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2024/05/02、神田神社将門様に、日頃のお礼(と、少しのお願い)にお伺いさせて頂きました。お昼過ぎの到着です。白いモクモク雲さんと青い空に、まばゆい随神門さま。こんにちは、本日もよろしくお願いいたします。あら、赤い絨毯がひいてございます。結婚式が終わったところでしょうか?本日は参拝のお客様が多く、行列が出来ていました。GWなので普段より多様な方が多く、ギャルではないけどギャル系の、短大生みたいな女子6名ぐらいのグループが、行列に並びながら集合写真をキャーキャ
千葉の成田山は「平将門の乱」がきっかけで建立される事になりました。朱雀天皇が平将門さんの降伏祈願を全国の寺社に命じたそうです。そのなかでも、朱雀天皇の密命を受けた寛朝僧正は京都の神護寺の護摩堂に祀られていた弘法大師作のお不動様とともに総国(千葉・茨城方面)に向かい、祈願のかいがあり平将門さんの死によって平将門の乱が平定されました。平定後、何故かお不動様が動かず、その話しを聞いた朱雀天皇は東国鎮護のためにお不動様の寺院を建立したのが始まりです。先日、京都の神護寺に参拝してきました。石段が
こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。「沖縄」は、広島・長崎と同様、戦争を語る上で決してはずせない地。【小序文】にはこうあります。戦争を知らない縄文人は平和を知らなかった。弥生を知らない縄文人は平和を知らなかった。だけど今は違う。今の縄文は弥生をもう知った。だから次の時にはぜんぶわかってる。(澤野大樹)縄文人が「平和」を知らなかった。というのは、平和というのは戦争という状況を経験して初めて平和という概念を発見することができると
東京滞在中に神田明神へ参拝しました。神田明神の神様の将門さんには東京に住む娘(大学生)がまぁほんとにいつもいつもいつもお世話になっているので拝殿で手を合わせてそのお礼を言いました。今回は本人である娘はいなくて夫と次男と私の3人だけの参拝でしたけれどこうして娘のお礼を言うことができると私が安心します。私は神田明神をこれまで何度か参拝していますが1度も神馬のあかりちゃんに会ったことがありません。
那須の温泉神社有名な殺生石玉藻前(たまものまえ、または玉藻御前)という平安時代末期、鳥羽上皇に仕えた絶世の美女がいた。20歳前後の若い女性でありながら、大変な博識と美貌の持ち主であり、天下一の美女とも、国一番の賢女とも謳われた。しかしその後、上皇は次第に病に伏せるようになり、天皇家お抱えの医者にも原因が分からなかった。しかし陰陽師・安倍泰成(=安倍晴明?)がその病が玉藻前によるものであると見出だすと、正体を暴露された玉藻前は、白面金毛九尾の狐の姿で宮中を脱走し、行方を暗
最近よくお参りに行っている神社に、東京都千代田区九段北の築土神社があります⛩平将門さまの首を祀ったことから創建されたとのことで、焼失してしまっていますが、首を入れたと言われる首桶もあったそうです😳最初は怖いと思った私でしたが、大手町の将門さまの首塚には何度かお参りしているので、行ってみることにしたのです。通院中の病院帰りに寄りやすいことも理由の一つでした😅初めての参拝は、よく晴れた風の強い日💦もうビュービューで、差した日傘がひっくり返るほどでした(結構恥ずかしい…)😨どうもビルとビル
2020年12月10日(木)11時、神田神社に伺いました。5月にお伺いしてから、7ヶ月も空いてしまいました。将門様の御札は仕事場の神棚にお供えし、朝晩祝詞をあげておりましたが、参拝は久し振りでございました。参道に、赤くて長い絨毯が敷いてあり、いつもと違う雰囲気でした。ただ私は非常に鈍感ですので「赤い絨毯だー、いつもと違う」というふうにしか、感じませんでした。すると、ほどなくして花嫁さんと花婿さんが現れました✨結婚式のための赤絨毯だったのですね💕神社での結婚式。厳かで、素敵です。
