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今日の一日一読は第1章の続きで「「生涯の心の糧」を体で覚える―――幸田露伴、幸田文」までです。幸田露伴についてはこれまで深掘りしたことがなかったですが、今回娘の文(あや)の話が出ていて、父親としての露伴を知って、あまり興味が湧きませんでした。正直、父親として娘に対して、あるべき姿を押しつけているところが多々あって、前回の福沢諭吉とも考え方が真逆なところがありました(参照29ページ)。露伴なりには娘のことを思ってのことかもしれませんが、実際にやらせていることは子どもの側すると理解に苦しむところが
東京の下町に住んでいます♪幸田文さんや加門七海さんなど墨田区ゆかりの女性小説家が多くいます。幸田文さんは幸田露伴の娘、加門七海さんは主にホラー小説を書いています。小学生の頃から幸田文さんには馴染みがあって、憧れていました。私は生意気だったと思います。『おとうと』は特に有名。彼女はエッセイストというより随筆家。作家の川上弘美さんも幸田文さんを随筆家としている。「あやさん…」幼い頃から私は呼んだ。あや姉さんでなく、あやさん。名のみのほうが、艶っぽい。姉さんなら恋もない。早熟というほど
村井一郎は、『逓信六十年史』では青木善松とその嗣伊三郎との間の局長としてリストされている。一方地元で編集された『にしんりんご郵便局』では青木善松が郵便局長であった時期にほぼ重なって電信分局長を務めたことになっている。村井は余市の人ではなく電信畑を歩んだ新潟県出身の技術者で、資料を繰ってみると古くは明治六年に開拓使から修技生として派遣された生徒中の一人である。『北大百年史』の史料中の「明治六・七年日記」にはやたらと電信生徒の記事があり、村井の名も見える。農学校の前身である開拓使仮学校は、当時まだ
幸田露伴の『運命』という小説に、「世おのずから数というもの有りや。有りといえば有るが如く、無しと為せば無きにも似たり。……かつや人の常情、敗れたる者は天の命を称して嘆じ、成せる者は己れの力を説きて誇る。二者共に陋とすべし。事敗れて之を吾が徳の足らざるに帰し、功成って之を数の定まる有るに委ねなば、其人偽らずして真、其器小ならずして偉なるというべし。」とある。現代語に訳すと「世の中には常に運命というものがあると言っても過言ではない。あるように見えると思えば思えるし、無いと思えば無いように見える