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こんにちは。4月ってこんなに暑かったでしたっけ?薄曇りになると梅雨時期の蒸し暑さが前倒しでやってきているような感覚に襲われます。庭の梅や松の木が枯れないか心配になります。今年も我が家の枝垂れ桜がきれいに咲いてくれました。桜が散る頃には周りの雑草がすごい勢いで伸びるので憂鬱になりますが。ヤギでも飼おうか。さてさて、薬師寺の続きにて。奈良シリーズは今回で一旦区切りにします。道を挟んだ北側の写経道場があるところ。こちらはあまり人がいません。玄奘三蔵院。誰も居ません。
平安京に先立ち、奈良に都が置かれたのは7世紀後半から8世紀。その時の聖武天皇の時代には僅か在位25年〔724~749年〕の間に、平城京から恭仁宮(くにのみや)~難波宮(なにわのみや)~紫香楽宮(しがらきのみや)~平城宮と都が転々と遷された。この時期に兵乱や災害が頻発したため、聖武天皇はこれらの厄災から逃れようと遷都したとされる。これらの遷都先の中から、今回は恭仁宮跡を探訪した。□平安時代までに宮・京が置かれたところ飛鳥時代の近江大津宮に始まり平安京までに至る130年近くの間に、9ヵ所に
さてさて…………………【土御門天皇陵】を出発したココロ…………予報どおり怪しくなってきた天気さらに、ここまでの同じ道のりを、歩いて戻るのはさすがにキツイなあすると………………ちょうどいい場所にバス停があり………………ちょうどいい時間の「JR長岡京駅」行きの便があったので、ココロはバスに乗車した………………バスに揺られながら、今日のミッションは全てクリア出来たのだが、何かやり残したような感覚が『京勉会長岡京編③〜中山修一記念館〜』さてさて………………桂川に架かる大橋を渡り、しばら
新年が明けたと思ったら、もう1月も終わりそう😱ダメダメ💦お正月休みに行ったこちらをせめて同じ月のうちに書かなきゃ💦ってことで😅今日ご紹介するのは、、映え空間で3000匹あまりの金魚たちを楽しめる「奈良金魚ミュージアム」です奈良は日本の金魚の三大産地のひとつだそう奈良に行くのは、娘達がまだ小学生の頃以来かな。。日本の子たちが修学旅行とかで行く奈良の大仏を一度は見せておかないと!って一時帰国した時に行ったなぁ←遠い目大きなショッピングモールの中にあるのですが、一歩足を踏み入れる
天守台の石垣は築城から400年以上経過していた為、破壊が進んでいて崩落の危険があり天守台の立ち入りは禁止されていました。しかし4年間に渡る石垣の修復によって天守台石垣の上に立つ事が出来るようになりました展望台からは大和郡山市や山々が望め平城京太極殿や薬師寺が見えるようですが分かりませんでした天守台櫓角部の転用石は羅城門の礎石だと伝わっています
こんばんは。歴史の授業が大好きで、歴史に関してはめちゃめちゃ勉強して成績もそこは良かったのですがだけど、今となってはひとっつも覚えておりませんでも、好きは好き前から気になっていた奈良の平城京跡にやっと行けました!朱雀門ひろば|国営平城宮跡歴史公園国営平城宮跡歴史公園は、奈良時代の遺跡が保存・復原された公園で、世界遺産にも登録されています。どなたでも自由に散策したり憩いを楽しめます。www.heijo-park.jp遠くに見えるのが朱雀門若草山がみえます。昔、昔ここに平城
『大宝律令と万葉集に残る古代近江国の内緒話』『万葉集に正しく記された天香久山と踊る13の女神の内緒話』『『阿波院』と呼ばれた天皇と五角形の内緒話』『禁書にされた阿波風土記と徳川幕府と『十三』の秘密…ameblo.jp↑のつづき。さて、前回は古代の近江は淡海⇒阿波海のことだった…だから、近江大津宮も阿波にあった…と、いうお話。それならば、「それ以前の皇都は全部阿波にあったってこと⁉️」「そんなワケあるかい!」と、いう声が聞こえてきそうである。ここで、遷都の歴史を確認して