前回のブログで、将門様のお陰で「3月に2社ほど契約が切れたのに、4月に新規のご契約が2社ありました」と書きました。さすがに、4月の新規はこれで終了だと思っておりました。しかし!4月28日の業務終了後に、今までお取引のなかった某社様からお問合せのメールが入り、29日に急遽、お打合せをすることになりとんとん拍子で、また新しいご契約を頂戴したのです。将門様の底力の凄さ、強靭さをひしひしと、まざまざと。あぁ〜、本当に神様将門様、いつもいつもありがとうございます感謝して
おはようございます😊!今日は月曜日週はじめに鎮守神社⛩の鳥越神社に朝のご挨拶に伺いましたよ昨夜ブロ友さんのRicoさんがあげていらっしゃった千葉天神様の社紋をみて、ピンときて伺いました。Ricoさんブログ『【千葉ねえさんぽ③ラスト→千葉天神さまと神仏習合と】』こんばんは!@Ricoです。千葉神社ねえさんぽ⛩ラストはこちら⬇️千葉天神さま✨ツキ(月)を呼び、勝(星)を拾う‼️というコトで、菅原道真公と妙見尊のお力をい…ameblo.jp六曜紋と月星紋ですね鳥越神社は、七曜紋
こんばんは。最近は突然、平将門さんとの縁が強くなりました。毎回、菊水千鳳さんの祈りに参加しているのですが菊水さんの所によく将門さんがお話しをしに来られているようで、だから自分が気になっていたのかな?と、思っていたら将門さんのパートナーの桔梗姫からメッセージを受け取ったので、桔梗姫の事を調べるようになりました。桔梗姫は「将門さんの事を裏切っていない」と言っています。とても仲がよかったのだと思いました。数年前にアメリカの霊能力者に会った時に、過去世で東京より北の方の地域でお茶栽培をしてい
こんにちは。私のガイドスピリットに崇徳天皇の側室阿波内侍徳川家康公の側室お勝の方がいますが「まだもう一人いる、近いうちにわかる」と言われていました。誰だろう?と思っていました…。最近、平将門公の事がとても気になり調べていたら側室に桔梗姫がいたのがわかりました。まさか三大怨霊と言われている二人の側室が…。桔梗姫「私は桔梗。」「雨に打たれても将門さんの帰りを待っているの。」何処で待っているの?涙が出てきます。平安時代の桔梗姫の想いを浄化します。やっと気づけた桔梗姫の
こんにちは~出雲大社の系列の神社の巫女を経まして。教派神道の神職の資格を習得した占い師、白川葵です本日もお忙しいところ、ご訪問ありがとうございます。初めての方も、よろしくお願い致します。昨年のGWの頃、自宅で雑用をしているときに、「成田山」という言葉が、インスピレーションのような感じで突然「降りて」来たことがありました。「成田山」と私にテレパシーのような形で告げた()のは、どこの神様なのか自分の守護霊的な存在なのかそれともハイヤー
2021年3月19日(金)私は平将門(たいらのまさかど)公に会うための旅をスタートしました。ありがとう~浅草橋ヒーリングマーケット♡と江戸散策『ありがとう!浅草橋ヒーリングマーケット♡と江戸散策』2/26・27・28の3日間。浅草橋ヒーリングマーケットにてご縁を繋いでくださいました皆様、本当にありがとうございました❤今回はたくさんのお客様とのご縁…とい…ameblo.jp2月末に将門公を彷彿とさせる平公雅(たいらのきんまさ)公が奉納したという雷門の前に立った時に、『これは将門公にお会
私が借りている事務所の家賃は、不動産屋さんに直接支払いに行っております。うっかり財布に現金がなくて、銀行に行く時間もない時などは家族に「ちょっとだけ貸して!来週返すから」などと言うこともたまにありましたが、将門様をお参りするようになってからは、『あー、現金が足りない!』と思っていると、ふだんはほぼ動かない小売の商品がパタパタと売れて、気がつくと、お財布に家賃ぴったりの額が入っているなど、『将門様のお計らい』と感じることがございます。先月、今までお取引していた2社の契約が、急に切れました。
