御しました。すると、重仁親王を天皇にして自ら院政(天皇に代わって行政すること)をしようと、崇徳上皇が反乱を
私は、重度の偏頭痛持ちです。そのことを、最近まで殆ど忘れていたのですが、11月に入ってから、嘔吐下痢を伴うひどい頭痛に悩まされておりました。季節の変わり目だからかなぁと考えておりましたが、突然「お守りかお札の期限が切れた(一年たった)のかも!」とひらめきました。そこで、自分のブログを見ると以前西国霊場の今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)で去年の10/31に頭痛平癒の加持祈祷をされた「枕カバー」を頂いていました。『第十五番新那智山