近隣の里山とでも申しましょうか?冬の間は春から秋にかけての山行に備えてハンデのある脚を慣らしておく目的で歩いています。2024年4月10日(水)「金剛山か岩湧山に登ろう!」という気持ちではいたものの平野部の桜を楽しむのも「今のうち」「大阪城も良さそう!」「大阪城へ行こう!!」「平城宮跡は?」兼ねてから「行きたい」と思っていた場所です。「そうそう前から行きたいと思ってた」「平城宮跡へ行こう!!!」10時過ぎに自宅を出発、京奈和道が役立ちます。Googleタイムラインの記録
日本の四季をつかさどる姫のうち秋の竜田姫とならんで有名なのが春をつかさどる佐保姫だ。佐保姫も竜田姫同様に染色と織物が得意だそうだが、好みの色はだいぶ違うようだ。秋の鮮やかな紅葉の色と違い、春は色とりどりのやわらかな色。おだやかな気性が想像される。平城京の東にあたる佐保山に住んでいるところから、その名が付いた。佐保山周辺は桜の名所、なかでも佐保川沿いは見事な桜並木で有名。佐保姫の行くところ、その衣に包まれて艶っぽい春が今年もやってきた。それでは、佐保姫の咲かせた佐
東大寺の参道で車暴走2人搬送うち1人意識不明(2/25)25日朝、奈良市にある東大寺の参道で車が暴走し、男性2人が救急搬送され、うち1人は意識不明の重体です。2人はいずれも50代の男性で旅行者とみられます。車を運転していたのは79歳の男性です。(引用終了)(参考)東大寺の参道で車が暴走、79歳男を現行犯逮捕(TBS)東大寺前の参道で事故が起きてしまいました。接種以降、似たような事故が多いですが、原因の真相は何とも言えません。意識不明の男性には頑張ってほしいですね。
2022年11月5日朝9時に国営平城宮跡歴史公園に来て観光をしています。「平城京あらまし」の説明書きがありました。平城京は、奈良時代の日本の首都のことです。藤原京から遷都するにあたり、710年に唐の都長安城を模倣して大和国に建造された都城になります。中央北域に宮城・平城宮(大内裏)を置き、東西8坊(約4.3km)の面積をもち、中央を南北に走る朱雀大路によって左京・右京に二分され、さらに南北・東西を大路・小路によって碁盤の目のように整然と区画され、全域が72坊に区
はい。こんにちは。今日は藤原京、平城京、平安京の特徴を講義します。まずは、藤原京ですね。藤原京は694年に持統天皇によって飛鳥浄御原宮から遷都されました。遷都とは都をうつすことです。藤原京は日本で初めて条坊制(古代の都の市街区画)を用いた都だと言われます。こちらが藤原京絵図です。藤原京の特徴は都の中心に都城(藤原宮)があるということです。更に西に畝傍山、北に耳成山、東に天香具山に囲まれています。三つの山を合わせて大和三山といいます。続いては平城京です。平城京は710年、元明天
こんにちは。中学受験プロ家庭教師のチャーリーです。今回のテーマは「古代の都の変遷」です。古墳時代(3世紀半ば以降)に大和地方(奈良)を中心にヤマト政権がつくられます。ヤマト政権は大王と豪族たちとの連合政権でした。やがて飛鳥地方(奈良盆地南部)が政治の中心になります。推古天皇以降の100年間を飛鳥時代と言います。大化の改新(645)では、天皇中心の国づくりが進められていきます。都は何度か変遷します。1藤原京(694)=奈良県橿原市持統天皇
東大寺に行った時に、東大寺ミュージアムに入った。仏像もよかったけど、入ってすぐの動画が結構良かった。聖武天皇の願いを感じることができた。家に帰ってから、その辺りを調べていくと、NHKで「大仏開眼」というドラマが過去にあったと知る。NHKオンデマンドで見てみると、これまた結構面白かった。奈良時代、遣唐使であった吉備真備(天才学者)が、阿部内親王(女性)(後の孝謙天皇)の教育係となる。一方、吉備真備と同時期に遣唐使だった僧玄昉は、唐で見た大仏を日本にも造ることを夢見て、朝廷権力に食い込んでいく