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巷で話題になっていたXSR900GP夏以降と思われてたけどいよいよ5月20日に発売。我々の世代にはたまらんローソンや平が活躍してた頃の80年代ヤマハワークスカラーエディーローソン平忠彦時代の流れの影響でマルボロの文字は無いけど、YZR500のレプリカ外装で有る事は間違いないまぁ中身は4サイクルだけどさ金額は税込み143万円。これに諸経費幾ら掛るか。オプションもあるしね。しっかし消費税が13万円とはいらんよね
コンマ1秒のエクスタシー♥️♥️♥️群がる女たちはレースで戦うためのただのエサだ❗️恋の狩人北野晶夫の駆るヤマハTZ500が爆走する80年代を代表するイケメン♥️草刈正雄さん主演ヤマハ発動機全面協力角川映画汚れた英雄主題歌があまりにも有名でしたから覚えてらっしゃる方も多いのでは❓汚れた英雄角川映画THEBEST[Blu-ray]Amazon(アマゾン)1,103〜4,181円その容姿で女性を虜にしジゴロな生活をおくる北野晶夫が持つもう
■自粛で自宅の整理ほぼ1ヵ月近くずーっと自宅で自粛しているのでだんだんやることが無くなり、GW中は1階のフローリング全部のワックスがけをしていました。で、いろんな荷物を庭に出したり整理していたら、メッチャ懐かしい品物が出てきました。1983年(昭和58年)6月に筑波サーキットで行われた、全日本ロードレース第7戦のエントリーリストです。いやー懐かしい。ちなみに予選と決勝のスケジュールはこんな感じ。エントリー台数が多すぎて、各クラスとも予
もう何十年前の映画になるんだろうかレースブーム、オートバイブームを作り出した名作大藪春彦さん原作草刈正雄さん主演角川映画『汚れた英雄』草刈正雄さんの代役で走っていたのは、レース界のレジェンド平忠彦さんそして転倒シーンなどを担当していたのは僕も当時所属していたスタントチーム武士レーシング(タケシレーシング)武士恭久ボス、松浦義則師匠(ウイリー松浦)、故相子幸治さんの名前がエンドロールに流れてきます残念ながら僕は右腕の手術のため参加することはで
鈴鹿8時間耐久オートバイレース、43回の歴史の中で❝記憶に残る❞レースNo1は1985年大会だろう。終始3ワークスのバトルが展開され、劇的な幕切れとなった2019年・43回大会も素晴らしかった。しかし、インパクトという点では’85年は強大なものがあった。自分が観戦に行っていたからだろうか?引退していたWGPチャンピオンのケニーロバーツ氏が選手復帰。日本一速い男・平忠彦選手と組む。ドルフィンが2輪レースを観始めるようになった時には既に引退していたケニー氏。「走りが観られるチャ
■昔は押し掛けでしたね私がサーキットにレースを見に行き始めた1983年。国内では平や水谷、木下、阿部などのメンバーが活躍し、海外ではケニーロバーツとフレディースペンサーの死闘がすごかった。あの頃のレーサーはすべて押し掛けでレーススタートしていました。今は安全性を考えてエンジンかけた状態でスタートしますが。そんな昔のビデオや最近のモトGPを動画で見ていたら、エンジンスタートの変遷に気づきました。名前があるのかどうか知りませんが、以前のモ
8月5日放送のNHK『ファミリーヒストリー』《草刈正雄》の回はネットで騒がれている通りまさしく神回!!!少し前の“眞栄田郷敦”の回もほぼ“千葉真一”のヒストリーだったので私にとっては神回今も録画キープしてあるこれまでオファーを断っていたという草刈正雄だったが…初めて知る若き日の母のことや生れる前に戦死したと言われていた父の衝撃の真実に涙するものの複雑な思いを隠せない。戦後、福岡で知り合った両親。せまい道で、道を譲り合うというドラマのような出逢いから一緒
1990年鈴鹿8時間耐久ロードレースで、平忠彦選手が8耐挑戦5回目にして悲願の優勝を遂げた。毎年「優勝候補」とされながらもトラブル等でリタイアを余儀なくされていた。皮肉なことに怪我で急遽監督として臨んだ'87年にTECH21ヤマハは優勝を遂げていた。時代はバイクブーム真っただ中。ヤマハ、ホンダがWGP500ccライダーを招集してきたので、日本では開催されていなかったWGPのライダー観たさに多くのファンが集まった。その数16万人(決勝日)。大会史上最高観客動員数を記録した。その一端を