今日気になったのは「平将門」です。有名な方なのでご存じの人も多いと思いますが、関東で当時の天皇(あえて天皇と言います)に対して「新皇」と称し反乱を起こした人物です。なお、同時期伊予で反乱を起こした「藤原純友」の乱と共に合わせて、「承平天慶の乱」と呼ばれています。1.平将門の乱では、平将門は何のための反乱であったのか?ですが、平家一族の私闘と伝えられますが、私は違うと思います。平将門が「新皇」と自称したと伝わることから考えると、平将門は当時京都にいた天皇は「正統ではない間違っ
こんにちは。東京の大手町の平将門塚に2回目のお祈りに行って来ました。お賽銭入れもあります。可愛い石のカエルが両脇に。石の後ろが側にカエルのぬいぐるみが見えたので、行って見るとカエルの置物などがたくさん置かれていました。将門さんの九曜紋私「桔梗姫も現代の生活を一緒に楽しんでいるので安心して下さい。」将門さん「楽しむとは良い言葉。」「笑ったり、楽しむように。」この石に「界」と刻んでありました。皇居の近くでサツキの花が♡きれいなピンク色。将門塚はとても明るい所です。近くの遊歩
こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。暑さ寒さも彼岸まで、と申しますが、今季のお彼岸はいつもと勝手が違います。「破壊と創造」という二局面を同時に持つ、‟アラハバキ突風”が東北を吹き荒らし春の到来を告げていったような、そんな思いがよぎりました。と、申しますのは、>澤野大樹(さわの・たいじゅ)氏講演会『序文』より徳川260年の安寧を支えた「平将門怨霊ポジティブ変換システム」が明治維新によって破壊され、江戸の北斗七星の柄杓は機能しなくなった。そ
おはようございます出雲大社の系列の神社の巫女を経まして。教派神道の神職の資格を習得した占い師、白川葵です本日も、お忙しいところ、ご訪問ありがとうございます。初めての方も、よろしくお願い致します。神社仏閣を参拝するときには神様同士が因縁がある神社やお寺をはしごするのは、NGと言われることがありますよね昔は、そういう神社やお寺をはしごすると、神罰が下ると恐れられていましたが特に有名なのは、東京都千代田区の神田明神と、千葉県の成田山新勝寺のは
平将門の叛乱が起きたのは、何年か?935年は紛争が始まった年、939年は将門が「新皇」を称した年、ですね。935年の時点では、平将門と近隣豪族との間の「私闘」にすぎない、つまり地方で豪族同士が喧嘩しているだけ、という扱いだった。この間、将門も敵も、それぞれが京都のエライサンに「あっちが悪いんです」と訴えたりしてるし、まだ関東で「叛乱」が起きたとは、朝廷は考えてなかった。といえます。それが939年になって、国衙を占領して新政権樹立を宣言した、この時点で、これはハッキリと国家に対する叛
あなたは、大都会・東京の中心に、千年を超える「伝説の王」が眠っているのをご存知かしら。『平将門の首塚』この地を冒とくするものは、ことごとく祟られ、大勢の死者が出たという最強のミステリースポット。あなたは今、「どうせ都市伝説でしょ」と鼻で笑ったんじゃありませんか。覚悟するがいい。「将門公に謝るのなら今のうち」きゃあああああああああ~■NHK(E+)2020/11/16放送「平の将門・首塚伝説&ツタンカーメンの呪い」より▽かつて大蔵省・敷地内の将門
こんにちは。先週に続いて2回目の神田明神参拝です。藤の花が甘い香りを放ち風に揺れていました。馬のあかりちゃんは眠っていました。白い毛に変わり白馬になるそうです。楽しみです♡境内でハートマーク♡を見つけました猪目♡先週の参拝時と同じく結婚式が行われていました。またまた白無垢姿の花嫁さんを見れました。ここにも♡マークが境内に食事をする所があったので安徳天皇様達とランチしました。「みきー!」とか「美味しいー!」とか賑やかでした(^^)お店で将門ラベルの日本酒、ビール、お菓
