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今月のレストこのしろグラスアート教室時から10日過ぎてしまいました😅この日は私が忘れ物をしてしまい自宅まで取りに帰り急いで教室に戻る途中なのですが、、、この海の色を見たら🤩車を停めて撮らずにいられませんでした✨左手に見えているのが屏風岩動画も撮ってスッキリしてから再びレストこのしろへ急ぐ💨💨💨到着後早速まずは腹ごしらえをいただきます😋一等席から見る日本海の青い景色日差しも少なく暗く寒い冬を過ごしてきた私達にとってはとっても貴重な晴れ間✨お天気が良いだけで感
絵麗です。二人して神様事をしてるもんだからか、、入居前に見えない世界の入居契約?!的な御神事が立て続けに入りました。笑ので、今回は入居前の番外編〜〜いよいよ入居を決め、わたしは小学校の関係で先に4月9日日転入届けを出し、晴れて…曽爾村人になりました〜!そして相方は、結果的に4月18日に。たまたま、二人とも空いてた日がこの日だった。それが…なかなかロマンチックな日となりました。ので、その流れをご報告。今回は少しスピリチャルな話。そして舞台は、曽爾村で有名な屏風岩のハナシ。
11月2日(水)中禅寺湖金谷ホテルから日光金谷ホテルへの移動します。写真をいっぱいとりまくったので、この日のブログは前半・後半にわけてお送りします~■太陽の光がすべて、と実感の一枚7時、キン!と張り詰めた空気を胸いっぱいに吸いながら、中禅寺湖まで降りて散歩しましょう。昨日もここを降りたのに、目に映る色が全然違います。中禅寺湖沿いの道路から振り返ると、白い幹と紅葉をまとった樹々の奥にホテルの建物がちらちら。湖面は静かなのに、太陽があたる山々は
昨日より今日の方が元気らくらくクラブパワースポット巡りでは、みんな昨日よりパワーアップしてますこんばんは念願のエステサロンyim(いむ)来た時よりも笑顔でをモットーに日々笑顔をたやさないエステティシャン松井聡子です。朝から元気いっぱいまず最初に向かったのは…八俣大蛇(やまたのおろち)が住んでたという公園あ、本当だいたと思ったら先生お次は…斐伊神社この旅二度目の神様降臨そして…八俣大蛇を退治し八つの頭を埋め記念に8本の杉を植えたという八本杉そして…御代神社ここまで
前ブログでの音羽城主・蒲生秀紀が音羽城から追われ、この城へ拠点を移すも毒殺されたという城です。私は誰にも追われてないが、やって来ました。滋賀県蒲生郡日野町鎌掛近江・鎌掛城(かいがけじょう)別名;鎰懸城築城年代は定かではないが建武2年(1335)中野左衛門尉清信が砦を築いたことに始まるとされる。文亀年間(1501〜1504)頃に蒲生秀行が音羽城の支城として整備し、家臣の武村伯耆守重綱を置いたという。鎌掛城は蒲生賦秀(氏郷の父)の蒲生賢秀が隠居後に住んだ「山屋敷」と呼ばれ
江戸時代、長崎への街道は主に6つあり,そのうちの西山街道は伊木力往還とも呼ばれました。「街道の起点は西山口(炉粕町)で、ここら路が3つに分岐し、右は矢上、左は浦上~時津、中は伊木力から海路、大村に達する。」と記されています。そこで炉粕町の日本銀行の前から出発して西山街道を通り、伊木力まで行って見ました。諏訪神社の階段の途中を抜け、松森天満宮の側を通り、西山神社に立ち寄りました。かなり長い急な階段があり疲れました。境内には1667年、唐船から伝わったザボンの木の子孫が残っており