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ドクター「重粒子線治療できますよでもね、最初にも言ったように、僕は事実を伝えるから。ちょっとこのデータ見て」と、先生が今までの症例や医学会で発表した資料など見せて頂き、妻と症例が近い人のビフォーアフターを複数人、見せてくれました。(同じ上顎洞ガンで扁平上皮に癌が出来ている人など)ドクター「この人は、奥さんよりもまだ腫瘍は小さいね。で、やはり女性だったので、顔を手術したときの不安感。例えば、自分が見た目に耐えれない。外を出歩けなくな
重粒子線がん治療センターから5日間の間に、メタトロン、マイクロ温熱療法などと出会い、方向性は決まりました。「手術はしない」そう、心に決めて、医療センターの診察日。相変わらず待ち時間長い~ドクター「重粒子線がん治療センターでは、どうでした??あ、これ報告書ですね。ふむふむ。で、ご本人はどう思われています?」妻と私「妻の状態だと、重粒子線治療は予後が悪すぎるので、やらないです。」とはっきりお伝えしました。そして、見せ
顔半分、切り取るってどんな風になるんだろういや、でも今の妻の顔。全然普通なんですけど。手術しなくちゃいけないなんか手段あるんじゃないと次の手立てを考えている時に、妻が、驚きの一言。「手術って痛いですか?」って、気になるのそこ~?ドクター「もちろん痛いですね(^^;)顔を切り取るだけでなく、同時に形成もするので、手術時間は、10時間以上。もしかしたら、1日かかるくらい大がかりな手術です。」形成は、切り取った骨の代わりに肋骨
普段、まったく変わりない生活をしながら、やっと10日が経ちましたいよいよ、九州国際重粒子線がん治療センターへとってもキレイで、心落ち着く空間になっている病院で、待っている間も、ちょっとしたこじゃれたカフェに来た雰囲気です予約していたので、診察もスムーズ。いよいよ、先生との診察が始まりました。ドクター「遠いところ、よく来ましたね~あ、〇〇(地域名)からも今、治療に来られている方居ますよ~何時間くらいかかりました~あ、〇〇の名産は美味しい
つたないブログにご訪問してくださりありがとうございますm(__)m前回の続きになります☆友人が亡くなってしまったことを書いております。心が不安になってしまう方は読まないでくださいね。。申し訳ありませんうさみみさんが他界してしまったと聞いてとてもとても悲しいけれど実感が湧かず…まだ何処かにいるはず!という気持ちの方が強かったですでも時々ふとした時にあ…もういないんだ。。と急に涙が溢れることもあれば…いやいや!そんなことない!だってこの前あ
紹介状を持って、総合病院の耳鼻科へ行った。ファイバースコープで喉や声帯をみたが特に異常はないとのこと。(3月にも他のとこで見てもらったんだから、そりゃそうだろ‥と思ったがそれは黙っていた。)「特に異常はないけど、いちおうCT撮っておこうか」と言ってくれ、仕事の都合もあり2週間後に予約を入れた。きっとまた何でもないです‥って言われるでしょと気軽に考え日常生活を送っていた私。2週間後…CT撮り、すぐに先生がその画像を見て「食道に巨大な腫瘍があります。大きさは4cm〜6cmくらいかな。」
こんにちはつたないブログにご訪問いただきありがとうございます昨年のことを振り返って書いております20年ほど前からのデリケートゾーンの湿疹が希少ガンだったと診断されたのは2019年5月のこと個人クリニックから2つの病院を経て2019年5月国立がんセンターへ辿り着き6月に入院・手術週末の病院は静かです普段は中々こないエレベーターも週末はすぐに来るのでお見舞いに来る人には助かります(^^)術後8日目の土曜日夫が病室に入ってきてニコニコしながら言いました今
九州国際重粒子線がん治療センターの翌日。妻の治療に関して大きな転機が訪れましたいつも治療やビジネスに関して、最先端の情報を持ってきてくれる頼れる「治療家仲間」のY先生に、妻の病気のこと。そして現状を包み隠さず話をする時間がとれたんです。実は、病気らしきことが分かった年末~この2月まで、私も妻も、誰にも相談もせず、自分たちで色々情報を集めていました。でも、ちょっと周りの力も借りないといい加減、自分たちではどうにもできない。と、思っていた
こんにちはつたないブログにご訪問いただきありがとうございますm(__)m2019年4月に外陰ガンと診断され紹介状を持って大学付属病院へその病院から希少ガン難しい手術という理由からガン専門病院で治療した方がよいと薦められました次の日大学病院の教授先生のおすすめ通り国立がんセンターに電話をしましたこの病院には全国で唯一の希少がんセンターもあります希少ガンであることとセカンドオピニオンではなく決めてますと伝えると受付の方がガン名を聞いてもよろしいです