夏休み晴れの予報は山の日!雲取山へ登りました。奥多摩の奥、東京都最高峰雲取山登山口に到着。🏠から65㎞もあります。駐車場をAM5:55スタート!登り始めます。杉林が続きます。暗いです大きなリスのような動物が跳ねて行った!6時36分!ふと見ると鹿がいた!こちらを見ている。かなり暗いので📷難しい撮れた!こちらの様子を伺っています。これじゃハンターに撃たれちゃうよ小鹿もいます。親子です。さっき見たのはきっとこの小鹿だ。ノートリミングですが暗くて画像
坂東市の将門祭りに来ています騎馬隊も見ているよでかいとんぼだエビだ甲の飾りもいろいろだぁねぇ実用的には邪魔じゃないんかねぇ馬かわいいです将門様ご一行が登場です白馬大きいです
続いて竜禅寺国指定重要文化財になっている三仏堂を見に来ましたいやぁ大きくて立派な茅葺だわ平将門の名が・・・桔梗御前だわ桔梗塚は国道沿いですね近くにあるようなのこの後行ってみます延長2年(924)の創建のようです平安時代だわ大きなイヌマキがありました大木です葉が細くて素敵なのよねこのイ
坂東市へ出かけてきました水戸黄門祭りは行けなかったので坂東市で平将門祭りが開催されていたので出かけてきました平将門を祀る國王神社で戦勝祈願を行い岩井商店街を平将門をはじめ騎馬武者が練り歩きます今回特別参加で相馬野馬追騎馬隊も参加騎馬隊を見に来たよコロナ対策万全熱を測り大丈夫だとシールがもらえますもらった人は中へ入れます熱なしよ商店街はすでに活気ずいて
取手市に来ています竜禅寺にあった案内板写真にあった桔梗塚を探していますん?・・・・ん?行きつ戻りつ・・・ん?・・・ん?・・・ちょっと待てあれかしら?望遠にして・・・あったかも国道脇には常総線が走っている関鉄だよ将門の愛妾である「桔梗御前」将門が討たれたと聞きこのあたりまで落ち延びてきましたが
取手市です桔梗塚から今度は大日山古墳に来ています古墳の上には岡神社があります案内板です↓これ見て訪ねてきました平将門の墓所という伝説将門伝説多し車を止めたところから歩く山道急に開けた場所に・・・到着した模様ちょっと不思議な空間ここから上ってくるようです鳥居が見えます大日古墳の上には
⭐︎ーーーーーーーーー⭐︎ご覧いただきましてありがとうございます⭐︎ーーーーーーーーー⭐︎あなたと神様の縁を結ぶ霊感アドバイザー☆KIKYOUです普段は霊能者として霊感霊視鑑定、除霊・浄霊を生業にしていますKIKYOUとは?初めましての方はこちらから↑の文字をポチっとして下さい💕鑑定メニューを作りました『沢山のお問い合わせを頂いていたメニュー表1を作りました』kikyou's☆MENU1鑑定☆MENU霊視鑑定(zoom、LINE電話)60分20,000円
前回(2020年2月27日)に伺って以来、2ヶ月半ぶりの参拝です。2020年2月から5月までの間と言えば…そうです。コロナで色々と大変な時期でした。私は自営で商売をしておりますので、特に4月は、予定していた仕事のキャンセルが相次ぎ、自殺が頭をよぎるほど、気持ちが落ち込みました。「自分なんて、生きる価値がない」本当にそう思いました。仕事がなくなる、お金が入ってこないという事は、人をそこまで追い詰める。身を以て経験いたしました。それでも5月に入ったあたりから、また仕事のお
取手市を歩く4月に出かけた時のものです春の日に誘われて出かけたのは取手市の岡堰きれいなのよ川にある堰って好きなんだなぁ小さい川から大きな川まで茨城県各所にあるけれどつい見入ってしまう小貝川です寛永年間関東郡代となった伊奈半十郎忠治は洪水を防ぐために鬼怒川と小貝川を分離しました寛永7年(1630)には岡堰が設けられたそうです江戸幕府すごいねイベ