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昨年末、思わぬ事が出来し、予定しなかった帰省をすることとなりました。で、鉄道の乗り合わせの間、珍しいモノが見えたという府内城へ。昨年の大雨によって土塀が崩壊し、そのなかから煉瓦上の土塊が露わになったということ。土塊は土塀の構造材とみられるが、類似の工法で造られた城の土塀は現存例が少ないとのこと。当初、塀の屋根に雑草が茂っていたことから「管理不行き届きやん」とか思っていたのですが、以前の地震のときにこの塀は傾いていたとのこと。まあ、そのときに修理しておけばよかったのですが、それでは今
鳶ヶ城(朝来市和田山町土田)土田富栖城の一部だが、分類上、北部を鳶ヶ城と呼ぶ事とする。東十四郭東十三郭東十二郭東十一郭東十郭東九郭東八郭東七郭東六郭東五郭東四郭東四郭南腰曲輪帯曲輪状の東三郭帯曲輪状の東二郭北東主郭北東二郭北東三郭北東四郭北東五郭北東六郭北東七郭北東八郭北東九郭方向を変え、西二郭西三郭西四郭上がって南西二郭北東主郭と南西主郭の間の中曲輪中曲輪北西帯曲輪中曲輪北西腰曲輪南西主郭へ向かって登り、北東四郭北東三郭北東二
丸山城(勝田郡奈義町皆木)「東作誌」は勝北郡西谷皆木村の古城「丸山」として、高さ約三町、皆木弥平治が居城し、宇喜多氏の治世を全盛として、森家の治世になると帰農したと記す。(※美作国の山城より)図に無い南西竪堀図に無い西竪堀南土橋南三郭南二郭南二郭西帯曲輪上段南二郭西帯曲輪下段土塁囲みのはずの主郭改変されたのか、土塁は痕跡も残っていない丸山城遠望軌跡ログ勝田郡奈義町の城