ドクターと直接お話しさせてもらったとき見せてもらった画像の写メ。撮り忘れた〜ので、手書きしてみました!ガイコツだとこんな感じでした。MRI画像などではこんな画像が白黒反転してます。眼球にも腫瘍が触れてて、目がまだ見えてるのか?動かす事は可能か?を再三聞かれました眼球まで行ってると言うことは、目の下の骨は破壊されてます。もちろん頬骨も。上顎骨も。リアルに画像を見せられると、ジワジワと、本当なんだな。と感じさせられます
こんにちはつたないブログにご訪問ありがとうございます昨年のことを振り返って書いています入院した次の日手術の日の朝前夜から緊張してて殆ど眠れず…6時の起床時間前に起きていました手術は朝イチの時間帯で呼ばれる予定だと言われています朝食の前には主治医のK先生がいらしてニコニコしながら窓の外に見える築地市場跡地の説明を丁寧にしてくださいましたきっと…この雑談の最後に今日の手術について何かお言葉があるのでは?と思い…ドキドキしながら聞いていましたが…
こんにちはつたないブログにご訪問いただきありがとうございます台風10号大変ですね宮崎に大事な同病仲間がいるのでずっと心配してました(>_<)皆さまご無事でありますように!2019年4月通院していた町のクリニックから紹介状を持って行った憧れの海辺の病院で外陰がんを告知されました告知された日にがんを告知されたこと手術ではなく放射線治療しかできない為毎日通える近所の病院を探す以上を極めて明るく家族に報告しました(^。^)ガンと聞いて無言で静かに泣いて
こんにちはつたないブログにご訪問ありがとうございますm(__)m2019年5月に外陰がんと診断されました引き続き告知されるまでの記録を綴ります今から約20年前からあったデリケートゾーンの痒み10年ほど前には患部が白くなってきてコンジローマ疑いをかけられました…(-_-;)今の主治医であるがんセンターの先生からは「コンジローマではなく、この時すでにガンだった可能性がある」「知らないで長い間大事に育てちゃったんだね」と言われています。。コンジローマ疑いか
正月明けから、入院に向けた検査が始まりました。血液検査尿検査はもちろん、ありとあらゆる検査をなんと2日間かけて。本当に検査だけで疲れる(-_-;)そして、最終日にMRI。そして手術日を決める。手術日は、1月12日。前日から入院して、当日に生体検査手術。手術は全身麻酔で行うみたい。こちらとしては、上顎洞(鼻)なので、全身麻酔まで必要なんだ??と驚き。そこから1週間ほど入院。と聞くと、やはり簡単な状況ではないんだな。と感じ
九州に一人旅に行きました東京駅から新幹線で5時間!さぞ暇だろうと思っていたけどスマホいじったり駅弁食べたりしてたら着いちゃいました!博多です着いた日の夕食は博多ラーメン一双とんでもなく並ぶと聞いていたのでびびっていたらホテルの人が8時位になれば行列が短くなる…と言うので夜8時に行ったら20分位で食べられましためっちゃ美味しかったです!次の日の朝はコンビニで買ったおにぎりとお味噌汁その後博多から直通バスで太宰府天満宮へこの日はなんか天赦日?
「腹膜中皮腫の疑い」と言われてから3週間生検ため、本日より約1週間の検査入院となりました初めて聞いた「中皮腫」という病気調べれば調べる程希望の持てない説明ばかりでも「みぎくりハウス」に辿り着き希望を貰うと共に、色々お勉強させていただいておりますもし腹膜中皮腫だとしたら、、、200万に1人位しかならない希少ガンらしいもし本当にそうならば、何か書き残せば同じ病気にこれから罹る人に何かお伝えできるかもしれないそんな思いでブログを始めてみようと思っています初心者🔰で不慣れなので少しずつ
入院してから数日間の私のメンタルはボロボロで、考えては泣いて過ごし、家族に電話やラインで色々言われても、自分でどう考えたらよいのか分からないままで、全く変わらなかった。なんで私なの、なんで希少ガンなの、なんでもう治らないの‥と状況を受け入れられず、死ねばもう考えなくてすむから死にたい‥と何回も思った。でも、その度に子供達の顔が浮かび、「ママがこんな病気になっちゃってごめんね。まだまだずっと君たちと一緒にいたいよ。」と子供達の笑顔を思い出し、自殺はダメだ!と何回も思い直した。臨床心理士さんと
車での帰り道。妻は「手術しなくちゃいけないのかな~」と同じ質問を繰り返してくる。私は、「そうだね~でも手術しか方法が無いって言われても、別の方法を試したりしてからでも遅くないんじゃないかな」と返す。妻は「でも早くした方がいいんでしょ・・・」これを何回か繰り返して、答えは出ず。でも、二人の共通の認識は「なんかほかの方法、あるでしょ絶対にあるでしょというか、探すでしょ」という、根拠のない自信でも、ほんとに大丈夫
