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長崎大学の裏手、つまり爆心地や平和公園から東側は金比羅という山側に「穴弘法寺」という古くからのお寺があります。その穴弘法寺に登る途中にある経の峰の墓地は「原爆死」「昭和二十年八月九日死亡」と刻まれた墓碑が目につきます。一家で六名が同日、犠牲になったことを示す墓誌もあります。いまも爆風で傾いたままの石塔、破壊されたまま、修復されていないお墓も残されています。穴弘法寺は、何かあった時は長崎医科大の救護所に指定されていました。被爆し瀕死の多くの大学関係者や市民が必死で長い石段を登って
大リーグボール1号を打たれた飛雄馬は、その絶望感から自宅に引き篭もってしまうオールスターも辞退した後練習にも顔を出さなくなったそれを心配した伴は、飛雄馬をグラウンドに引っ張り出そうと飛雄馬の自宅マンションに駆け付けるがそこで明子から「飛雄馬の様子がおかしい」と告げられる飛雄馬は毬ツキの少女から毬を奪うと、それで何度も毬ツキをし始めたついに本当に飛雄馬が狂ったと思った明子と伴は飛雄馬を精神病院に入院させる決意をするだが、病院に連れて行こうとした伴に飛雄馬の口から
忠生中学事件1983(昭和58)年毎日新聞1983年2月16日1983(昭和58)年2月15日、東京都町田市の市立忠生(ただお)中学校で、教師が生徒をナイフで刺すという事件が起こりました。事件が起きた忠生中学校の玄関ホール(1983)前回のブログで取り上げた「横浜ホームレス襲撃殺害事件」から10日後の出来事です。『横浜ホームレス襲撃殺害事件1983年』横浜ホームレス襲撃殺害事件1983(昭和58)年このブログでは、「浮浪者」「プータロー」など当時の言い方
2015年の8月に書いた記事ですが、今も忘れてはいません。井伏鱒二氏の「黒い雨」はドキュメントであり、箇所的には創作もありますが、ノンフィクションでもあると私は認識しています。黒い雨1レジュメ報告-2.pdfdrive.google.com(私の反論)1、土砂降りの雨でなくても草津港において黒い雨に濡れた可能性は否定できない。最近の知見においても黒い雨の拡大も認識されている。(毎日新聞でも報じられている)しかも降雨時間は長い地域もあった。また、高丸安子(矢須子)さんは膝などを負