翌日、耳鼻科から突然の電話。「なぜ、すぐに耳鼻科にこないんですか?」と怒りの電話。こっちはなんで??と困惑。病院から二日後で良いって言われたのに~と思っていたら「医療センターで診察を受けてください。すでに予約はしていますので、次の月曜日に必ず。」と厳しめな感じで、必ず行くように。と念押し。え?どういうこと?がつづく。
耳鼻科に到着~と思ったら、ここでも「ん~CTを取りに行ってもらえる?A病院に連絡しておくから」とのこと。なんじゃそりゃ~とまた別の病院へ。
去年の今頃…1年後に旦那ががんサバイバーになってるなんて思いもよらなかった。でも…旦那の右足の内側、膝の少し上にしこりがあるのはわかっていた。2022年の11月、今から1年2ヶ月前になるがある日、旦那が内腿にしこりがあるけど大丈夫だろうか、触ってみて、と言う。うん、たしかに。グリグリがあるし触らなくても見ただけでわかる…。子供達が小さい頃からずっとお世話になっている外科にMRIがあるから撮ってもらってきてよ、と行かせたが…レントゲンだけ撮って「よくある脂肪腫で
歯医者でレントゲンを取った後、「これは耳鼻科だから、そっちに行ってみてくれる?」と謎の回答。なんで?どういうこと?と思いながらも、近所の耳鼻科へ。すると。。。
こんにちはつたないブログにご訪問いただきありがとうございますm(__)m20年前からのデリケートゾーンの痒みと痛み菌もウィルスも検出されず長年ただの湿疹と思っていましたが2019年4月クリニックから紹介状をもらって憧れのセンス良い病院へ…そこで細胞診検査の結果が悪性となりアッサリとガン告知されました放射線治療で治すのが主流だから毎日自宅から通える病院を探してと言われた帰り道とにかく病院を決めなくちゃ〜明日病院をいくつか回ってみよう。。告知されても実
予約日早速、CTを取りに行き、翌日に結果を取りに来てくれとのこと。毎回、手間暇かかるな~と文句をいいながら、翌日。病院からは耳鼻科に明後日ころに行ってもらえたら、良いと思います~♪と軽い対応。わかりました!と帰宅。
現時点で原発不明ガンというモヤっとした結果からセカンドオピニオンも考えておりました卵巣や子宮に異常が確認できないことから原発性腹膜癌※希少ガンの可能性もあるみたいそこで希少がんセンターへ相談してみることに本日で2回目の電話です相談員のかたは本当にほんとに親身に丁寧に対応していただき感謝でいっぱいです①これまでの経緯②現在の診断結果③これからの方針を説明したところ必ずとは言えませんがとの前置きのあと当院でも同じような診断内容になる可能性が大きいとのこと確定
3時間、病院で待ってましたコロナの影響で、病室で待つこともできず、待合もバタバタしているので。ということで、妻の病棟の食堂が待合室になっていました広い食堂に一人3時間はさすがに暇だろ~って思って、少し仕事が出来るように書類などももってきてたのですが、一切手につかず大きな窓から見える青い空を眺めてました3時間たったころ、看護師さんが呼びに来てくれて、最初にお別れしたエレベーターホールでご対面。行くときは、自分の足で入っていきまし
初めまして個人病院で検査している間に腹水が溜まり総合病院に転院🏥そこでの診断はまさかの悪性の腫瘍の疑い😭あれよあれよという間にガンとの診断を受けました😓それも聞いたことのない腹膜ガンの疑いでした😂家族には私って癌にかかってるらしい...腹膜ガンって10万人に数人しかかからない希少ながんなんだって❗️まだ自分の事だと受け止められずなんだか人ごとな伝え方でした😅💦どういう癌なのか良くわからない時期から備忘録としてブログをアップしたのですが段々と直ぐに死んじゃ
こんにちはつたないブログにご訪問ありがとうございますm(__)m昨年のことを振り返って書いております20年ほど前からのデリケートゾーンの湿疹が実は希少ガンだったと診断されたのは昨年2019年5月のことでした個人クリニックから2つの病院を経て国立がんセンターへ辿り着き6月手術手術が無事に終了し麻酔から覚めた直後からとにかく気持ちが悪い身体中痛く辛い状態でしたが…麻酔から覚め切れていないような感じで意識は朦朧としていましたなので術後〜次の日と朝まで
実は家から医療センターへは、車で2時間かかります。これって結構遠いですよね(^^;)PCR検査を受ける為だけに2時間はきつい~と文句を言いながら、でもいかないと仕方ないので~となだめながら(笑)帰りのカフェに行くことをご褒美にして、病院に向かいます!
ドクター「ということで、顔を残したいなら、重粒子線治療。傷跡とか、気にしないなら外科的手術。どちらか決めないとね。」妻と私妻「ん~義眼とか、人の目とかは全然気にならない。別にメガネとかしたり、髪の毛で隠せばいいでしょ」私「そうだね~じゃ、手術?」妻「でも、痛いのイヤ」私「でも、重粒子線で徐々に痛みが酷くなるのは多分、耐えられないよ」妻「ん~とりあえず、考える」ドクター「そうだね。急に今日決めるのは大変だと思うの